南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

ムンバイより愛を込めて

2006-01-11 04:40:38 | インド
ムンバイの鉄道駅のビクトリア
ターミナスの写真です。東京駅にも
似ていますが、建築は東京駅よりも
立派です。ヨーロッパの教会のような
風格が感じられます。

ついこの間まで寒い東京にいたのが信じられないくらいです。
「思えば遠くに来たもんだ」という感じですが、いつかインド
には来たことのない下町娘を連れてきて見せてやりたい
ものです。きっと衝撃が強過ぎるかもしれませんが。

インドに来て5日間が過ぎました。何とか無事に生きています。
人ごみにも負けず、インド料理にも負けず、インド人のしつこさ
にも負けず、生き延びてまいりました。この調子ではまだ数日は
大丈夫でしょう。

今日は、長年つきあいのあるムンバイの取引先のご夫婦と食事に
行ってきました。これまでに何度も会ったことがあるので、気心
が知れているので気楽です。3ヶ月ばかり前に出来たばかりの
お洒落なインド料理屋に行ってきました。

現地に着いたのは9時頃ですが、終わったのは12時前でした。
そんな遅い時間でもレストランはお客さんがぎっしりで、まだ
かなりのお客さんが残っていました。ムンバイは食事の時間帯
がかなり遅いです。イタリアとかスペインなども遅いですが、
それに近い感覚のような気がします。

その代り朝は10時くらいに始まるというところが多いです。
全体の時間が後ろのほうにずれているんですね。

そのご夫婦のやりとりを見てると、何か漫才みたいで面白い
のですが、旦那さんが奥さんにやり込められる場面が多くあり
ました。二人の子供はすでに働いているのですが、ムンバイ
では結婚するまでは親と同居が基本なので、可処分所得は
非常に大きいという話をしていました。

二人は長年連れ添ってきているので非常に仲がいいのですが
(でもしょっちゅう小さな喧嘩はしていますが)、お見合い
結婚です。インドでは現在もお見合い結婚が大半のようです。
まず親同士で検討し、すべて条件が見合ったら、本人同士を
初めて合わせるのだそうです。そのご夫婦の場合も、お見合い
の席で初めて相手を見たということでした。お見合いの段階
では、すでに親同士は納得しているので、子供たちとしては
「いやだ」ということは困難のようです。

お見合いの段階で拒否した場合には、いろんな差し障りが
出てくるということで、最悪の場合、その社会に居ずらく
なってしまうみたいです。インドの映画では何か自由恋愛が
普通のように描かれていますが、現実はかなり保守的な
感じのようですね。

お見合いに際して、お互いの親は相手の資産状況とか、
いろいろ調べて検討するようなのですが、星座の相性も
チェックして、問題があればやめるということでした。
親たちが星座の相性にそこまでこだわるというのは何か
変な感じがするのですが、それもインドの現実です。

ご夫婦は最近、ヨガを始めたと言っていました。
日曜日以外毎日の朝7時から1時間半くらい家に先生
が来てトレーニングをするのだそうです。
そんな話を聞いて、ほほえましなあと思うのでした。

最近、結婚式が立て続けにあって、式に出席するだけでも
大変なスケジュールになると嬉しそうにこぼしていました。
結婚式は夕方から夜にかけて行われることが多いですが、
一日に何千件ものパーティーがあるようです。

ではまた。

インドの自動車にサイドミラーがないのが多い

2006-01-10 07:12:39 | インド
ムンバイでの車の移動はとても疲れます。
どうしてかと言うと、まず、交通渋滞。
混んでいるときは、車がなかなか動きま
せん。アジアの他の都市の交通渋滞も
ひどいですが、ムンバイはとくに疲れます。

疲れる理由その2は、レーンは無視して、ぎりぎり運転。
ぶつかりそうなくらいすれすれで運転したりします。反対車線でも
対向車が来てなければばんばん行きます。2車線でも、平気で
3車線になります。車がぶつかりそうで、ひやひやして疲れます。
その3、警笛がブーブーとうるさいです。警笛を鳴らすことは
インドでは全く普通のことです。むしろ後ろの車は警笛を鳴らして
前のくるまにその存在を知らせるのがエチケットのようなもんです。
この写真の白い車のように、小型車はもともとバックミラーのない
ものも多く(製造段階でサイドミラーがない)、またサイドミラー
のある車でも、折り畳んでいる車も多いです。インドの車は自分の
進む前方のみ注意を払うのですが、後ろのことはどうでもいいかの
ようです。後ろの車が前の車を追い越そうとする場合は、警笛を
がんがん鳴らして、警告しないとあぶないのです。うるさくて
とても疲れます。トラックの後には、"Horn Please"(警笛鳴らして
ください)という言葉がペンキで描いてあったりします。

