鹿児島市池ノ上町にある福昌寺跡(島津家墓地)を紹介します。玉龍高校の裏にあります。
福昌寺跡入口。
福昌寺は、1394年、島津家7代元久が建てて、島津家の菩提寺となった寺院です。1500人の僧侶がいる広大な寺院だったそうです。明治2年の廃仏毀釈で、廃寺となりました。
入ってすぐのところに、亀の背中に乗った石碑があります。
歴代藩主や奥方などの多くの墓と、石造物があります。
前の写真の奥に見える久光の墓。藩主の墓は、このような形が多いです。
立派な石灯籠がたくさん並んでいます。
観音像。
鳥居のある墓所もあります。
島津家の紋である丸に十の字の手水鉢。
大きなソテツの木がありました。
広い墓所を散策しました。
藩主の墓が3つ並んでいます。墓のところに案内板はなく、入口にあるだけです。
三重石塔です。
宝塔。
立派な六地蔵塔が3つ並んでいます。
六地蔵塔の上部。
階段を登ったところにあるキリシタン墓地。
明治新政府はキリシタンを弾圧し、明治3年、鹿児島藩に375人が預けられ、旧福昌寺に収容されましたが、寛大な対応をされました。
キリシタン墓の碑。
キリシタン墓地ですね。
新政府に対して薩摩は寛大だったのですね。
新政府も残ったものも同じ仲間なのに、対応が違ったのですね。
興味深いです。
こんばんは。
他の藩に預けられたキリシタンは、残酷な仕打ちを受けたところもあるようです。
ほかの宗教に対しても、寛大だったんですね。
西郷さんが、山形藩に寛大だったのと同じですね。
今までよく知りませんでした。
帚木蓬生著 【守教】を読んで驚きました。
ザビエルが鹿児島に来た時からのことや
慶長遣欧使節
後半になると弾圧・・・
想像を絶する方法ですね~
鹿児島のザビエル聖堂を移築した 鹿児島大学名誉教授土田氏
の引率で大刀洗町 今村カトリック教会に行ったことがありますが
隠れキリシタンの里でした。
鹿児島に行くことがあったら お参りしたいです。
知りました。
この地では隠れキリシタンがいなかったの
でしょうか?
こんばんは。
戦国時代や江戸時代のキリシタン弾圧は聞きますが、明治になってもあったんですね。
鹿児島には、よその藩のキリシタンが連れてこられたようです。
廃仏毀釈の後ですが、まだ寺は残っていたんですね。
土田先生、活躍されていますね。
こんばんは。
鹿児島では、浄土真宗の隠れ念仏洞はありますが、隠れキリシタンは聞いたことがありません。
ここには、よその藩のキリシタンが連れてこられたようです。
寛大な対応をされてよかったです。