『資本論』学習資料室

泉州で開催された「『資本論』を読む会」の4年余りの記録です。『資本論』の学習に役立たせてください。

『資本論』学習資料No.24(通算第74回)(2)

2020-12-21 15:25:25 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.24(通算第74回)(2)

◎原注109

【原注109】〈109 (イ)重商主義は、金銀による貿易差額の決済を世界貿易の目的として取り扱うのであるが、その反対者たちもまた世界貨幣の機能をまったく誤解していた。(ロ)流通手段の量を規制する諸法則の誤解が貴金属の国際的運動の誤解に反映しているだけだということを、私はリカードについて詳しく指摘しておいた。(『経済学批判』、150ページ以下。〔本全集、第13巻、143(原)ページ以下を見よ。〕)(ハ)それだから、リカードのまちがった説、すなわち、「貿易の逆調の結果ではなく、むしろその原因である」という説は、すでにバーボンの次のような言葉のうちに見いだされるのである。(ニ)「貿易の差額は、もしそういうものがあるとすれば、1国から貨幣が輸出されることの原因ではなく、この輸出は、むしろ、地金の価値が国によって違うことから起きるのである。」(N・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』、59ぺージ。) (ホ)マカロックは、『経済学文献、分類目録』、ロンドン、1845年のなかで、バーボンのこの先見をほめてはいるが、しかし、バーボンではまだ「通貨主義」の不合理な諸前提がとっている素朴な形態には、言及することさえも用心深く避けている。(ヘ)この目録の無批判性、じつにその不誠実ささえもが、貨幣理論の歴史に関する篇では頂点に達している。(ト)というのは、マカロックが、ここでは、彼が「随一の銀行家」〔"facile princeps argentarlorum"〕と呼ぶオーヴァストン卿(元銀行家ロイド) の追従者として、しっぽを振っているからである。〉

  (イ)  重商主義は、超過した貿易差額を金銀で決済することが世界貿易の目的だと誤って論じたのですが、その反対者たちもこれはまたこれで、世界貨幣の機能をまったく誤解していました。

  これは〈支払手段としての機能は、国際貸借の決済のために、他の機能に優越する。それだからこそ、重商主義の標語--貿易差額〉という本文につけられた原注です。しかし本文と関連するのは、この最初の文節だけで、あとは通貨主義の誤った貨幣論の批判に当てられています。ここでは重商主義について論じている『経済学批判』から紹介しておきましょう。

 〈近代ブルジョア社会の幼年期である16世紀と17世紀に、一般的な黄金欲が諸国民と諸王侯とを海を渡り越える十字軍によって黄金の聖杯を追いもとめさせたが、それと同様に、近代世界の最初の解釈者である重金主義--重商主義はただその一変種にすぎない--の創始者たちは、金銀すなわち貨幣を唯一の富である、と宣言した。適切にも彼らは、ブルジョア社会の使命は金(カネ)を儲けること、したがって単純な商品流通の立場からすれば、紙魚(シミ)にも錆にもおかされない永遠の財宝を形成することである、と明言した。……重金主義と重商主義とが、世界商業と世界商業に直接つながる国民的労働の特殊諸部門とを富または貨幣の唯一の真の源泉だとしてとくに取り出したとするならば、その時代には国民的生産の大部分がまだ封建的形態で運動していて、直接の生計源泉として生産者自身に役だっていた、ということを考慮にいれなければならない。生産物は、大部分が商品に転化されず、したがって貨幣に転化されず、一般的な社会的物質代謝に全然はいっていかなかったから、したがって一般的抽象的労働の対象化としては現われず、実際上、すこしもブルジョア的富を形成しはしなかった。流通の目的としての貨幣は、生産を規定する目的および推進する動機としての交換価値または抽象的富--富のなんらかの素材的要素ではなく--である。ブルジョア的生産の前段階にふさわしく、あの認められない予言者たちは、交換価値の純粋な、手でつかむことのできる、光り輝く形態を、すべての特殊な商品に対立する一般的商品としての交換価値の形態を、しっかりとらえたのである。〉 (全集第13巻134-135頁)

