南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

かつて香港のワンチャイはヘネシーロードが海岸線だった

2010-08-20 23:49:05 | HONG KONG

この上の画像は香港のワンチャイ付近の航空写真ですが、青い
点線がヘネシーロードです。65年前まではここが香港の海岸線
だったと言われると、ちょっとびっくりなんですが、
事実なのです。

炎天下の香港でランチに行こうと歩いていたら、ワンチャイ駅の
すぐ隣のSouthorn Playground (修頓遊樂場)のヘネシーロード
側のあたり何か表示が出ているのが見えました。上の航空写真で
赤丸のついているあたりが、そのあたりです。



この写真の左手はヘネシーロード、右のアーチ場の物を入ると
Southorn Playground (修頓遊樂場)です。ちょっと近づいて
みます。こちらが表示のアップです。



1930年から1945年の間、このへんが海岸線だったということ
です。昭和5年から、昭和20年の15年間です。後半の数年間は
日本の占領時代です。

地図をアップするとこんな感じです。



ヘネシーロードが当時の海岸線だったのですね。
ヘネシーロードは海からかなり離れている感じなのですが、
ずいぶん埋め立てられたものです。1930年以前は、もっと
内陸まで海だったようですが。

こちらがヘネシーロード。



すぐ先がワンチャイのMTRの駅です。道の向こう側がかつては
海だったのですね。

そしてこちらがSouthorn Playground (修頓遊樂場)の様子。



ビルの群れの真ん中にぽっかりとあいた空間です。

昔の香港の海狭の幅は今より遥かに広かったのですね。
歴史の変遷を感じます。

よろしければ、こちらもついでによろしくお願いします。

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