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「靖国」と「延安の娘」

2008-05-29 19:36:32 | 雑感
「靖国」と「延安の娘」を見た。

「靖国」は前評判どおり、あまりたいした映画ではなかった。10年もかけて8月15日の靖国神社の人目を引くシーンを集めた努力には感服するが、集めるのに10年もかかったということは、人目を引くシーンが少ないということの裏返しでもある。
気になったのは、監督の視線。映画の後ろのほうは過去の写真紹介ばかりだが、刀で首を切る場面など中国人に対する残虐場面がある(=被害者が描かれている)一方、日本の本土空襲や原爆は爆撃する側からの写真のみで、地上の被害者が写った写真はゼロ。この映画は、人権や平和といった普遍的な価値をバックに靖国神社の問題をあぶりだす、というよりは、敵味方の視点から戦争の敵の奇怪さを際立たせようとする気持ちが前面に出ている映画だと思った。刀匠の取材も表面的で、この映画では人間が描けていない。李纓監督

「延安の娘」は、捨てられた子供が北京の実父母を探すドキュメンタリー。この映画の主人公は延安に置き去られた娘だが、もう一人の主人公は、それの親探しを助ける黄という元下放青年。かれは、下放先で同じ下放青年の娘と恋愛して妊娠した彼女の5ヶ月の子供を強制堕胎させられ。地震は、反革命罪で5年の懲役生活をおくる。そこで、人間以下の扱いを受け尊厳を踏みにじられる。彼は、そのまま下放先の農村に残り、文革期間中の理不尽な扱いに苦しむ人々の手助けをすることを通じて文革の不正を暴き、自らの尊厳を回復しようと格闘ている。取材対象の一人ひとりの心の葛藤が伝わってきて、人間がよく描かれたすばらしい映画だった。池谷薫監督

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