SJesterのバックステージ

音楽関連の話題中心の妄言集です。(^^)/
もしよろしければ、ごゆっくりどうぞ。

ムフフ・・・なジャケット vol.2

2007年03月08日 00時01分19秒 | ピアノ関連
★組曲「イベリア」
                  (演奏:ジャン=フランソワ・エッセール)
 《第1集》
1.エポカシオン
2.エル・プエルト
3.セビーリャの聖体祭
 《第2集》
4.ロンデーニャ
5.アルメリーア
6.トリアーナ
 《第3集》
7.エル・アルバイシン
8.エル・ポロ
9.ラバビエース
 《第4集》
10.マラガ
11.ヘレス
12.エリターニャ
                  (1993年録音)

今日はあることを検証しなければなりません!

かねてから“記事を垂れ流している”と申し上げているとおり、このブログではあまり読み手の皆さんのことを考えずに投稿を続けているのですが・・・とはいえ、やはりどれだけの皆さんにアクセスいただいたかということは気になるものです。
10月下旬から続けてきて、だんだんアクセス数が増えてくるにしたがって“目にしていただいている機会が増えているんだな”、“継続は力なりだな”などと他人事のように思っておりました。

ところが、先の“ムフフなジャケット”前後から一挙にこの数字がハネ上がったのです。
あの記事にはコメントはいただいていないのですが、もしかして、実は皆さんの目には興味深く映っていたのではないのか・・・?


このところ投稿している記事は、礒さんのバッハコンサートを除けば東京漫歩など音楽からチョイと離れている(とはいえ“さだまさしさん”の楽曲解説というかチャチャはあったけれど)話題が中心になっているところなので、この現象をどうとらえたらよいかを調べたいわけであります。

要するにジャケット写真の記事がみなさんの関心を引いたのか、礒さんのファンの方がいらしてくださったのか、東京をふらついているようすを“くすっ”としながら見てくださっているのか、はたまた“さだまさし”さんの霊験があらたかなのか・・・検証してそれで今後の記事がどうなるわけでもないとは思いますが・・・。

というわけで、U18禁ジャケット編第2弾はクラシックのディスクの特集にしたいと思います。

まず、このエッセールのアルベニスのジャケットは、背筋の反らせ方がよろしいですな・・・などとおっぱじめると、単にオヤジのホザキになってしまいますので、音楽について語りましょう。

“音楽ブログ”なんですから・・・。って、もう信じてない人もいるかもしれませんね。

アルベニスは“イベリア”の作曲者であるとおりスペインの作曲家です。
リストとも親交があったというか、リストの前で即興演奏をして褒められあれこれ質問攻めにされたなどと威張っている、ちょいと鼻持ならないヤローであります。
この作品はとんでもなく音符が多そうだなという感想を持ちますが、それ以上にスペインを感じさせ、素晴らしい演奏効果を発揮する楽曲です。

アリシア・デ・ラローチャも何度も録音していますし、それこそチリ出身のクラウディオ・アラウに全曲録音をするようにと勧めていたなど、スペインに何がしかの所縁のある人には思い入れの深い作品なんでしょうね。

エッセールの演奏は、ラローチャやバレンボイムのようなキャッチーな感じではありませんが、本当にきちんと弾けているというか、曲の実力がはっきり出た演奏だと言ってよいのではないでしょうか?

1集から4集にいくにしたがってだんだんに音数が増えていくというのは、この演奏で聴くとよくわかります。やっぱり、3・4集は音数多すぎというかせわしないというか忙しいですね・・・。
それでも“セビーリャの聖体祭”“ラバビエース”など特に世評の高い作品は、旨みというかコクというかがあってキレがある曲であるとは思いました。

この曲を聴く際にはまずエッセールから聴いて、ラローチャにせよ誰にせよを耳にしたならホントにこの曲の真価がよくわかるのではないかと思います。
私は岡田博美さんの演奏が気合入っていて好きなんですけどね。
でもラローチャはさすがです・・・。

★シューベルト:ピアノ・ソナタ第20番/楽興の時
                  (演奏:オルガ・トヴェルスカヤ)

1.ピアノ・ソナタ 第20番 イ長調 D.959
2.楽興の時 作品94 D.780
                  (1995年録音)

次はこの“西洋の弁天様”とでもいうべき独特な雰囲気のジャケット!
このお顔はオリエンタルなある種の菩薩像を思わせますな。西洋ではアンニュイな表情とでもいうお顔なのでしょうが、頬にさす紅色といい、たまりませんな。

これ以上言うとまた“おじさん化”してしまう(既に“おじさん度”120%かもしれませんが・・・)ので・・・とはいうものの、魅力的な女性に世の東西はあまり関係ないかもしれませんね・・・などとやっぱり言ってみたりして・・・。


これはロシアの女流奏者トヴェルスカヤ嬢のデビューアルバムでした。
そのころのインタビューで「時代楽器に触れて初めてシューベルトが分かった」と言っていたと思います。
その言葉がまったく誇張に思われないほど、このD.959の演奏は時代楽器なればこそ、そしてトヴェルスカヤなればこその演奏です。
初めて聴いてカンゲキしましたが、その理由は温度感。
音色の温かさもさることながら、弾きかたの間が濃やかで非常に多くの情報を感得することができます。

