「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌相互評28 岩倉文也からおさやことり「はねばしを」へ

2018-10-05 14:02:06 | 短歌相互評
おさやことり「はねばしを」
http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2018-09-01-19427.html

評者
岩倉文也


ひらがなはすべてを溶かしてゆく川のながれ、あるいは僕らの肌をやわらかくまさぐる呪いのようなもの。ひらがなは明晰な意味をかたちづくる前に僕らの手からこぼれる、したたる、したたかに。それは心地よい麻酔として、魔術として詩歌のなかでふるえている。


はねばしをおろしてとてもよくやけたぴざをじぶんのてがらのように

はねばしがおろされる。彼岸と此岸がむすばれ、これは夢だろうか、見たことのない場所、ふれたことのない時間、ぴざが焼きあがる。香ばしいかおりだ。それがだれのてがらであるのか、この街に知る人はなかった。


ふたりだとあふれてしまいかねなくてゆのてっぺんでからだをあらう

ところで、僕はもうここがどこなのか分からない。音楽をきこうとおもって、スマートフォンに手をのばしたが暗証番号を忘れてしまった。お風呂場ではだかになる。ゆのてっぺん、が具体的にどこなのか僕にはおもいだせない。ふたりいっしょに、おゆがあふれたらみんな壊れることだけは知っていて、神妙な顔でからだに泡をつけてゆく。


あいさつというのはしょうちのことですがそとのあつさをかりてくるのは

あいさつをするにも街はもぬけの殻で、それでもだんだんとのぼる陽の、あつさだけがかろうじて僕の存在を保証していた。


かんたんにおなかをみせてくれなさのくるまはえくすとりーむなねこか

僕のふるさとにはかつて沢山のねこがいて、よくさわったり、もちあげたりしていたのだけれど、僕が中学生になったあたりからあまり見かけなくなってしまった。噂によると、ねこたちは駐車場をあいするあまり、そのたいはんがくるまになってしまったらしい。


ふりそうでふらないそらはわたくしのかわりにさしてくれているかさ

僕には傘をさすのが苦手だと言うともだちがいて、最初きいたときなにを言っているのか分からなかった。傘をさすのが苦手? でもよくよく考えてみると、確かに傘をうまくさすのにはそれ相応の技術がひつようなのかもしれない。僕にしても、肩やひじ、ひざなどは傘をさそうがいつも濡れてしまう。そういうものなんだと思う。東京はいつも曇り、と大岡信は詩に書いた。その曇り空をみあげる。ふりそうでふらない東京のそら。


すいとうをだそうとしたらかさがひとたたいてしまうふゆきとどきに

想像力でかさが伝説の剣となった時代はすぎ、僕もまた慎重にかさを持つひとりの大人になった。二十歳になったのだ。記念にコンビニで缶チューハイを買い、「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいのという、俵万智のあまりに有名な歌をおもいだしつつ、一缶を飲み干してしまうと、たちまち全身が紅潮し、頭痛と吐き気におそわれてベッドに倒れこんだ。なるほどね、とおもいながら、僕は二十歳という錯誤のなかで、荒くなった自分の呼吸をきくともなくきいていた。


むかしよくいたくてわらったことさっきいたくなければわすれたままの

なにかを思い出す、というのは素晴らしい罰で、忘却はたぶん、悲惨な赦しなんだと思う。


ゆうやけがしみこむほどによんでおりほんにはなしのよみにくければ

ゆうやけのなかで僕はいつも途方にくれてしまう。それは色彩のせいか、それとも鳴きわめくカラスのせいなのかは分からない。本を読もうにも、ゆうやけの染み付いたページからは、誰のものとも知れぬ無数の声がきこえてきて、おはなしは遠く、欄外の海へとこぼれてしまう。そして街の、防災無線からあふれる、ゆうぐれを告げるメロディー。


かきまぜてしろくしたやみのみながらやどかえようかどうかはなせり

コーヒーにミルクを注ぐときなにかが崩れることを知った。けれど今日も明日も、わけの分からぬげんじつに追われながら、駅への道をころげ落ちてゆく。「ねえ、家を出ようよ、そして森に住もう。人なんてだあれもいない、動物たちにおい、土の、星のにおいを嗅いでさ、暮らそうよ。そうしたらきっと、コーヒーだってもっとおいしくなるはずだし、ミルクだってもっと純白になるはず。ね、そうでしょ? きいてるの?」


えんりょしたにかいにようしゃなくあがるおとうととてもよいしごとした

二階にはなにがあるんだろう。僕はそれを知らない。ただ、何人ものおとうとが容赦なく、階段を駆け上がっていく。どっどっどっどっどっどっ。足音の残響。いつまでも耳にこびりついて離れない。気づけばあたりは暗くなっている。そおっと階下から上をみあげるが、おとうとの姿はない。何人もあがっていったのに、ひとりとして帰ってはこない。静寂があたりを満たす。おとうとは、なにかを遂げたのだろうか。なにかを見つけたのだろうか。おろされていたはねばしが、音もなくあがってゆく。僕はただ、呆然とそれをみている。みている。みている。……
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