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消費構造の変遷と音楽消費(粗っぽい仮説) ⑦

2010年02月12日 | 消費構造の変遷と音楽消費-粗っぽい仮説
2010年現在は、「アナログ気分・ブレイク期」(2006~2012年)。
人間性を尊ぶ気品の時代、らしいです。
7年間の「癒し」の時期を経て、癒されることに飽きた大衆は、気高い気持ちに。
第5回で書きましたが、こういう「品格」の時期って、
元「モーニング・ブルー・ドラゴン」にとっては分が悪かったですね。

1999年から2006年の「アナログ気分・黎明期」には、
元ライブドア元社長 堀江貴文氏の逮捕劇がありました。
『なぜ、人は7年で飽きるのか?』の98ページにこのことが触れられています。

癒しや自分探しがキーワードになる時期とは、
一方で、陰湿ないじめや徹底的に叩かれる存在が出やすいそうです。
人々はエリート主義を捨て、拝金主義を叩く。
堀江氏逮捕のちょうど56年前(同じ時期)、光クラブの山崎氏が逮捕されました。
三島由起夫の『青の時代』のモデルです。

全く同じパターンではありませんが、
私の頭に浮かんだのは村上春樹のことです。
1980年代後半、正確には1987年でしたが、
小説『ノルウェーの森』の大ベストセラー化によって「村上春樹ブーム」が起きました。
当時20代だった私は、村上作品のほぼ全てを読んだだけでなく、
彼の翻訳したフィッツジェラルドの小説まで読んだものです。
1987年は、「デジタル期」のピーク(1985年)後、
「アナログ期」へ向かっていく「ソフト期」の最初です。
ほかには、よしもとばなな『キッチン』も。
“DINKS”というライフスタイルの概念が米国から輸入されたのもこの頃。

これを「第一次」村上春樹ブームとすると、
『1Q84』がブレイクした2009年から2010年は「第二次」ブームかもしれません。
もちろん、90年代も執筆・刊行されていましたが、社会現象としては・・・。
2009年は「エルサレム賞」でのことで世界的にも話題になりましたし。
2010年は、2013年の「アナログ期」の絶頂に向かう「ソフト期」の最後です。

「ソフト期」の最初と最後にブーム、というのはいかにも村上春樹じゃないの?
と私は感じざるを得ません。
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デジタル化という技術のイノベーションが、「ブレイン・サイクル」と絡んで、
マーケットを拡大させた、という事例こそ80年代以降の音楽業界です。
(私の仮説ですし、ロック・ポピュラー音楽が中心の話になりますが)

『なぜ、人は7年で飽きるのか?』では、
「デジタル気分 ブレイク期」(1978~85年、2034~2041年)のページで、
ロックについての記述が見られます。

この時期はS/Hビューでは「ハード期」。
デジタル&ハードの究極の「男性脳」型の時期です。
テクノの隆盛もありましたね (日本では「YMO」など)。
ロックについては以下のように書かれてます。(黒字部分が引用)

エレキギターを使い、子音をシャウトするロックは、ニューロン短軸索リンクを刺激し、デジタル期全体に心地よい音楽である。(124ページ)

1960年代から1980年代にかけてのロックシーンの名曲がいまだにドラマやコマーシャルで使われるのは、デジタル期の土壌でこそ培われる音楽である証拠なのだろう。(124~125ページ)

1985年、男性脳の「デジタル期」はピークを迎え
その後、女性脳の「アナログ期」に向かう「ソフト期」が始まります。

ここでは詳しくは書きませんが (いずれ別シリーズで書きます)、
80年代前半から中頃にかけて、欧米でも日本でもロックが隆盛を極めます。
70年代のカウンターカルチャーとの違いは、大規模な商業ベースにのったということです。
ずっと前に書いたかもしれませんが、MTV文化の勃興も大きいですね。
(やはり後に書きますが)、PANTAさんの表現を借りれば、
ファッションをはじめとしたカルチャーの“先導役”をロックが担い始めた時期です。