というわけで車での移動は大変なのです。自分で運転する勇気は
ありません。他の車がすれすれに寄ってきたり、人が急に飛び出し
てきたり、スリルの連続です。前を見ることだけで精一杯なので、
サイドミラーはあまり用をなさないようです。また、車と車が
ぎりぎりに寄ったときとか、自転車やバイクがすり抜けたりする
時にサイドミラーが邪魔になるので、サイドミラーをつけていない
(あるいは折り畳んでいる)のかもしれません。

ところで、インドはムンバイのように交通事情が悪い場所が多いの
で、小型車が人気です。メーカーでは、ズズキマルチ、ヒュンダイ、
タタが最近の売れ筋トップ3です。その次にホンダが来るという
感じです。ユーティリティー・ビークルと呼ばれるカテゴリーでは
マヒンドラ&マヒンドラ、トヨタ、タタなどが人気です。

シンガポールとかでは、メルセデスベンツとかBMWとかの高級車が
結構目につくのですが、ムンバイではほとんど見かけませんね。
バイクは、ホンダが一番人気ですが、ヤマハとかも多く見かけます。

今日は、タクシーでホテルから打ち合わせ場所まで行こうとした
のですが、途中でタクシーのエンジンがかからなくなってしまい
ました。運転手が車を路肩に停めて、通りかかった他のタクシーを
呼んで、乗り換えるよう手配してくれました。タクシーはぼろい
のが多いので、こういうこともたまにあります。

というわけで、今日も何とか生きております。大手新聞社と、大手
テレビ局に行って打ち合わせしたりしました。夕食はインディゴと
いうお洒落なレストランでとても美味しい料理(イタリア系)を
食べました。遅めの昼食のインド料理のせいで、あまりお腹が
すいてなかったのですが、美味しかったので食べてしまいました。
量がそんなに多くなかったので助かりました。

ではまた。


本日のムンバイの天気は晴れ&スモッグ

2006-01-09 15:19:52 | インド
ムンバイは人口が1300万人以上もいる
インド最大の都市です。ビジネスの
中心地で、お洒落な場所もいっぱいある
のですが、この写真のようなスラム街も
あります。

ムンバイ(に限らずインド全般ですが)を訪問すると、表面的に目に
するのが貧しさです。そのインパクトが強烈なので、インドは開発途上
の遅れた国だと思ってしまいます。そしてその向こうにある、真実が
見えなくなってしまうのです。

ムンバイのような大都市は、いろいろな複雑な要素で成り立っています。
貧富の差が非常に大きく、ムンバイで何を見るのかによってその印象は
まったく違ったものになってしまいます。

昨日の夜は、雑誌社の人の案内でヒルトンホテルのIndia Jonesという
レストランに行ってきました。そこは貧困とは全く逆のお洒落な世界で
した。夜遅くまで、お金持ちそうな人たちがいました。インド人の女性
の人たちは、かなり上品に着飾っていて、見るからにお金持ちなんだなあ
とわかる人たちが多かったです。

そんなギャップの激しさで、めまいがしそうなんですが、これからまた
インドのテレビ局の人たちとの打ち合わせが入っていますので、出かけて
きます。それではまた。

バンガロールからムンバイへと旅は続く

2006-01-08 08:14:20 | インド
この写真はバンガロールのFORUMという
ショッピングセンターの写真です。
高級ショッピングセンターですが、
雰囲気はシンガポールなんかとほとんど
同じくらいの奇麗さです。
インドの消費力はどんどん高まっています。

去年の暮れに、バンガロールのカルナタカ州政府が、バンガロールの
呼び名を元々の名前である「ベンガルール」に変更すると発表したの
で、これが実際にどのように影響が出ているのかいろいろ聞いてみたら
まだそれほどの動きはないようですね。

金曜日にバンガロールの新聞社の人たちとこの件に関して話したの
ですが、お役所の公式文書はそのようになるかもしれないのですが、
英字新聞(バンガロールではとくに英語の新聞の普及率が高いです)
の記事標記に関しては、バンガロールという使い方を続けていくという
ことでした。