  〈その反対者たちもまた世界貨幣の機能をまったく誤解していた〉という部分についても『経済学批判』から紹介しておきましょう。

  〈貨幣を流通の結晶した産物としての形態規定性だけで知っているにすぎない重金主義と重商主義に対立して、古典派経済学がそれをなによりもまずその流動的な形態で、商品変態そのものの内部でつくりだされてはまた消え去る交換価値の形態として把握したのは当然至極なことであた。だから商品流通がもっぱらW-G-Wの形態で、この形態がまたもっぱら販売と購買との過程的統一という規定性で把握されるように、貨幣は、貨幣としてのその形態規定性に対立して、流通手段としてその形態規定性において主張される。流通手毅そのものが、鋳貨としてのその機能において孤立させられると、すでに見たように、それは価値章標に転化する。だが、古典派経済学は、まずもって流通の支配的形態としての金属流通に対面したのであるから、金属貨幣を鋳貨として、金属鋳貨をたんなる価値章標としてとらえる。そういうわけで、価値章標の流通の法則に照応して、商品の価格は流通する貨幣の量によって決まるのであって、逆に流通する貨幣の量が商品の価格によって決まるのではない、という命題がうちたてられる。〉 (全集第13巻135頁)

  つまり重商主義を批判した古典派経済学も商品の価格は流通手段の量によって決まるという間違った解釈に立っていたということです。そしてそうした主張を18世紀に代表したのがヒュームであり、19世紀における代表者はリカードということなのでしょう。

  (ロ)  流通手段の量を規制する諸法則の誤った理解が貴金属の国際的運動の誤った理解に反映しているだけだということを、私はリカードについて詳しく指摘しておきました。(『経済学批判』、150ページ以下。〔本全集、第13巻、143(原)ページ以下を見よ。〕)

  通貨学派は、商品の価格は貨幣の流通量によって規定されると主張したのですが、これはリカードの誤った貨幣理論をもとにしていました。その批判をマルクスは『経済学批判』の「C 流通手段と貨幣に関する諸理論」のなかで展開していますが、それは非常に長いもので残念ながらその紹介は割愛せざるをえません。各自、直接当たってみてください。

  (ハ)(ニ) ですから、リカードの誤ったドグマ、すなわち、「貿易差額の逆調は通貨の過剰以外のものからはけっして生じない。……鋳貨が輸出されるのはそれが安いせいであって、貿易差額の逆調ではなく、むしろその原因である」というドグマは、すでにバーボンに見られます。「貿易の差額は、もしそういうものがあるとすれば、1国から貨幣が輸出されることの原因ではなく、この輸出は、むしろ、地金の価値が国によって違うことから起きるのである。」(N・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』、59ぺージ。)

  この〈リカードのまちがった説、すなわち、「貿易の逆調の結果ではなく、むしろその原因である」という説〉というのは、『経済学批判』の次の一文に該当するように思えます。

  〈リカードが現実の諸現象を彼の抽象的理論の趣旨に合わせてどんなにむりやり組み立てているかは、2、3の例で示されよう。たとえぽ彼は次のように主張する。1800年から1820年までの期間にイギリスでしばしば起こった不作のさいに金が輸出されるのは、穀物が必要とされ、金が貨幣であり、したがって世界市場でつねに有効な購買手毅であり支払手段であるからではなくて、金の価値が他の諸商品にたいして低下し、その結果不作に見まわれた国の通貨〔currency〕が他の諸国の通貨〔currencies〕にくらべて減価したからである、と。すなわち、凶作が流通する商品の量を減少させたから、流通する貨幣のあたえられた量がその正常な水準を上回るようになり、その結果すべての商品価格が騰貴した、というのである。ところが、この逆説的説明とは反対に、1793年から最近時にいたるまでイギリスで不作が生じた場合には、流通手段の現在量は過剰とはならないで不足し、したがって以前よりも多くの貨幣が流通したし、また流通しなければならなかったことが、統計的に立証されたのである。〉 (全集第13巻152-153頁)