80年代の日本では、「ポストモダンの消費社会」が花開き、
音楽業界では、CDというデジタル・フォーマットがマーケット拡大の最大の原動力となります。

このあたりの経緯は、2005年に刊行された烏賀陽(うがや)弘道さんの『Jポップとは何か』で詳しくまとめられています。



レコードからCDへの主役交代は、1986~87年のこと。
ハード機器を売るため=ソフトマーケット拡大の新たなターゲットに設定されたのは「若い女性」。

いわゆる「ガールズポップ」といわれる一群。
「プリプリ」「渡辺美里」「永井真理子」「中村あゆみ」「山下久美子」・・・。
一応、その前に「レベッカ」ってありましたが。
それに「山下久美子」はこの中ではベテラン (という小異はいいか)。

そう言えば、日本のポピュラー音楽メーカーの「主役」も、
ヤマハさんからソニーさんに移行しちゃったんですね。今更ながら気づきましたが。
そこでもキーとなるのは、ソニーさんの「CD」でしょう。
なんせ、技術的なイノベーションですから。
総合電機メーカーに、楽器メーカーは敵わなかったと。

「夢をかなえるべく前向きにがんばり、成長していく女性像」 (『Jポップとは何か』45ページより)

私、個人的にはうざかったんですが(笑)、それは置いといて。

若い女性ターゲットの新しいマーケットとは、結構、エポックメイキングな出来事でした。
70年代まで、女性がロックをやるとなると「男」になる必要がありました。

また、「アイドル」全盛の頃の女性歌手のファンは男性、という図式は崩れました。
「BOOWY」のような日本のロックの土台を作ってきた男性のバンド群も80年代後半、
解散が相次ぎました。男達に支持され続けてきたバンド群です。
今から思えば、産業としてのロックが確立した後、“用済み”となったとも思えます。
これじゃ言葉が悪いんで、“歴史的生命を終えた”と言いましょうか。

「ブルーハーツ」のようなバンドは、私の独断・偏見ですが、
パンクを標榜しつつも、男性的な攻撃性、アイロニー(皮肉)、毒はなく、
大衆からの「共感」のされ方を鑑みると、男性的ではなく女性的だと考えます。

80年代後半には、「イカ天」というオーディション番組によって、
80年代2度目のバンドブームが到来します。
(この番組、またまた私は嫌いでしたが-笑)

このブームも、時代潮流としてみれば、「女性」的だと私は考えます。
世間からの受け入れられ方や、広まり方がです。
なんせ、ロックがアングラ・シーンからうごめきだした「東京ロッカーズ」(後期)や、
インディーズ(自主制作盤)の時代に身を置いてきましたから。。。
(70年代については、体験された方から直接聞いたり、書籍・雑誌の情報ですけど)

90年代のマーケット拡大は、今更ここで詳しく書くまではないでしょう。
ドラマタイアップの大ブレイク期。
どんなアーティストがどんな楽曲で、ということを思い出して下さい。

CMタイアップも忘れてはなりません。
烏賀陽さんの本にも書かれてますが、
電通さんなど大手広告代理店がキャスティング業務を本格化させたのも90年代からです。

“CDバブル”崩壊直後、90年代後半、メガセールスを記録した“ディーヴァ”と呼ばれたアーティスト達 (いちいち個人名を挙げるのは面倒なので)。
やはり女性ですよね。それもリスナーとしての女性に支持される女性。

ジャニーズ系の皆さんや、「B'z」「ミスチル」のような男性陣もおりますが、
俯瞰的に見れば、供給サイドでの女性優位は否めません。
それに、90年代はいかにも男性ロックファンのカリスマとなるような“ギターヒーロー”は出現していません。
これもよく言われることですが。
80年代から活躍している布袋寅泰氏が最後じゃないでしょうかね。
個人的には残念な気持ちと、「鮎川さんがいれば十分」 という気持ちで複雑です。

00年代もこの傾向が加速します。
1999年は、男性脳の「デジタル期」が終わり、女性脳の「アナログ期」に突入。
ある知人が、「平井賢」「徳永英明」とか、あんな女々しい歌声で大丈夫なんかい?
男達は? と言ってましたが。。。
(ファンの皆さま、お気を悪くされないでね。私、嫌いじゃないですから)

