SJesterのバックステージ

音楽関連の話題中心の妄言集です。(^^)/
もしよろしければ、ごゆっくりどうぞ。

似非“鳥の歌”

2007年03月19日 00時12分59秒 | その他
★エブリボディ・ディグズ・ビル・エヴァンス
                  (演奏:ビル・エヴァンス)
1.マイノリティ
2.ヤング・アンド・フーリッシュ
3.ラッキー・トゥ・ビー・ミー
4.ナイト・アンド・デイ
5.エピローグ
6.テンダリー
7.ピース・ピース
8.ホワット・イズ・ゼア・トゥ・セイ
9.オレオ
10.エピローグ
                  (1958年録音)

前回は“バード・サンクチュアリ”ということで、鳥の種類を観察する方向に話を進めてしまったので、あまりこのブログらしくなかったかもしれません。


しかし、前回記事では3種のディスクの紹介をしたとはいえ、ものすごく久しぶりだなと思い直した私・・・。

なぜかというと、ブログ編集画面の画像ホルダーの写真がひどく多様性を帯びているのに気づいたからです。
ちょっとご説明すると、プログを作成し写真を掲載する場合には、まず写真のイメージをいったんブログを編集する画面の画像ホルダーにアップロードします。gooブログの場合画像ホルダー1頁に直近の15枚が表示されるのですが、その写真の何と多様なこと・・・。

音楽ブログといいながらCDのジャケットの写真がぽつぽつとしかなかったら、やはり考えてしまいますよねぇ。
11月ぐらいは何ページにも渡ってリストの曲が収められたディスクの写真が続いていたわけですから・・・。う~ん、音楽ブログしてたなぁ~・・・。

このところの写真は、花の写真はともかくとして、東京の風景であったり、テレビに折り紙・・・果ては『パン※』まで!!



はい!!
     いま『パン※』に入る言葉はナニを連想されましたか?     正直に思い出してください。

えっ、もしかして・・・まさかネ!?  (^^)/



さてさて、“鳥の歌”といえばまずは若き日の杉田かおるさんの名唱があげられましょうが、それと並んで称されるのが大チェリストにして指揮者のカザルス編になるカタロニア民謡がありますね。
人によっては、この順が逆になる人もいるかもしれませんが、そんなことはこの際大した問題ではないということで・・・。

さて、残念ながらいずれの“鳥の歌”もCDではもちあわせていないので、ここでは代わりのディスクを紹介しようという趣向であります。


ここまで書いたところで既にネタバレを起しているかもしれませんが、選曲のタネあかしをします・・・。

カザルスはスペインのフランコ政権独裁に反対し、「これが解消されるまで(フランコ政権を承認する国での)自身の公の席でのチェロ演奏を封印する」としていたようですが、まず1961年にケネディ大統領の考えに感じホワイトハウスでの演奏会を行い、そのアンコールで自身の編曲した“鳥の歌”を演奏したということのようです。

その10年後1971年に国連の招待演奏において、演奏前に雄弁なジェスチャーを交えて以下の通りの有名なコメントを残しております。その後にやはり“鳥の歌”を演奏し、全ての聴衆をコメントとともに感動させたということらしい・・・。


 “私の国の鳥は“ピース・ピース”と鳴くのです。”


 ♪~  あ~ だから ビル・エヴァンスぅ~  (IQ都道府県ではありません・・・)

このように感動的な話の前では、いささかのスペリングの間違いなど大きな問題ではない!(小泉首相ではありません・・・)

というわけで、ビル・エヴァンス畢竟の名演であるこの“ピース・ピース(Peace Piece)”を収めたこのアルバムには、ジャケットにマイルス・デイヴィスやらアーマッド・ジャマルの賛辞が書いてあることも話題です。
当のエヴァンスは「ウチのお袋のコメントも載せておけば・・・」とコメントしているようですが、これは彼一流の照れ隠しなのでしょう。