  なおバーボン(1640-1698)については、『資本論辞典』から簡単に紹介しておきましょう。

  〈イギリスの医者・経済学者.……主著としては《A Discourse of Trade》(1690) (久保芳和訳)と《A Discourse concerning Coining the New Money Lighter》(1696)とがあるが.前著では国富としての金銀の重視をしりぞけ,黄金属の輸出にたいする重商主義的統制に反対し,過度の節約をいましめて国際分業と貿易の自由を主張した.後著では当時やかましく論議された時事問題たる貨幣改鋳の問題にかんしてロックの軽鋳反対論を論駁し. 軽鋳の利を説いた.マルクスはバーポンを引用するばあい,……もっぱら後者のみから引用している. ……しかし他方では,商品価格は流通手段の分量によって規定されるとなすヴァンダーリントやヒュームと共通した幻想をいだいていたとの批判をも記している。〉(534頁)

  なお『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』については次のサイトで抄訳が掲載されていますが、残念ながら今回引用されている部分は含まれていません。

  (ホ)(ヘ)(ト) マカロックは、『経済学文献、分類目録』、ロンドン、1845年のなかで、バーボンのこの先見の明を称賛してはいますが、しかし、バーボンでは、まだ素朴な形態でではあるにせよ、「通貨主義」のばかげたもろもろの仮定が現われていることには、言及することさえも用心深く避けています。この目録の無批判性、じつにその不誠実ささえもが、貨幣理論の歴史に関する篇では頂点に達しています。というのも、ここではマカロックは、彼が「銀行業者の熟達した第一人者」〔"facile princeps argentarlorum"〕と呼ぶオーヴァストン卿(元銀行家ロイド) の追従者として、この人物にしっぽを振っているからです。

  〈マカロックが、ここでは、彼が「随一の銀行家」〔"facile princeps argentarlorum"〕と呼ぶオーヴァストン卿(元銀行家ロイド) の追従者として、しっぽを振っているからである〉という部分について、『資本論辞典』は〈これはマカロックがオーヴァストーンのために彼の論文集を編集したり,オーヴァストーンの費用で経済学の稀観書を数巻にまとめて復刻したことなどから,マカロックがオーヴァストーンのお抱え学者となり,通貨主義者で貨幣数量税論者のオーヴァストーンに遠慮して批判的たりえなかったといっているのである.〉(556頁)と説明しています。

  マカロック(1789-1864)については、マルクスは『剰余価値学説史』のなかで、次のように述べています。

  〈〔マカロックは、〕リカードの経済学を俗流化した男であり、同時にその解体の最も悲惨な象徴である。彼は、リカードだけでなくジェームズ・ミルをも俗流化した男である。
  そのほか、あらゆる点で俗流経済学者であり、現存するものの弁護論者であった。喜劇に終わっているが彼の唯一の心配は、利潤の低下傾向であった。労働者の状態には彼はまったく満足しているし、一般に、労働者階級に重くのしかかっているブルジョア的経済のすべての矛盾に満足しきっている。〉 (全集第26巻Ⅲ219-220頁)

  マルクスは全体としてマカロックを俗流経済学者として激しい言葉で論難しています。


◎原注110

【原注110】〈110 たとえば、援助金とか、戦争遂行のためや銀行の正貨兌換再開などのための借入金などの場合には、価値は貨幣形態そのもので要求されることがありうる。〉

   これは〈最後に、富の絶対的社会的物質化として役だつのは、購買でも支払でもなく、一国から他国への富の移転が行なわれる場合であり、しかも商品形態でのこの移転が、商品市場の景気変動や所期の目的そのものによって排除されている場合である〉という本文につけられ原注です。だからここではその具体的な例が紹介されているといえるでしょう。①援助金、②戦争遂行のための借入金、③兌換再開のための借入金などの場合だということです。


◎第4パラグラフ(世界貨幣の準備金としての蓄蔵貨幣)