話は戻りますが、「Jポップ」という呼称についてです。
やはり、うがちゃん(ごめんなさい、面倒なので・・・)の本に書いてありますが、
もともとラジオ局の「J-WAVE」なんですね、由来は。
それにレコードメーカーの人間が数人からんで。
基本的な発想は、「JR」「JT」「Jリーグ」と一緒です。時期もほぼ一緒。
「J」というからには、世界で通用することが前提なんです。
「Jリーグ」と「Jポップ」は、あくまで幻想に過ぎないんですけど、
とにかく“大衆化”のためには必要だったと。
大衆化にとって不可欠なこと、それは女性の取り込みです。

(注1)現在のアニメやヴィジュアル系など「クール・ジャパン」が世界で受容されていることは、この文脈とは違うのでいずれ書くかもしれません。

(注2)やはり、うがちゃんの本に書かれてますが、CDという“フォーマット”のイノベーションで日本の企業は貢献しましたが、ソフトである「音楽」自体のイノベーションは日本から生まれてません(少なくとも、大きなものは)。フィル・ペクタースティーブ・リリーホワイトのようなイノベーティブなサウンド・プロデューサーはいない。これは「Jポップ」の致命的なウィークポイントです。

歌手やミュージシャンを「アーティスト」と呼ぶこと。
これも同じ文脈でしょうね。
一説では“張本人”と言われてる佐野元春さんあたりだったら納得できるんですが。
文学的だし、80年代に「カセットブック」とか出されてますし。

「アーティスト・ブランディング アナリスト」と称する私ですが、
実は、世の中の文脈上、仕方なく使ってるだけです。
本当は強い違和感を感じてます。
(それなら、“真のアーティスト”と呼びうる人だけ扱えばいいのかもしれませんが、そういう人達って、まぁ、ほとんどお金ないんですよね-泣)
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ずいぶん長いこと書いてきました。

第4回目では、供給サイドの音楽業界に結構きつい言い方をしました。

大衆の意識:ブレインサイクル⇒感性トレンドは今まで述べてきた通りです。

その大衆の意識に一生懸命より添ってきた音楽業界は、
それなりにマーケット拡大に一生懸命だったわけです。
それは責められないかもしれません。
ただし、音楽のコモディティ化(=価値の低下)は行き過ぎです。
それに、グランド・デザイン不在のままではいけませんね。
こんな悲惨な状態なんですし。

そして最後に。
前半は、“草食系”など若者の消費動向、生活意識について書いてきました。
いつの時代でもそうだと思うんですけど、
若者の問題って若者だけの問題じゃないんですよね。
自分の経験則でも、原田さんの本にも書いてありますけど、
眉をひそめるような若者の典型の行動って、おっさんだってやってます。
「デジタル万引き」だって若者だけじゃない。
そのあたりは、「統計数字」に対し近視眼的にならないほうがいいですよ。
一般的に、若者の傾向って2~3年で上の世代に波及していきます。

消費の不振を若者だけのせいにするのは止めて、
もっと広い視野と長いスパンで世の中を見ていきたいもんです。
“総論賛成、各論反対”にならずに。

固定的にしか見えない“問題”だって、主役は人間(の脳)です。
仮説とはいえ、それなりの理由があっての結果です。
このままの状態が永遠に、なんてことはありません。

で、肝心なのはこれからどうなるのか? ですって?

そんなに難しいことじゃないんじゃですか(笑)。
少なくとも傾向を予測するのは。
どの変数とどの変数を掛け合わせればいいのか?
経済・社会の予測は難しいとは思うんですが、
私達の意識のベクトルは大体読めるでしょう?
そのために今まで、書いてきたんですから。
粗っぽい仮説ですけどね。

あああっ!
2月12日になりました。
私の誕生日です。

齢を重ねると、誕生日はめでたくない、なんて人が多いですよね。
でも、それは勘違いだとと思いたいです。

何かの本に書いてあったんですけど、
お誕生日とは、自分が祝われる日じゃなくて、
自分の生をこの世に授けてくれた両親に感謝する日だと。
自分はそう思っていたいです。

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