ベンガルールというのは、バンガロールがあるカルナタカ州(言語は
カンナダ語)の昔からの言葉ですが、バンガロールというのは英国人
が使っていた呼び方です。バンガロールはよその土地から来ている人間
が多いコスモポリタンな都市なので、バンガロールという言い方の方
が好まれているようです。地元の政治家がベンガルールという古来の
呼称にこだわっているようですが、もともとバンガロールに住んでいた
人と、他の地域から来ている人との微妙な確執もあるような気がします。

バンガロールは、IT関係で有名です。しかし、それだけではありません。
それに伴って、不動産関係の産業もどんどん成長している感じがあります。
また、バンガロールの街を見てみて、その教育設備の多さにびっくり
させられました。いろんな大学があり、学生も多く、非常に知的な感じ
がしました。また病院や、医療関係の研究設備も多くあり、バンガロール
は別名「ヘルス・シティ」と呼ばれているみたいです。数日前日本の
雑誌で、インドの医療関係のレベルの高さについての記事を読んだの
ですが、この医療設備の充実度合いを見ていると、本当にそうなんだな
と実感されます。

インドはインフラがまだ十分整理されておらず、一見不衛生な雰囲気が
目につくので、医療関係も大丈夫なのかな?と思ってしまいますが、
病院のレベルは非常に高く、欧米を含む海外から治療を受けにわざわざ
インドに来る人も多いとか。医療関係者は欧米で勉強してきた人も多く、
インドの治療費は欧米に比べると断然安いので、人気があるみたいです。

私は、金曜日の夜からムンバイ(ボンベイ)に移動してきました。
空港のそばのオーキッドホテルというホテルに滞在しています。
このホテルも各部屋はインターネット接続が、リモートアクセスになって
いるのですが、この設定がうまくいきませんでした。バンガロールでは
全く問題なく接続できたのに、このムンバイのホテルではダメでした。
だから昔ながらのダイヤルアップで接続しています。

さっき、パソコンをつけたままうとうと眠ってしまったのですが、その
間にダイヤルアップが接続されたままになっていたみたいで、電話代が
心配です。

ところで、「功名が辻」の大河ドラマがいよいよ始まりますが、この
ムンバイのホテルではNHKが見られません。バンガロールのホテルには
NHKが入っていました。従って、日曜日は見る事ができません。残念。
シンガポールに帰ってから再放送で見るしかないのですが、皆さんより
情報が遅くなってしまうのが悔しいです。

本日、インドのヒンドスタンタイムズという大手新聞社の人と話した
のですが、インドへ来る日本人の観光客は、インドのインフラがもっと
よくなったら急増するんだろうな~と言っておりました。
以前、デリーの博物館で8世紀頃の釈迦像を見る機会があり、私はそれ
以降ブッダに関して、手塚治虫の「ブッダ」をマンガで読み、ヘッセの
「シッダールタ」を文庫本で読み、瀬戸内寂聴さんの仏陀の本とかも
読んだりして、仏陀の足跡の残っているインド北部地方に行ってみたい
という話をしたら、それは是非また来てほしいと言ってました。

インドは仏教が生まれた国でありながら、仏教徒はかなりの少数派です。
しかしながら数多くの仏教遺跡は残っていて、観光的資産価値は高い
です。インドは数々の可能性を秘めています。

突然ですがインドのバンガロールに到着です

2006-01-06 05:14:21 | インド
新年早々インド出張です。さっきまで
シンガポールで仕事していたと思ったら、
もうインドのバンガロールです。
この写真はバンガロールの空港を出た所
でホテルの車を待っている時に撮ったものです。

バンガロールはインドのシリコンバレーだとか言われている
ので、もっと奇麗な雰囲気かと思ったのですが、バンガロール
の空港は、やはりインドですね。人が多くてごちゃごちゃしてて、
車とかの流れも全然整理されてなくて、ホテルの車を待っている
だけで疲れてしまうような雰囲気でした。