【4】〈(イ)各国は、その国内流通のために準備金を必要とするように、世界市場流通のためにもそれを必要とする。(ロ)だから、蓄蔵貨幣の諸機能は、一部は国内の流通・支払手段としての貨幣の機能から生じ、一部は世界貨幣としての貨幣の機能から生ずる(110a)。(ハ)このあとのほうの役割のためには、つねに現実の貨幣商品、生身(ナマミ)の金銀が要求される。(ニ)それだからこそ、ジェームズ・ステユアートは、金銀を、それらの単なる局地的代理物から区別して、はっきりと世界貨幣〔money of the world〕と呼んで特徴づけているのである。〉

  (イ) どの国も、その国内流通のために準備ファンドを必要とするように、世界市場流通のためにも準備ファンドを必要とします。

  これまで学んできた蓄蔵貨幣の第1の機能は、貨幣の流通手段としての流通量を調節するための準備金という役割でした。  同じ国内の流通領域では、もう一つは支払手段としての貨幣の機能からもその準備金としての蓄蔵貨幣の機能が付け加わります。そして最後に世界貨幣としての貨幣の機能から生じるその準備ファンドとしての蓄蔵貨幣の機能があるわけてす。

  (ロ) つまり、蓄蔵貨幣が果たす諸機能は、一部は国内の流通手段および支払手段としての貨幣の機能から生じますが、一部は世界貨幣としての貨幣の機能から生じるのです。

  だから準備金としての蓄蔵貨幣が果たす機能は、一つは国内の流通領域において、もう一つは世界市場において生じることになります。

  (ハ) 世界貨幣としての役割のためには、つねに現実の貨幣商品が、つまり生身(ナマミ)の金銀が要求されます。

  そして世界貨幣としての貨幣の機能から生じる準備金としての蓄蔵貨幣は、現物の金そのもの、金地金の形態で存在することが要求されます。
  国内流通における準備ファンドは資本主義的生産の発展につれてさまざまな形態を取り得ます(むしろその多く例えば預金のように架空なものにさえ転化します)が、世界貨幣の準備金としては、歴史的には長く金の現物がその役割を果たしてきたのです。
  しかし今日では世界的な信用制度の発展とともに、金の現物はこうした世界貨幣の準備金としての役割からも徐々に解放され、その多くは本源的な蓄蔵貨幣として世界の中央銀行や(それは依然として各国の信用の軸点ですが)、個々の資産家の金庫のなかにある(彼の富裕さの象徴として)だけになっています。これに関しては最後にも論じます。

  (ニ) だからこそ、ジェームズ・ステユアートは、金銀を、金銀の単なる局地的代理物から区別して、はっきりと世界貨幣〔money of the world〕と呼んで特徴づけているのです。

   ジェームズ・ステュアートは、金銀を〈それらの単なる局地的代理物〉、すなわち鋳貨とは区別して、世界貨幣と呼んでいるわけです。マルクスは『経済学批判・原初稿』までは、〈世界貨幣〉ではなく、〈世界鋳貨〉という用語を使っていましたが、『経済学批判』ではこのステュアートの特徴づけに倣って、〈世界貨幣〉という用語を採用したのかも知れません。


◎原注110a

【原注110a】〈110a (イ)第二版への注。「正貨兌換諸国での貨幣蓄蔵の仕組みが、一般流通からこれといった援助も受けずに、国際的調整に必要なあらゆる役目を果たしうることについては、じっさい、次のこと以上に確実な証明は望みえないであろう。すなわち、フランスが、破壊的な外敵の侵入の打撃からやっと立ち直ったばかりのときに、自分に課された連合国にたいする約2000万の賠償金の支払を、しかも金額のかなりの部分を正貨で、27カ月のあいだに容易に完了しながら、しかも国内通貨にはこれというほどの収縮や攪乱もなく、また為替相場のたいした動揺さえもなかったということがそれである。」(フラートン『通貨調節論』、141ページ。〔岩波文庫版、福田訳、177ページ。〕) {(ロ)第四版への追補。--われわれが知っているもっと適切な例は、同じフランスが、1871-73年に、これの10倍以上にのぼる賠償金を、やはりかなりの部分まで金属貨幣で、30カ月のあいだに容易に支払うことができたということである。--F ・エンゲルス}〉