このディスクのレーベル“Opus111”はこのころヴァイオリンではファビオ・ビオンディ、チェンバロではアレッサンドリーニ、ピアニストではクリゴリー・ソコロフなどを相次いで発掘してディスクを世に問うていたころ・・・。
創立者の“ヨランタ・スクラ女史”のアーティストを見る確かな眼に、巷は敬服していました。
トヴェルスカヤはスクラ女史の眼に適い、見事にこれに応えたアーティストでした。
スクラ女史が引退してレーベルをどこかに譲って後ちょっと尻すぼみなのは残念ですが、このころ活躍のチャンスを与えられたアーティスト達は概ね今も第一線で活躍しているようなので安心しています。
ただ、このトヴェルスカヤが今どのような活動をしているかは、なかなか聴こえてこないので残念なんですよねぇ~。
ぜひとも、新しいレパートリーを引っさげて我々の前に出てきて欲しいピアニストであります。


★ショパン:4つのバラード・4つのスケルツォ
                  (演奏:スティーヴン・ハフ)

1.バラード 第1番 ト短調 作品23
2.スケルツォ 第1番 ロ短調 作品20
3.バラード 第2番 イ短調 作品38
4.スケルツォ 第2番 変ロ短調 作品31
5.バラード 第3番 変イ長調 作品47
6.スケルツォ 第3番 嬰ハ短調 作品39
7.バラード 第4番 ヘ短調 作品52
8.スケルツォ 第4番 ホ長調 作品54
                  (2003年録音)

最後はキューピッドとプシュケを描いた画像をジャケットに配したハフのショパンです。
なんといってもキューピッドの羽が“ふんどし”になっているところが、気が利いていてよろしい。

ところで、ミケランジェロの“最後の審判”には作者の死後、衣が後から他人の手によって書き加えられているらしいですが、その画家は可哀そうなことに“ふんどし画家”と呼ばれたそうですね・・・青池保子さんの“エロイカより愛をこめて”で読みました・・・。もちろん日本語でそう言われたわけではないでしょうが・・・。
バチカンのシスティーナ礼拝堂でこの作品の修復が行われたときにも議論があったようですが、全部の衣装を剥ぎとることはしなかったそうですね。
そりゃ、裁きをするキリストがフル●ンというのも・・・。


往々にしてハフの演奏はジャケットのキューピッドにもにて強引です。
このディスクも例外でないという以上に、いつになく強引です。どのように強引かというと、恐ろしくスタイリッシュに弾いているのです。およそ気位が高いというどころではなく、ナルシスティックなまでに高貴に徹しているようにも感じられます。でも自分の演奏に陶酔したりはしていません。恐ろしく冷静に自分の演奏を見ています。
そしてその高貴さは生まれ持ってのものではなく、徹底した彼の美意識に基づく自己抑制の下に表現されています。なかなか尻尾を出しません。むしろここまで高貴に感じさせられたら本物と言っていいのかもしれません。
秀吉やナポレオンを髣髴させる成りあがりぶり・化けぶりであります。

ここに記したことはネガティブな表現に見えるかもしれませんが、決してそんなことはありません。
音色は美しい、解釈には独自の美学を感じさせる、演奏は冷静にコントロールされていると書いたならすごく褒めているように思うでしょ・・・。

この演奏、隙がないんです。
でも、自然に弾けばと思うところを、美学に照らして気取った身振りを感じさせるように弾いていたりする。
それでもそれが隙だと思えないぐらいキマっているから、厄介なんです。
でも出自はゼッタイこの演奏で彼が振舞っているほど上流階級ではないはず・・・。

バラード2番の最初の音色や、スケルツォ2番のカンタービレ(この部分で際立たせる内声の音色も)などは、ホントに余人をもって替えがたい素晴らしい瞬間なんですけどねぇ。
そればかりか「もっともショパンのバラード・スケルツォで充実した作品集をあげよ」といわれたら、美学を追求している人にであればまっ先に推してもいいと思うほどの出来栄えなんですけど・・・。

どうしても自分に間違いはないと、根拠のない自信を持っているナルシスト(おそ松くんに出てくる“イヤミ”のような)が、緻密な計算と恐ろしい訓練のうえで現出させている絵空事のように思われてしまうのはなぜでしょうか?


私の中で評価が最も難しいディスクのひとつです。

でも間違いなく評価できることは曲順。
作曲年代順に並べることで、とても収まりはよくなっているのではないでしょうか?

さすがハフ、よく考えていますね。
彼とてもバラード→スケルツォの順は変えていないですが、私なら1番と2番はスケルツォを前にするでしょうね・・・。


「そこまで言うなら自分で弾いてCDを出せ」ですって!? 

   “シェーーーーーツ!!”


さあ、この記事はみなさんにどのように受け止められるのでしょうか? (^^)/