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冉雲飛:「愛国者」の17大自由

2008-04-23 22:32:52 | 中国異論派選訳
冉雲飛:「愛国者」の17大自由

(カッコ内は基本的に訳者の補足もしくは注釈)

 私は国と共産党政府が同じではないし、それがあるべき状態だということを知っている。しかし、目下の中国の実態、つまり国が党に置き換えられ、差し替えられ、乗っ取られている現状では、国の心臓は政府であり、その魂は党である。ゆえに中国の今日の現実の環境と文脈のなかでは、愛国は多くの場合愛党であることが避けがたい。君が認めるか否かにかかわらず、それこそが非理性的な愛国のごまかしである。ごまかしであることを認めず、理非曲直を問わずに愛すれば、逆にこの「国」は君を売り渡すだろう。以下に愛国青年たちが多分意識していないごまかしについて述べる。政府は第17回共産党大会を開いたばかりなので、17個の大きな自由について述べよう。当局が17回しか大会を開いていないのに、君が18大自由では僭越すぎるだろう? 庭で8列で踊っても我慢できるだろうに、いったい誰が我慢できないんだ?(旧時何事も皇帝を越えてはならないことから共産党を皇帝に例えての皮肉)

 もちろん国を愛してもかまわないが、冷静にしかも理性的に愛さなければならない。今日の愛国のおかれた境遇に冷静な認識があってはじめて、安替(人名)が言うように盲目的に「(国をさかのぼって)夏商周までも愛する」ことにならずに済むだろうし、さらに「変態になるまで国を愛する」ことも避けられるだろう。言い換えれば、「パトリオット」はやはり理性的でなければならず、自分をコントロールできない「スカッド」になってはならない。つまり、「パトリオット」が腹の底の「スカッド」を防ぎきれなければ、災いは大きくなりすぎる。もちろん、たとえ君が「愛国」熱に浮かされていても、私はその自由を尊重する。ただ私から見れば別によりよい愛国の方法と道筋があるから、残念でならない。それをはばかりなく述べて、皆さんの批判を仰ぐとしよう。

一、君には外国でデモをする自由があるが、国に帰ったらデモができない一層の「自由」がある。
 外国では君は意のままにデモができるが、我々のところでは連れ立って散歩すれば面倒なことになる(上海のリニア反対デモは「散歩」と称したが取り締まられた)。愛国の権利は君に与えられていないのに、許可も得ずに何で勝手に愛せるのだ? 君には異郷で国を愛する自由があるが、国に帰ったら国を勝手に愛してはならない自由がある。米国、フランス、イギリスなどでは大通りに出て君の国を愛する自由があり、当然国に戻ったらネット上で国を愛することもできる。

二、君には大衆の面前で外国政府とその国の指導者を指弾する自由があり、大衆の面前で自分の国の政府と指導者を指弾できない「自由」がある。
 80年代の政治ジョークを持ってこよう(原注:後ろの1文は私が加えた)。米国人にはホワイトハウスに行ってレーガンに毒づく自由があり、ソ連人にはクレムリンに行ってレーガンに毒づく自由があり、中国人には中南海に行ってレーガンに毒づくことができない自由がある。

三、君にはCNNを見ることができない「権利」があるが、CNNに抗議できる一層の自由がある。
 中国にはCNNのような軟弱者はいない。なぜなら中国には民間メディアはないからだ。当局の代弁者に抗議したらあとが恐ろしい。

四、君にはホームページを作ってCNNに反対する自由があるが、ホームページを作って人民日報に反対することのできない一層の「自由」がある。
 私たちには反CNNと同じように反人民日報の自由も必要だ。それこそがより深く国を愛する方法である。

五、君には紙面で台湾独立、チベット独立に反対する自由があり、結社や公共の場所での集会によってそれらに反対できない一層の「自由」がある。
 統一を主張して分裂に反対するのはきわめて愛国的なようだが、国は勝手に愛せるだろうか? 君には当局からどうやって愛するか指示されたことを守る「自由」しかない。

六、君には愛国の自由があるが、国には君を愛さない一層の「自由」がある。
 老舎の『茶館』で常四爺は言っている:私は大清帝国を愛したのに、誰が私を愛してくれただろう。

七、君には愛国の自由があるが、国には君に暫定居住証(市外や省外から来た人が一定期間以上滞在するにはこの許可証が必要となる)の手続をさせる一層の「自由」がある。
 愛国青年の一人なのに、きみはなぜ中国に暫定居住しなければならないのだろう? 暫定居住証を取得しなければいけない人間はみな国を愛していないのであろうか?

