芥川龍之介のこんな滑稽な俳句を見つけました――《青蛙おのれもペンキぬりたてか》。もっとも、芥川龍之介、といえば蛙じゃなくて「河童」。小説『河童』は、『ガリバー旅行記』に似ています。精神病患者の談話という形で、主人公がユートピアのようにも人間の社会がグロテスクに戯画化されたような河童の国を旅した顛末が語られます。
エッセイ『本所両国』には、芥川が子どものころに聞いた河童のはなしが出てきます。芥川龍之介が育った今の地名でいう墨田区両国は、まだ江戸趣味が豊かに残っていました。近代合理主義と魑魅魍魎のうごめく世界、西洋の知性と古い日本のカオスのせめぎあいは、芥川文学の原動力。ふたつの世界のいわゆる「波打ち際」。そうそう、空想上の生きもの河童も、蛙も水陸両生でした。
蛙といえば、なんといっても《古池や蛙飛びこむ水のおと》――松尾芭蕉のこの俳句。古池が森閑と静まりかえっています。季節は晩春、蛙が飛び込む水音。ところで、嵐山光三郎は、『悪党芭蕉』の中で、蛙は池にジャンプして飛び込まない、と言っています。わたしもフィクションだとおもいます。
リアリズムといえば、与謝蕪村の句《およぐ時よるべなきさまの蛙(かはづ)かな》には、蛙が力をあつめて四肢全体でおもいきり水を蹴った後、水のながれに身を任せている姿態を切り取り、画家の眼でこまやかに観察しています。
芭蕉のつぎに知られているのが小林一茶《痩蛙まけるな一茶是に有》の句じゃないでしょうか。はじめてこの俳句を読んだとき二匹の蛙が相撲をとっている田圃の道にしゃがみこんでニコニコ笑いながら痩せた蛙に声援をおくっている良寛さんの姿が浮かんできました。実際には、繁殖期のひきがえるの泥中のいどみ合いを見世物を見学に行った五十四歳一茶翁の物付き。
この句、俳句の素人のわたしにだって、芭蕉や蕪村の句に比べてたいしたものじゃないな、ぐらいはわかります。でも、作品の評価はともかく、小林一茶という人物、江戸の文芸が一般には、比較的富裕な町人階層とドロップアウトした武家インテリゲンチアを基盤に名主や富商や医師、僧侶といった地域の有力者たちが、俳諧の隆盛を支えていたなかで、本物の百姓の出身。
蛙が水の中でも陸の上でも生きられ、両方を自由に行ったり来たりできる生物だとしたら、一茶も封建主義の世界を自由に行き来できました。また、「水」が目に見えない無意識の世界の象徴、「陸」が目に見える意識的な世界を象徴しているとしたら、蛙は、意識と無意識をつなぐ役割も担っています。
一茶には、「夜五交合」「三交」「四交」と付けた閨房記録が有名だが、年譜をみると、つよい生命力の影に「文化十三年五月(一茶五十四歳)長男千太郎没(生後二十八日)/文政二年六月 (一茶五十七歳)長女さと没(一歳二カ月)/文政四年一月 (一茶五十九歳)次男石太郎没(生後九十六日)/文政六年五月 (一茶六十一歳)妻菊没(三十七歳)/文政六年十二月(一茶六十一歳)三男金三郎没(一歳九カ月)」と夥しい死が。
先に、芥川龍之介のところで「ガリバー旅行記」のことに触れました。ガリバーは、リリパット(小人国)や、ブロブディング(巨人国)以外にも、たくさんの国を旅しています。不死の国、馬の国(フウイヌム)、日本にもやってきました。その中で、飛ぶ島(ラピュータ)がありました。おかしな服――太陽や月、星、ヴァイオリンやフルートなどの楽器の模様を着た人々が、いつも熱心に考え事をしていて、頭がみんな右や左に傾いています。召使が、棒(カラサオ)をもっていて、棒の先には豆のはいった膀胱。召使は、しきりに膀胱で主人の口や耳をたたく。――頭(観念)と膀胱(欲望)に引き裂かれていた。地に足がついていない。(ラピュータは、スウィフトの持病である眩暈の発作も反映しているそうです)。
「蛙」は、進化論の段階では、われわれ哺乳類になる前の、いわば大人以前の未熟な子供、母親の胎内から出た赤ん坊とも考えられます。でも、詩だって、ことばの生命そのもの、命の鼓動から(そして死の闇から)あまり離れすぎると、死ぬことのできない「不死の国」に行ってしまいます。
「蛙の詩人」といえば草野心平。次回は、心平などのたくさんの蛙に登場してもらいましょう。最後に「ぐりまの死」を――《ぐりまは子供に釣られて叩きつけられて死んだ/取りのこされたるりだは/菫の花をとって ぐりまの口にさした//半日もそばにいたので苦しくなって水に這入った/顏を泥にうずめていると/かんらくの声々が腹にしびれる/泪が噴上げのように喉にこたえる//菫をくわえたまんま/菫もぐりまも/カンカン夏の陽にひからびていった》