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ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

肉体を盗んだ魂(22)

2016-09-04 22:49:52 | 小説
「私もなんだか気が抜けちゃってね。別に今まで弟のために生きてた訳じゃないんだけど。いなくなられちゃうと辛いね、ほんと。母は余計にそうだと思う。一応、仕事は続けているけど、なんだか抜け殻になっちゃったみたいで・・・」

「仕方がないんだよ。あんたたちが小さい頃に父さん亡くしてからは、私が何とか育てなくちゃって強く思っていたし、またそれが生きがいだったから。何のためにここまで頑張ってきたのか分からなくなっちゃってね」

母は力なく言った。母さん、俺は今も生きているよ、しかも目の前にいるよと叫びたかった。



「それにしても、女の子が一人でここに来るなんて珍しいわね。あっ、珍しいというより、初めてかな。もしかしたら恋人?な訳ないか。あなたみたいな可愛い子、一成とじゃ釣り合わないもんね」

姉は僕の顔を見つめて言った。

「いえ、まあ友達というか仲田君とは波長が合うような気がしていたんです」

「友達以上、恋人未満ってとこ?」

「まあ、そんなところです」

「弟のこと、忘れないであげてね」

「分かりました。忘れません。あの、私、そろそろ帰らないと」

「夕食でも食べていけばいいじゃない」

「いえ、ちょっとこの後、アルバイトもあるので」

「ああ、そうなんだ。それは残念ね」

「あの、最後に仲田君の部屋、見せてもらう訳にはいかないでしょうか」

「ああ、全然構わないわよ。狭くて汚いけど」



姉に導かれ、僕は久しぶりに自分の部屋へ入った。

「あえて片付けたりしないんだよね、母も私も。それどころか、めったに入ることすらない。この部屋を開けさえしなければ、あの子が部屋の中にいるような気になれるの。きっと母も同じだと思う」

「そうですか」

僕は慣れ親しんだベッドや机にさりげなく触り、別れを告げた。



「それでは失礼します。お邪魔しました」

「今日は有難う。気をつけて帰りなさいよ」

母の母らしい言葉が聞けた。それで満足だった。

「さようなら」



かつての自宅から出ると、陽はすでに大きく傾いていた。見慣れた風景。もう二度と見ることはないだろう懐かしい風景。

「さよなら母さん。さよなら姉さん」

しばらく歩いて、団地から少し離れた後、僕は呟いた。





肉体を盗んだ魂(21)

2016-09-04 21:51:44 | 小説
「ええと、私、仲田君の大学の知り合いの者なんですが・・・」

「ああ、そうなんですか。わざわざ来てくれたんだ。さあどうぞ、あがって」

姉は懐かしい笑顔を見せた。

「は、はい。お邪魔します」



導かれた居間には母が座っていた。

「あの、こんにちは。仲田君の友人だった松本と言います」

「こんにちは。息子のためにわざわざ有難うね。いま、お茶入れますから」

母は穏やかな口調だった。

「どうぞお構いなく」

僕は仏壇の前に座り、自分の写真を前にして線香を上げ、手をあわせた。



「息子は、一成は馬鹿です。せっかく、あんなに大きくなって、大学にまで進学して、これから本当の人生が始まるという時に、一瞬の不注意で。赤信号なのに無理やり渡ろうとして。赤信号なのに」

母は少し感情的に語気を強めて言った。



「きっと急いでいたんだと思います。確か、あの日は1限から授業があって。それに遅刻に対して厳しい先生だったので」

「本当に馬鹿よね。でもかわいそう。生意気な弟だったけど」

姉が紅茶と洋菓子をテーブルに乗せた。



「でも、私もたまにあります。どうしても急いでる時に、信号を無視してしまうことって。だから仲田君はよほど運が悪かったのだと思います」

僕は少し反論口調になっていた。

「だったら今すぐやめなさい。息子だってその日たまたまだったかもしれない。命より大切な用事なんてないでしょ」

「そうですね。私もこれからは気をつけます」

「若い人は死んだら駄目。ましてや前の日まで健康だった人間が、次の日急に死んだら周りはどれだけショックを受けるか。松本さんにもご両親がいらっしゃるでしょ」

「はい、いますけど」

「ご兄弟は?」

「弟が一人います」

「だったら、命は自分ひとりのものじゃない事を強く自覚したほうがいいと思うの」

母は目の前の女子大生を諭すように言った。



肉体を盗んだ魂(20)

2016-09-04 21:44:01 | 小説
日曜日の午後、梅雨の晴れ間の貴重な日差しを浴びて、僕はとぼとぼと歩いている。あてもなくというよりは、目的地を定めている。どうやら美由は傘を差したいらしい。「この季節の紫外線は凄く強いから」というが、僕は耳を貸さない。



10分、15分と歩み続けているうちに、随分と近づいた。年季の入った団地が視界に大きく飛び込んできた。僕の実家がその一角にある。歩みはさらに弱まり、目前にして止まった。覚悟が決まらない。今度は団地の周りをぐるぐると回り始める。1周、2周、3周目に入ったとき、これで終わりにしようと心に決めた。



意を決して、2階の左端、仲田家のインターフォンを鳴らす。誰が出てくるだろうか?誰も出なくていい。逃げ出したい気分に襲われる。帰ろうとして方向を変えた時、ドアが開いた。



「あの、どちら様でしょうか?」

懐かしい姉の姿があった。

肉体を盗んだ魂(19)

2016-09-04 21:31:17 | 小説
それでも僕は、スーパーでのアルバイトを辞める事はなかった。まだ始めたばかりだし、せっかく慣れてきたのだからもったいない。

「まずは8000円と、675円のお返しになります。有難うございました」

あいにくの雨のせいか、今日の店内は比較的すいている。「お客様、どんどん来てもらって構いませんよ」。そんな感じだ。



ようやく一人の中年女性がレジ前に流れてきた。やや小太りで丸顔。少しうつむき加減だ。まさかと思った。しかし、お釣りを支払う時に目が合い、気付いてしまったのだ。僕の母親だ。



勿論、母は僕を僕と思うはずもなく、テーブルの上で、カゴから袋へ品物を詰め替えていた。僕はただその背中を、懐かしく悲しい背中を見詰めていた。去っていく母を消え入るまで目で追った。



まさかこの店に来るとは予測していなかった。思いがけず母に会えた。しかし、息子と再会したことを母は知らない。複雑な気持ちだ。じわじわと里心もこみ上げてくる。もう一度ゆっくり話をしてみたい。姉の顔も見たい。でも実現は困難だ。たとえ実家を訪ねて、会えたとしても、話せば話すほど僕は傷つく事になるかもしれない。



それにしても何故、母はここへ来たのだろう。家の周りにいくつかスーパーはあるはずなのに。今日は運が悪かった。このまま新しい生活に集中する事で、何とか過去の記憶を消し去ろうとしていたのに。でも、もう無理だ。何で来るんだよ。とにかく僕は見てしまった。母の顔を。背中を。