ホテルはバンガロールのThe Atriaというホテルです。
こじんまりとしたホテルですが、部屋はまあまあの広さです。
インターネットに繋げようとして、ホテルの電話機を見たら、
全然接続できる雰囲気でないので、ひょっとして、ダメかと
思って、ホテルのオペレーターに聞いてみました。
「コンピュータをインターネットに繋ぎたいのですが...」
「ワイアレス接続ですね?今係のものが参ります」
この会話はもちろん英語なのですが、ワイアレスと聞いてびっくり。
すぐにホテルの係員が部屋にやってきました。
「では、コンピュータを立ち上げてください」と
いうことで、を立ち上げました。ユーザーネームと
パスワードを設定して、すぐにインターネットに接続です。
これは簡単、さすがバンガロール
ここにサインをお願いしますとホテルの係員が出したのは、
昔ながらのノート。そこにサインをするのですが、これは
ちょっと時代錯誤の感じです。PC接続ではワイアレスであり
ながら、帳面は何世紀も前からのようなものを使っている。
このギャップにちょっとびっくりしてしまいます。

昨年の暮れに入った情報では、バンガロールの名前を昔の
ベンガルールにすることに州政府が決めたということだった
のですが、今までのところそのような形跡は全く見当たりま
せんでした。空港もまだバンガロールのままですし、一般
大衆はそんなことどうだっていいだろうという雰囲気です。

インドは何年か前からボンベイがムンバイに、マドラスが
チェンナイに名称を変更したのですが、その流れで、この
バンガロールもベンガルールにするということにしたようです。
これがはたしてうまくいくのか、ちょっと明日聞いてみましょう。

明日の夜は、ムンバイです。こちらはシンガポールと2時間半
の時差があるので、まだ早いですが(早いと言ってももう1時半
くらいにはなってますが)、そろそろ寝ないといけませんね。
この2時間半という時差(日本とは3時間半)の「半」という
のが何か中途半端でいいですね。

今日から、約一週間、インドにおりますので、主にインドのこと
を書いていきたいと思っております。飛行機の中では、「功名が
辻」の4巻目を読んでおりました。いよいよ関ヶ原の決戦が
始まるところです。

さっきこのホテルのテレビを見てたらNHKも入るようになって
いました。ムンバイのホテルはどうかわかりませんが、大河
ドラマもひょっとして見られたりするかも。しかしインドの
テレビは100チャンネル以上あるので、チャンネルを探すだけ
で大変です。

それではまた。

「功名が辻」の時代の男性ファッション

2006-01-05 16:50:55 | 戦国時代
この写真も標題とは関係ないのですが、
豊川稲荷にあったダルマの屋台が
グラフィック的に奇麗だったので撮影
したものです。

さて、昨日、江戸東京博物館で開催されている
「山内一豊とその妻展」で見た「腰巻き」の展示に関して
書いたのですが、詳しくは昨日の記事をご覧ください。

しかし、お市の方と淀殿の親子は、ともに最先端の「腰巻き」
ファッションでさぞかっこよかったのだろうと想像します。
千代の小袖のデザインといい、「功名が辻」のドラマは服飾
デザインという見地から見ても十分楽しめるものだと思います。
NHKがどこまでそこに挑戦するのかわかりませんが、戦国時代の
とんがったファッションの雰囲気を再現してほしいと思います。

これからインドに向けて出張にでかけるので、「功名が辻」と
いうような雰囲気ではないのですが、インドに出かける前に日本
の戦国時代関係は片付けておかないといけないと思い、補足して
いるわけでございます。

江戸東京博物館の展示を見て、歴史にはあまり明るくない私の妻
(=下町娘)が一豊が使っていた兜の兎の耳のやつを
見て、「デザインがすごいかっこいい」と言っておりました。まるで
前衛アートの彫刻のようでもあり、実際に被るとちょっとふざけた
ような雰囲気にもなり、それがまた粋だったのでしょう。

あと、メキシコのソンブレロのような南蛮帽。展示されていたのは
かなりぼろぼろになっていたのですが、当時はいろいろな装飾が
施されていて、きっと奇麗だったんだろうなあと思われます。戦で
これを被る事はなかったようですが、何かの行事の時に一豊がこれを
被ったらしいです。今の時代でも、こういうの被るのは勇気がいるの
ですが、あの戦国時代~徳川初期にこの帽子を被るというのは、何か
すごいことだったのだろうなあと思います。

さてそろそろ、旅の支度をして、飛行場に向かわないといけないの
ですが、山内一豊もこうしてあっちこっちに出張に出かけていたのだ
ろうなと思うと、時代は変わっても、やってることは同じだったり
して面白くなってしまいます。

