思いつくまま

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パレスチナ占領に反対します--住民を犠牲にして強盗の安全を守る道理がどこにあろう

東北アジアの歴史の共有を目指して

2005-05-24 21:02:10 | 雑感
5月24日に東京大学を会場に、上記のシンポジウムがあった。雑感。
1)前日の各国大使を呼んだ23日の議論はかみ合わなかったらしい。主権国家を主体とする利害調整はいよいよ難しくなっている。あるいは、主権国家はたとえそれがいかに徹底した民主主義国であっても、自国民にしか参政権が与えられていないがゆえに、原理的に多国間調整の機能が組み込まれていない。
2)個人主義(人間の社会における政治的価値の根元が個々の人間に存すると考え、何にも勝って個々の人間を尊重すべきものとする原理)に基づく相互対話が必要である。
3)そのためには、歴史の評価は別として歴史的事実についての共通資料が必要である。
4)第二次大戦は1937年から始まった中国本土の植民地化戦争と、1941年、それの行き詰まりの打開を狙って日本がはじめた米英など他の帝国主義諸国との植民地争奪戦という2つの性格がある。
5)東京裁判はその後者、主に植民地争奪戦について戦勝国による懲罰として行われた裁判である。
6)したがって、東京裁判で裁かれなかった植民地住民の被害について実態を明らかにし、共通認識のための事実資料に加えていく必要がある。
7)しかし、それは東京裁判を土台にしてその上に構築されるものではありえない。東京裁判は前述のように戦勝国による敗戦国に対する制裁であり、主権国家主義の原理に基づいている。戦争被害の事実究明は主権国家主義に視野から抜け落ちたからこそ取り上げられなかったのであり、個人主義の視点に立脚しなければならない。
8)東京裁判の行われていた正にそのときにパレスチナでは英米の支援と黙認のもとにヨーロッパ人シオニストによるパレスチナ人の虐殺と追放、土地の略奪が行われ植民地国家「イスラエル」が建国されたのである。このこと一つとっても、東京裁判の欺瞞性は明らかである。
9)「国民の視点に立った歴史」とは主権国家主義の歴史観である。そして、それは、主権国家主義による大日本帝国の断罪の基準となった審判基準がその後、旧戦勝国には適用されず、なんら普遍性を持たなかったことに対する不満を一つの背景にしている。
10)国民史史観は、戦勝国の価値基準で、日本から世界をみた時にどう見えるかをよく表明している。であればなおさら、このような歴史観を批判するのに、東京裁判を基礎にすることはできない。
11)とすれば、東京裁判による戦争責任処理を前提とするサンフランシスコ条約は見直されるべきことになろう。加藤紘一がいうように、14名のA級戦犯に戦争責任を負わせて、その後の出発点にしたのである。14人に責任を負わせるのが不当だというのが国民史観のみかたである。
12)確かに14人のみに戦争責任を負わせるのは不当である。個人主義の視点から、広範な戦争被害(国内も含む)の実態を明らかにし、その責任を明らかにしなければならない。そして、それは戦勝国による戦争犯罪にも当然及ぶ。
13)このような営みを通じて、対話の基礎資料が作られていくことになる。
14)しかし、それが周辺国の国民(市民)との和解にすぐにつながるとは限らない。なぜなら、中国のように独裁政権に支配されている国では、主権国家主義が極限まであおられ、攘夷意識に凝り固まっているからである。
15)夏目漱石が『道草』で描いたように、人の日常は意のままにならない。そして、国際政治の日常もやはりややもすると不如意なことがおおい。
16)まして、人類の日常生活の記録である歴史が痛快成功物語であるはずはない。読んで気が晴れるのは物語であり、歴史とは読んで深く考えさせられることはあっても気晴らしや自己正当化の手段にはならない。