南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

斎藤家のお家騒動

2006-01-27 01:41:57 | 戦国時代
本日は再び戦国時代に戻って、複雑な
斎藤家の周辺をスクープしてみました。
今「功名が辻」でも美濃の話が出てきますが、
斎藤家の一族の関係はちょっと複雑です。
そのへんを補足するために、斎藤道三から義龍、龍興にいたる
流れを整理してみました。

ちょっとこの家系はこうして図式化してみてわかったのですが、これは
とんでもない家系です。ちょっとホームドラマではなく、サスペンス
です。

斎藤道三は、美濃の蝮(まむし)と言われている人ですが、もとは
京都出身の油屋で、美濃の国を横取りしてしまったという豪傑です。
当時はやっていた「下克上」(げこくじょう)の代表的な事件です。

この人には子供が何人かおりました。その中の一人が信長に嫁ぐ濃姫
ですが、こういう家系にそだったら尋常な性格ではいられないという
気がします。NHKの大河ドラマは、和久井映見さんがやっていますが、
彼女のような上品さでは生きていけないのではと心配してしまいます。

道三の後を継ぐのが、義龍(よしたつ)という人なのですが、彼は
深芳野という側室の子供でした。実は、道三の子供ではないという
噂がありました。そこで、親子の関係はぎくしゃくし、道三は
義龍をうとんじて廃嫡しようとします。自分の子供はまだ他に何人か
いるので、義重とか龍定とかをかわいがります。

そうすると義龍は面白くありません。義重と龍定の二人を殺して
しまいます。血のつながりはないかもしれませんが一応弟なのです。
こんなのを端で見ている濃姫の心境はたまったもんではありません。
やがて義龍は、父親道三に歯向かって戦争になってしまいます。
長良川の戦いで、斎藤道三は討ち死にしてしまいます。親子で戦う
というのは何とも残酷です。

義龍は斎藤家の当主となり、二代目となるのですが、31、2才で
若くして病死してしまいます。それを継ぐのが龍興(たつおき)です。
まだ中学生くらいの歳でいきなりの殿様です。彼にとってはたまった
もんではありません。この問題の美濃国の政治をやれと言われても
その歳でできるわけはありません。彼はぐれてしまいます。
全然やる気がありません。それを見るに見かねた竹中半兵衛が、
クーデターを起こし、稲葉山城を乗っ取ってしまいます。

反省した龍興おぼっちゃまは、再び城に戻ってくるのですが、
そんなにうまく立ち直るわけはありません。竹中半兵衛のほうもこう
いう環境で働くのは相当嫌になっていたのだと思います。
そういう状況を見て、ヘッドハンティングしようとしてくるのが秀吉
です。秀吉は、三顧の礼をもって、何とか半兵衛を説得し、自分の家臣
にすることに成功します。

斎藤龍興は、織田信長に攻められて、稲葉山城を明け渡してしまいます。
信長もこのへんのチャンスは狙っていたのでしょう。これまでの御家
騒動の経緯を分析していれば、美濃はいただきと思ったに違いありません。
美濃が内部崩壊してくれたので、信長は美濃を手にいれることができます。
さらに竹中半兵衛も秀吉の下につきます。

さて龍興のほうはといいますと、城を逃げて、伊勢長島に、さらには
畿内にとび、さらに越前の朝倉方に逃れます。そして、越前の刀根坂
(とねざか)の戦いで信長の軍団に討ち滅ぼされてしまいます。
哀れな最後です。

ところで斎藤道三の親戚で濃姫のいとこである明智光秀は、織田信長の
家臣となりますが、最後には、本能寺で信長を殺してしまいます。
光秀は秀吉に滅ぼされます。

戦国時代だから仕方ないのですが、斎藤家の周辺はすごく血なまぐさい
です。こういう環境からはいくらなんでも和久井映見のような姫は
生まれてこないんじゃないかと思いますね。

織田信長の周辺にいくのも怖いですが、斎藤家の周辺も怖いですね。
図にしてみてはじめてこの家系の恐ろしさが感じられました。

「功名が辻」のドラマをご覧になる方は、この図を参考にして
斎藤家の大変さを十分ご理解いただければと思います。