シェイクスピア作品は、去年没後400年記念ということでずいぶん話題になったので、新旧取り混ぜて色々と目に耳に入り、正直何を見て何は見てないのかわけが分からなくなっていました。
その中ではっきり覚えていたのがこちらのテレビ映画。製作総指揮がラッセル・T・ディヴィス、ドクター・フーを復活させたオタクの偉い人だからです。
と言いながらも、特に好きな俳優さんも出てないし・・・と後回しにしていたら、日本語字幕付き円盤をお借りする機会が得られ、ありがたく鑑賞できました。
そして、DVDカバーは他のシェイクスピア作品に紛れ込むような、いわゆる「真夏の夜の夢」の典型的な絵なのに、蓋を開けてみたら、そうじゃない部分ばかりが楽しかったです!
「真夏の夜の夢」は、ここ1~2年の間にジュリー・テイモアの舞台映像とオックスフォード大学演劇協会による舞台を見ていて、もちろんそれぞれ演出は違いながらもストーリーは伝統的な解釈だったのが大変にラッキーでした。
ラッセルはいわゆる伝統的なそれぞれの登場人物の役割やイメージをかなり変えていたからです。
1番の違いは人間界のアテネの侯爵様とその妻になる予定のアマゾンのヒポリタのキャラクター設定でしょうか。アテネ公国が20世紀ナチスドイツのようなのに偉そうなiPadがストーリーを進めるのにいい道具になってるのも可笑しかったw
それに人間のハーミアとライサンダーはこの劇の中ではいわゆる典型的な美男美女タイプのルックスで現れるのに、ハーミアは背は低いけれど結構歯をむき出してガーガーしゃべるような女の子だし、ライサンダーなんてコミコンのお客さんみたいなナードなメガネ君だし。とても両家のお嬢様が駆け落ちしたくなるタイプじゃないの。
ロバになるマット・ルーカスはこの話で1番カワイイキャラだけど、ロバというより白豚。
侯爵夫婦も妖精王夫婦も、権威のある男らしい男の意味がなくて女たちはよろしく幸せになるし、
役割とか美醜の既成概念をことごとく突き破ってました。
ただ、惜しいのは、パックも既成の愛らしさがなくて、いたずらな妖精というよりも、美女の上にしゃがみ込むケン・ラッセル「ゴシック」の小鬼みたいだった・・・ここだけは既成のパックを打ち破りながらもかわいいキャスティングをしてくれたらよかったのに。