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みどりごを殺す「正義」はありや?
パレスチナ占領に反対します--住民を犠牲にして強盗の安全を守る道理がどこにあろう

森安孝夫:シルクロードと世界史(転載)

2006-08-22 20:04:20 | Weblog
近代の西欧国家、そして米ソ二極時代とその後のアメリカひとり勝ちの現状を見れば分かるように、生産力・購買力と並んで歴史を動かしてきた大きなモーメントは軍事力である。これまでの歴史は軍事的勝利者を中心に作られてきたのであり、その結果、世界史は欧米中心主義に席巻された。ヨーロッパ覇権以後の世界の「近代化」とは「西洋化」にすぎず、今や「グローバル化」は「アメリカ化」のことである。こうした現実がある時は積極的に、ある時はいささかの反発や冷笑をあびながらも受け入れられてきたのは、背景に経済力という名の軍事力があったからである。

ならば、近代以前において、地上最強の騎馬軍団を擁した遊牧騎馬民族が世界史の中に果たした役割が小さかろうはずがない。今や日本の東洋史学は、近代の直前に圧倒的な軍事力と経済力のもとに旧世界を「モンゴル=システム化」した事実があったこと、さらにモンゴル以前の二千年間、遊牧騎馬民族が世界を動かす原動力であったことを明らかにする段階に至った。


従来の歴史学は、近現代の国民国家や民族などという「結果」を固定的に捉え、その栄光の起源を求めて溯っていくというものであった。それゆえ、ほとんどが勝利者側、支配する側から見た歴史、具体的には欧米中心主義、あるいは中華主義的歴史であった。かつて華々しい活躍を見せた遊牧民族が今や野蛮人ないし非文化人の代名詞にさえなっているのは、ひとえに騎馬軍団が銃火器の前に屈服したからにすぎず、不公平このうえない。日本の世界史学に大きな可能性があるのは、第1に第二次大戦の敗戦によって帝国主義列強という欧米的勝利者の立場からおりたためであり、第2に近代以前の世界史をリードしてきたアジアからの視点に立てること、にもかかわらずアジアの雄であった中国の中華思想には束縛されていないこと、そして第3に東洋・西洋に偏らず原史料も研究論文も読む能力を備えたこと、第4に現地へのフィールド調査や原史料を所蔵する機関への出張を行なう経済力に恵まれていることである。

私たちは勝利者の立場からでも敗者の立場からでもなく、人類の歴史をその流れに沿って淡々と復元したい。民族や国家は、人類が農業を発明して以来、言語・宗教・文化が交錯する「インターフェイス(境界・接点)」な場(歴史空間)において生成・発展・消滅を繰り返すなか、時代と地域に応じてさまざまに形成されてきたのであり、今後も変化し続ける流動的な歴史的所産にすぎないと捉えるのである。

法学部出身者を中心とする日本の超エリート官僚たちが、わが国の東洋史学の到達点を少しでも認識していたならば、アメリカのアフガニスタン・イラク攻撃にたいする日本の態度も大きく変わったはずである。21世紀は人文学の学問的出番なのである。

このような視点に立ってこの研究グループが具体的にめざすのは次の2点である。

陸と海のシルクロード関係史料の収集・公開・分析と、多言語史料・映像資料を統合した新しい「世界史」研究法の構築。
上記の研究を中核とした最新の歴史学による、高校世界史教育を刷新する方法の開発・実践。

原載:
http://www.let.osaka-u.ac.jp/coe/interface_php/
japanese/ih/ih_group1_j.html