インドの最初の目的地は、バンガロール。現地につきましたら、
あちらからブログを更新してみたいと思います。
では行ってきま~す。

「功名が辻」の時代のファッション感覚

2006-01-05 08:15:14 | 戦国時代
標題と直接関係はないのですが、こちらの
写真は商売繁盛で有名な豊川稲荷です。
正月に初詣に行ったとき撮影したのですが、
出来たのは700年前の室町時代のことだとか。
今川義元も、織田信長も、豊臣秀吉も信仰して
いたそうです。

さて、昨日の記事で、江戸東京博物館で開催されている
「山内一豊とその妻展」に行ってきたというお話
をしましたが、ここで何が一番印象的な展示だったかと言うと、
「腰巻き」の展示でした。

「腰巻き」というと普通は、昔の「下着」のことと思ってしまい
ますが(あるいは書籍の宣伝用の帯も「腰巻き」というみたいです
が)、この展示の「腰巻き」とは、下着でもなく、はたまた書籍の
帯でもありません、小袖の上に打ち掛けを着て帯を締め、打ち掛け
の両肩を脱いで着る着方を腰巻きと称するのです。これは言葉で
説明しようとすると何だかよくわからないので、図解の出ている
サイトをご紹介しましょう。こちらですここをクリック

このサイトに浅井長政婦人像というタイトルの絵が出ていますが、
これは悲劇の主人公のお市の方(淀殿の母親)です。これが腰巻き
というスタイルで、実際の人間がこの着方をしている写真が展示
してありました。私は、しばしこの展示をしばし見入ってしまい
ました。

全体の中でこの展示はそれほど注目を集めるようなものでは
なかったのですが、実はこれにはわけがあります。実はその前日、
「功名が辻」の三巻目を読んでいて、この腰巻きのスタイルが出て
きたのです。北の政所派と淀殿派の確執の中で、一豊の妻の千代を
自分の味方に引き入れたいと思っている淀殿が、千代に面会する姿
が、実はこの「腰巻き姿」なのです。原文を引用してみます。

「金銀糸の縫いとりをした唐織りの小袖の両肩を脱し、それを腰に
まとい、中着の純白地の小袖には、紅梅の大模様を金糸で縫いとり
している。あっと息をのむほどの派手な服装である」
千代がそれまで下げていた頭を少しあげて見えてきた淀殿の姿が
そのようであったと書いてあります。

この文章を読んだとき、これって具体的にどんな姿なんだろうと
気になって仕方がありませんでした。「小袖の両肩を脱し」って
どんな感じ?「それを腰にまとい」というのはどういうふうに?
考えれば考えるほど不思議になってしまったのです。というわけで、
こういう前提があってその展示を見たので、それが一層衝撃的で
あったのです。まさに目から鱗が落ちる感じでした。

「義経」の時代は、高貴な婦人たちは、きちっと十二単を着て
いました。それがいつからこのような「腰巻き」スタイルが出て
きたのか、非常に興味のあるところです。どなたかご存知の方は
教えて下さい。おそらく、何かのきっかけで、お洒落なスタイル
としてこの腰巻きスタイルが流行しだしたのですね。

これは当時としてはかなり過激なスタイルです。おそらく保守的な
人たちは、「ああ何てはしたない着方なのでしょう」と嘆いたに
違いありません。それが、何かのきっかけで、最先端でかっこいい
ファッションになったのだと思います。できればそのターニング
ポイントになったきっかけが知りたくてしかたありません。

織田信長もかなり過激な最先端のファッションリーダーであり、
豊臣秀吉もギンギラギンの超豪華ファッションの人だったので、
時代が「腰巻き」のようなちょっと着崩した感のあるスタイルを
生み出したのかもしれません。上半身がシンプルな白の小袖に対し
腰のところに巻いているのが派手目な打ち掛けというコントラスト、
そこに何かすごい潔さのようなものを感じてしまうのは私だけで
しょうか?見れば見るほどかっこいいような気がします。

「功名が辻」に出てくる千代は、当時の最先端のファッション
デザイナーです。自分でいくつもオリジナルデザインの小袖を作っ
ていて、かなりの人気を博します。北の政所も千代の小袖がほしく
てたまりませんでした。おそらく淀殿も千代を専属デザイナーと
してかかえたかったに違いありません。千代の小袖は、腰巻き
スタイルの路線とはちょっと違うのですが、当時の風雅を象徴して
います。