そして、この直後にマイルスのコンボに9ヶ月間加わり“カインド・オヴ・ブルー”の制作を含めモード・ジャズを確立していくわけであります。
この演奏と“カインド・オブ・ブルー”でのそれを比べると、いかにエヴァンスが長足の進歩を遂げていた時だったのかが実感として分かります。
エヴァンスが特別変化したわけでないというのであれば、“カインド・オブ・ブルー”があれほどまでに異彩を放つ永遠の名盤となったのは実力者がコラボレートした時の幸福な相乗効果なのでしょうか?
もちろんその最大の功労者のひとりがエヴァンスであることに疑いはなく、マイルス名義の作品でありながら、私などはエヴァンスのほうに圧倒的な存在感を感じてしまいます。

この後、エヴァンスはスコット・ラファロとポール・モチアンというパートナーを見つけて、リヴァーサイド・レーベルの白眉である一連の録音を遺したのであります。

このディスクのジャケットのコメントに戻りますが、そのマイルス・デイヴィスは「エヴァンスはピアノをこう弾かなきゃいけないという風に弾く」と紹介しています。でも、このアルバムの演奏を聴く限り、私にはエヴァンスらしさはまだまだ形成途上だと思われます。
ソロ・ピアノによる演奏であれば、デビュー・アルバムの“マイ・ロマンス”からして唯一無二の個性を顕していたとおり、ここでも“ラッキー・トゥ・ビー・ミー”なんかはこれぞエヴァンスという感じですけどね。

やはりこのアルバムの白眉は“ピース・ピース”であるというのが、衆目の一致したところなのでしょうね。
私もそう思っていますから・・・。

“サム・アザー・タイム”の左手伴奏が延々繰り返されるのに乗って、右手が自由に飛翔していく・・・たぶん半分正気で、半分夢見心地ってな感じでエヴァンスが即興演奏の世界に遊んだ記録なんでしょうね。
後年エヴァンスが「ファンからレコードの通りに弾いてくれというリクエストが多いが、意識してあんな心境になって弾くことなどできないから無理だ」とこぼしているインタヴューを読んだことがあります。
「そりゃそーだ!」と私は納得してしまいました。

このトラックは、たまたまテープが回っていて録音できたというエピソードを聞いたこともありますが、本当にラッキーだったと思います。
逆の例としては、先に出てきたマイルス・デイヴィスは彼のコンボで“ネフェルティティ”を録音したときに、最初のテイクで最高の演奏が出来たと喜んでいたら、録音技師が聞きほれてしまっていてスタートボタンを押してなかったというエピソードがあるらしいし・・・。(^^)/

併せて、この録音はエヴァンスがクラシックの素養を充分に備えていることを如実に示した演奏でもあります。
つまり、左手が終始繰り返しの伴奏で右手が変奏曲のように同じモチーフを自在に展開していく・・・といえば、ショパンの“子守唄”のスタイルそのものでありませんか?
そして音の選び方についてはかねて指摘されるように、ドビュッシーの影響がモロに現われています。
これが“半睡半醒”の状態でこれだけ自在に弾き表せるというのは、やはりエヴァンスの立っている地平にはクラシックの肥沃な土壌があって、そこから新しい音響の世界を求めていったのだな・・・なんてね。

とにかくご存じない方には、ぜひとも一度お聴きになってみてはと申し上げたい曲であります。

★幻想飛行
                  (演奏:ボストン)

1.宇宙のかなたへ
2.ピース・オブ・マイ・マインド
3.フォープレイ/ロング・タイム
4.ロックンロール・バンド
5.スモーキン
6.ヒッチ・ア・ライド
7.サムシング・アバウト・ユー
8.レット・ミー・テイク・ユー・ホーム・トゥナイト
                  (1976年)

ボストンのデビュー・アルバムです。
ここに出てきた理由は、2曲目が“ピース・オブ・マイ・マインド”とピースがらみであるためです。“PEACE”のほうね。

でも、このアルバムを聴いた時(セカンドの“ドント・ルック・バック”も一緒に聴いたんですけど)にはとんでもない衝撃を受けましたですねぇ。
とにかくカッコいいもん!!
マサチューセッツ工科大学卒業で博士号をも持ったトム・ショルツの音を具現化するためのバンドということなんですが、まずギター・オーケストレーションがスゴイ。さらには、トム・ショルツのオルガンもメチャクチャうまい・・・。