八、君には国外でのオリンピックの政治化に反対する自由があり、また国内で政府がオリンピックを政治化するのを支持する一層の「自由」がある。
 中国は一切の力を集中して大行事をやることができる。もちろんもっと一切の力を集中して人権を侵害して大行事をやるのに抗議する人に反対することもできる。

九、君には勝手にさまざまな情報にアクセスしてはならない「自由」があり、夫婦二人で家の中でポルノビデオを見てはならない一層の「自由」がある。
 テレビ映画ラジオ総局と新聞出版総署は愛国青年が必要とする自由を極致まで発揮させているから余計なことを言うことはない。

十、君には当局の駒になる自由があり、当局から気の向くままに捨てられる一層の「自由」がある。
 君が愛国反日デモをしようとして、当局が使えると思ったら、君にデモをさせる。何日かたって事態がコントロールできないと心配になったら、君の愛国の権利は剥奪される。この数日間は君の「愛国」感情を当局が許したから、君は意気軒昂だった。だがそれが過ぎたら当局はオリンピックのために収束を図り、ある意味で君に「愛国」を許さない。これこそが君の「愛国」に対する当局の態度だ。

十一、君には政府の言論を支持する自由があり、政府を批判する言論を発表して危険な目に遭う一層の「自由」がある。
 胡佳、郭飛雄たちが手本だ。手本の力は無限だろうか、それとも恐怖で肝をつぶすだろうか? もしいつか中国政府をほかの国の政府を批判するのと同じように自由に批判できるようになったら(実は中国では他国の政府を批判するのも自由ではない。官製メディアの外国版が口裏を合わせているのを見ればわかる)、愛国は筋の通ったものになるだろう。

十二、君にはおおっぴらに政府を称賛する自由があり、カゴの中で国を愛する一層の「自由」がある。
 ブッシュは、人類の偉大な成果の一つは、民衆が政府をカゴに閉じ込め、政府にカゴの中で従順に話をさせるようになったことであって、その逆ではないと言っている。

十三、すべて敵が反対することに対し私たちは擁護する自由がある。すべて敵が擁護することに対し私たちは一層の反対する自由がある。
 これは毛沢東語録の深読みである。

十四、君にはネット上で国を愛する自由があるが、禁止語彙があるために発表できない一層の「自由」がある。
 ネット上の愛国を含めて、たぶんみんな気まずい経験があるだろう。「愛国」でさえも自由でないのに、他は一体どうだろう?

十五、君には「聖火」を守る自由があるが、警察の付き添いがなければオリンピックを観戦できない一層の「自由」がある。
 「聖火」を守るために数十人の大男が要る。君のオリンピック観戦には数万の警官が要るだろう。堂々たる大国にふさわしい壮観だ!高くそびえて?広大で? まったく愛すべき国だこと。

十六、君には中国カルフールをボイコットする自由があるが、明日フランスに行って戻ってこない一層の「自由」がある。
 クリントンの北京大学での講演のときの「愛国者」馬楠を思い出してみよう。彼女が米国に行く早さは、彼女が米国を批判したときの激高よりはるかに印象深い。米国を批判したから米国に行くべきでないと言うのではない。しかし、少なくとも少しぐらいは言行を一致させるべきだろう。川劇(四川省の地方劇)の仮面早変わりよりも早くて、私のような頭の回転が速くない人間には理解できない。また、君がカルフールに行ってボイコットする自由はこの国を乗っ取った政府によって制止されるかもしれない。信じられなければ良く見ておいてほしい。私はカルフールボイコットに反対だ。私が思うにこのボイコットは実にばかげている。しかし君にはボイコットの自由がある。だが、この自由は時が来たら竹かごで水を汲むように空になるだろう。もう一度「愛国者」に言うが、国は気ままに愛したりはしない。

十七、君には西側の国に行って民主主義と自由を享受する自由があるが、中国には民主主義は向かないと主張する一層の「自由」がある。
 少なからぬ留学帰国者や非帰国者がこのように考えている。このような「愛国者」の比率は少なくない。たぶん彼らは自分の行動でそれを証明している。中国人は外国に行けたら既存の自由を享受できるが、自分の国では自由を勝ち取る努力ができないのだ。

2008年4月16日7時19分成都にて

原文:http://www.my1510.cn/article.php?b3d31e5aff7cd7d3