開催された青山学院大学にもナショナルシアターと似た様式の建物もありました。20世紀の中頃、ミッドセンチュリー〜70年代頃?
さて、第3部は「ナショナル・シアター・ライブの回顧と展望」と題したパネルディスカッションとのことですが、ゲストの経験や専門分野の解説などの話が聞けました。
青木 豪氏(劇作家、演出家、明治大学兼任講師)は、2000年代に文化庁の留学生として10か月ロンドンに留学中、オーディエンス、夜中に犬に起こった奇妙な事件、オセロ、リア王などNTLiveラインナップの舞台も幾つか見た。チケットはソールドアウトになっていてもギリギリでキャンセルが出たりするので諦めずに並んで待って結構取れた。しかしNTLiveはそのような苦労もなく見られるというのは楽でいいと思う(笑)。
彼の5周年ラインナップからのベスト1「リア王」を見ていた時、ラッセル・ビールが舞台でつまずき転んでしまった。その後少し演技を続けてから、袖に引っ込んだ後、演技をもう続けることが不可能ということで、アンダースタディ(代役)にキャストを変えて最後まで上演された。そんなことあるんだと驚いたが代役さんはちゃんとセリフを覚えていた。
ベスト2「スカイライト」密室の2人だけの会話というのに、あの壁が透き通って建物が背景に見える演出方法は、部屋を区切らないことで社会性が生まれた。
ベスト3は「橋からの眺め」1作発表するたびに話題になる監督イヴォ・ヴァン・ホーヴェ、今もフランスでかっこいいことやってますね。(The Damnedのことかな?アメリカに移ったみたいです・・・)この演出もやはり印象的、そして役者がうまかった。最後の血まみれ、わー
4「誰もいない国」喜志哲雄さん翻訳の脚本を読んだが、ちっとも内容がわからなかった。ところが見たらとてもわかりやすかった。解説で2人が出会ったのがハムステッド・ヒースというのはゲイがウロウロしている所と知り合点がいった。
5「アマデウス」です。
ところで「谷中犬」は、僕も舞台で見られたんですが、その後ヒットしてウエストエンドに行きました。その時は舞台装置は変わったので、このNTLiveでは貴重な初期バージョンが見られるのもいいですよ。素数にこだわる内容なので素数の番号の客席には他の席と違う紙が置いてあるこだわりです。そして僕が見たのは2階の2、3列目の真ん中辺だったのですが、1幕目の終わりにライトが消えるとき、主人公が舞台で作ってる電車路線の模型と連動して、2階席と3階席の手すりの上に線路のライトがつけられていて、そこを電車がバーッと走る仕掛けがしてあるんですよ、そしてこれからロンドン行くぞーっとなるわけです。上の席の人だけ見えるんです。
柏木しょうこ氏(映像翻訳家)はリア王から翻訳監修です。
「NTLiveでは字幕に皆さん愛を持って意見を下さっていますね」と前置きしながら日本の字幕のガラパゴス進化した状況を語ってくださいました。
他の国では映像字幕は補填情報にすぎない位置。なのでプロの字幕翻訳家というのはなく、字幕が出るのも映画祭くらい。(つまり後は吹替ということですね)
日本の字幕というのは、観客は読みながら脳内で吹替ていくので、作品と一体化するよう出るタイミングも調整されます。横に読んでいくのではなく、パッと全体を見て意味がわかるのがいい字幕とされています。(補足/たぶん写真を見るような感じですね。)ですから漢字とカナの分量も「見て」わかりやすいよう決めますし、字数制限はあるけれど、長いカタカナの名前は全部をいちいち読まないので字数からはみ出しOKです。
このような日本の字幕文化をこの「日本語はありえない」と言われたコリオレイナスをきっかけに言うようになったのでイギリスサイドに少しは伝わったかな。
ところで映画と演劇はセリフの構成がまったく違う。映画は映像で表現するのがメインだが、戯曲はセリフで場面を想像させるので言葉が多い。人間の感情を日本語のリズムにリンクさせたり字幕を出すタイミングも視覚効果となる。
しかもシェイクスピアは独り言が多い(笑)。舞台はセリフとともに観客の感情が変わる。でも実際字幕は全部読まなくてもよくて、俳優さんの演技の方を見た方がいい。
河合祥一郎氏(東京大学大学院教授)は6年間の英国留学中に安い演劇も含めたたくさん舞台を見たとのこと。円盤化された「嘆きの王冠」は柏木さん訳河合先生監修という作品です。
ベスト1は「オセロ」、エイドリアン・レスターのオセロVSロリー・キニアのイアーゴの対決。この話は、よく聞く声として「なんでオセロはあんなハンカチ1枚で騙されちゃうの?バカじゃないの?」というのがあるが、この話は軍隊の芝居なんです。軍では上官が部下を信用しないと成り立たない世界で、イアーゴは正直者という前提で成り立っている。
ベスト2「エンジェルス・イン・アメリカ」空間の使い方が上手く人の心のつながり方を表してました。
3「ジ・オーディエンス」日本ではあの会話は全くわからないと思うけど、役者がいいと機微で笑和せる。
4「誰もいない国」その場で役者が隙間を埋めていく脚本です。セリフにバックストーリーがあり人物の歴史が込められているが、イアンとパトリックがその隙間を全部埋めていました。
そもそもイギリスの芝居の作り方は2週間(脚本の)読み合せ(椅子に座ったまま読む)をして、その時にその人物が何をしてどんな格好しているのか細部まで具体的に決めていくんです。
日本の蜷川さんなんかは、顔合わせたらもう初日から立ち上がって演技を始めるんですが、イギリス式は「リアリズム追求」だと言ってました。
(*この辺りは、青木さんと河合さんお二人で話されていました)でも日本の舞台人がそれをやっても、マネは本家を超えられないんですね。それにイギリスの演劇学校のメソッドは共通しているものがあり、共通言語があるのだけれど、決まっているだけに特異なものは生まれにくい。その点日本の演劇界だと突然変なものが出てくることもあるわけです。(*この話、日本のファッション界の事情にも似てると思いました。洋服の歴史では西洋を超えることはできない日本のデザイナーもアヴァンギャルドをやると世界で認められる人も出ます。やはり西洋文化は日本人にとって他人の土俵。)
5「深く青い海」
あと「リア王」の痴呆症という解釈についてですが僕は違うと思います。現代では認められなくなった「王の権威」にしがみつく父親と現代的価値観の娘との世代間のギャップです。
だいぶ長くなってしまったので「Q&A」は③に続けます。