完璧主義で恐ろしく長い時間レコーディングに、さらにはミックスダウンに費やすということで、いろいろトラブっていましたね。待てど暮らせど、この次のレコードが出てこないことをずっと残念に思っていましたっけ。
果たしてその後“サード・ステージ”というアルバムが出たら、ファースト・シングルの“アマンダ”があっという間にチャートのナンバーワンになっちゃったんでしたよね。
とにかく、伝説のバンドであることに間違いありません。恐ろしくワン・パターンを貫いたバンドでもありましたけど・・・。
裏を返せば、それだけ最初から完成されていたということでありましょう。

冒頭のナンバー“宇宙の彼方へ”の“モア・ザン・ア・フィーリーング”と歌われるどこまでも伸び行くヴォーカルから、幻想飛行を楽しみつつ最後まで爽快に聴きとおせる一枚であります。

★PIECES OF A DREAM
                  (演奏:ケミストリー)

1.PIECES OF A DREAM
2.TWO
                  (2001年 マキシ・シングル)

今度は“PIECE”のほうネ。これで、“Piece Piece”の完成!! (^^)/ 
この曲を初めて聴いた時には、我が国を代表する新しい男性デュオが誕生したと思ったものです。
もはやこれ以上私がご紹介することはないでしょう。むしろ、この記事をご覧になっているみなさんのほうがお詳しいでしょうから。


★カザルス:ホワイトハウス・コンサート
                  (演奏:パブロ・カザルス、ミエチスラフ・ホルショフスキー、アレクサンダー・シュナイダー)

1.メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲第1番 ニ短調 作品49
2.F.クープラン:チェロとピアノのための演奏会用小品より
3.シューマン:アダージョとアレグロ 変イ長調 作品70
4.鳥の歌 ~ カタロニア民謡 (カザルス編)
                   (1961年ライヴ録音)

この記事を書き始めたとき(実は2月)には聞いたことがなかったのですが、たまたま会社の同僚と音楽談義をしたところお持ちでいらっしゃって、お借りできちゃいました。なんとグッド・タイミング! (^^)v
ありがたいことです。エセではなく正真正銘の“鳥の歌”がご紹介できるという意味でもネ。

さて、その演奏ですが驚嘆したことが2つ。
まずはテクニカルな面についてなのですが、アンサンブルが縦・横ともにほつれたり(メンデルスゾーンの第4楽章など)してるような気がしたり、最近の正確さを売り物にした演奏に慣れてしまっているとアレっと思ったりして・・・。
もうひとつは、そんなこと全く関係ないといわんばかりの説得力です。

哀切の情の深さ、演奏に際して呻き声も聞こえるのですが、グールドのそれとは違ってまったく気にならないばかりか、チェロから溢れる憂愁の想いをいや増しているようにも思えてしまうのですからパラドキシカルです。ホントに、伝わってくるものの切実さ、重さは尋常ではありません。

世界情勢の混沌を認識しヒューマニズムを痛切に希求するカザルスのその気持ちが、時間と空間を越えて音盤を通して私にそう語りかけてきているのでしょうか?
いずれにしても想いが伝わるかどうかの境目は、決して技の巧拙だけによるのではなく、結局はその“想い”自体の強さと気高さ・・・なんでしょうね。

この盤の前では、ひたすら頭を垂れてようと思った私なのでした。


《追伸》
でも、メンデルスゾーンの三重奏曲で楽章が終わるごとに拍手が入っているのはなぜだろう?
このころは、楽章が終わるごとに拍手をするのが通例だったんでしょうか?
それとも、聴衆がわきまえてなかったんだろうか・・・。でも、聴衆の中には当時の楽壇の最高峰の方々も名を連ねていたはずなんだけど・・・。
・・・そっか、中には知らない人もいたということ・・・なのかもしれませんネ。

いずれにせよ、そんなこと気にするまでもない演奏内容であることは、先ほど述べたとおりです。
えっ、オマエは気にしてるじゃないかって?

いえ、そんな、決して、メッソーもありません・・・。