と、戦国時代の女性のファッションに着目してみたのですが、実は
男性のファッションもすごいです。江戸東京博物館の展示で見た
だけでハッとしたのですが、兎耳の兜とか、陣羽織とか、南蛮帽
とか一豊が使用したものが飾ってあったのですが、すごい最先端の
ファッションです。おそらく今の感覚でいうと、武人と芸能人の
アイドルを合わせたような輝きがあったんだなあと思います。

命がけで戦っている一方で、武具はかなり過激にお洒落をする。
この感覚は、ものすごい美学だったんでしょうね。今からでは
想像もできませんが、そんな時代の心意気が忍ばれます。

さて、明日は新年早々、インド出張です。
明日以降は、これまでと全然変わってインドっぽい雰囲気になる
と思います。よろしくお願いいたします

年末年始を日本で過ごす

2006-01-04 01:59:05 | 日本
新年あけまして
おめでとうございます


更新が遅れて申し訳ありません
数時間前にほぼ書き上がったところで、
誤って消してしまいました。
早めにアップしておけばよかったと後悔しています。

何を書いたかと言いますと、年末から年始にかけて
私が日本で体験したことでした。それではもう一度、
気をとりなおして行ってみましょう

1.寒い成田に降り立つ
30日の早朝、成田空港に到着したのですが、気温は零度。
最初はその寒さも新鮮で、息が白くなるのに感動したの
ですが、数時間するうちに、こういう寒い国で生きていく
のは大変だとあらためて思うのでした。ああ、寒かった。

2.餅つきをする
下町娘(=妻)の実家に行ったら何と餅つきを
やっていて、自分もやるはめに。実は、私はその昔、
中学の頃まで家で餅つきの手伝いをしていたことがあった
のです。何十年ぶりかの餅つきでしたが、次第に昔の感覚
がよみがえってきました。なんか楽しかったです。さらに
つきたてのお餅をたべたとき美味しくて感激でした。

3.スキヤキが美味しい
下町娘(=妻)の実家の皆さんとスキヤキを。
スキヤキ以外にも美味しい物がいっぱいあったのですが、
松坂牛の切り落としで作ったスキヤキはとても美味でした。

4.紅白歌合戦を見る
31日愛知県の実家に帰ったのですが、紅白歌合戦を見ました。
新しい人で知らない人が多かったですが、雪の中で歌う
北島三郎と、原爆の詩を朗読した吉永小百合さんが印象的で
した。

5.感動のおせち料理
下町娘のお母さんが作った黒豆とか昆布巻きを実家
に持っていったのですが、父も母も美味しいと感激。

6.田舎の神社に初詣
いつも紅白歌合戦が終わって、年が明けると、歩いて神社に
出かけるのですが、今年は、穏やかな気温だったので、
すごい人手でした。

7.豊川稲荷にお参り
1日の昼頃、この地域では一番有名な豊川稲荷にお参りに
行きました。天気がよく拝殿前は長蛇の列でした。

8.山内一豊とその妻展@江戸東京博物館
東京に戻った私は下町娘と両国の江戸東京博物館
に「功名が辻」特別展を見に行きました。武具やら、手紙
やら、様々な展示物があり感激。兜や陣羽織もありました。
この展示に関しての情報は
こちらをどうぞ。

9.門前仲町界隈を散策
愛知県の豊川稲荷周辺も屋台がすごかったのですが、東京の
門前仲町もすごいです。下町娘のおすすめのベビー
カステラを買い食いしたのですが、長蛇の列ができるだけ
あって、これは美味しかったです。

10.本田美奈子のCDをゲット
昨年、亡くなってしまった本田美奈子さんですが、実は、
一年前に彼女のCDが聞きたくなってシンガポールのCD店に
たまたまあった「ジュピター」とかのクラシック曲が入って
いるのを買っていたのですが、今回成田のCD店でCDを売って
いたので、「アメージンググレース」ともう一枚買いました。
何か天国から聞こえてくる歌声のようでちょっと悲しいです。

これ以外にも、いろいろあった年末年始でした。

「功名が辻」の本は4巻目の最初のほうまで来ました。
これから関ヶ原です。大河ドラマが始まるまでに読んで
しまわないと。

では今年一年、よろしくお願いいたします。