  (イ) 第二版への注。「正貨兌換諸国での貨幣蓄蔵の仕組みが、一般流通からこれといった援助も受けずに、国際的調整に必要なあらゆる役目を果たしうることについては、じっさい、次のこと以上に確実な証明は望みえないであろう。すなわち、フランスが、破壊的な外敵の侵入の打撃からやっと立ち直ったばかりのときに、自分に課された連合国にたいする約2000万の賠償金の支払を、しかも金額のかなりの部分を正貨で、27カ月のあいだに容易に完了しながら、しかも国内通貨にはこれというほどの収縮や攪乱もなく、また為替相場のたいした動揺さえもなかったということがそれである。」(フラートン『通貨調節論』、141ページ。〔岩波文庫版、福田訳、177ページ。〕)

  これは〈だから、蓄蔵貨幣の諸機能は、一部は国内の流通・支払手段としての貨幣の機能から生じ、一部は世界貨幣としての貨幣の機能から生ずる〉という本文につけられた原注です。
  この原注として引用されているフラートンの指摘している歴史的事実は、世界貨幣の第3の機能に、すなわち〈富の絶対的社会的物質化として役だつ〉ものとして〈一国から他国への富の移転が行なわれる場合〉に該当します。これも一国のなかにある蓄蔵貨幣から行なわれるのですが、しかしそれは国内の流通に必要な貨幣量には何の影響も与えることなく、行なわれたのだということです。この蓄蔵貨幣は当然国内の流通に必要な準備金としての役割も果たしていますが、しかしそうした国内流通の準備金としての機能には影響を与えなかったということです。
  フラートンは当時のフランスについて〈フランス王国における金属通貨の使用高は1億2千万ポンドに達する〉とし、退蔵分は〈その流通分ないし活動部分を相当陵駕しているといわざるを得ぬ〉(前掲171頁)と述べています。同じ時期のイギリスの金流入額が〈約1400万ポンドという空前の巨額に達している〉(172頁)とも述べているのと比較すると、当時のフランスの金の退蔵額というのは大変なものだったと想像されます。

  (ロ) 第四版への追補。--私たちの知っているもっと適切な例は、同じフランスが、1871-73年に、これの10倍以上にのぼる賠償金を、やはりかなりの部分まで金属貨幣で、30カ月のあいだに容易に支払うことができたということです。--F ・エンゲルス}

  これはエンゲルスによる追補ですが、同じフランスがフラートンの指摘するケースより10倍もの賠償金を支払っても国内流通には影響を与えることなく、容易に支払うことができたということです。〈1871-73年〉というのは恐らく普仏戦争(1870-1871年、フランスとプロイセンとの間で行われた戦争)における賠償金の支払を指しているようです。フランスは1871年の講和条約によって、50億フランの賠償金の支払とアルザス・ロレーヌ(エルザス・ロートリンゲン)の大半を割譲することになったのです。またこの戦争はパリ・コミューンが圧殺された戦争でもあります。


◎第5パラグラフ(金銀の流れの運動は二重のものである)

【5】〈(イ)金銀の流れの運動は二重のものである。(ロ)一方では、金銀の流れはその源(ミナモト)から世界市場の全面に行き渡り、そこでこの流れはそれぞれの国の流通部面によっていろいろな大きさでとらえられて、その国内流通水路にはいって行ったり、摩滅した金銀鋳貨を補填したり、奢侈品の材料を供給したり、蓄蔵貨幣に凝固したりする(111)。(ハ)この第1の運動は、諸商品に実現されている各国の労働と金銀生産国の貴金属に実現されている労働との直接的交換によって媒介されている。(ニ)他方では、金銀は各国の流通部面のあいだを絶えず行ったり来たりしている。(ホ)それは、為替相場の絶え間ない振動に伴う運動である(112)。〉

  (イ)(ロ)(ハ) 金銀の流れの運動は二つのものがあります。一方では、金銀の流れはその源(ミナモト)から世界市場の全面に行き渡り、そこでこの流れはさまざまの国の流通部面によってさまざまの大きさでとらえられて、その国内の流通水路にはいって行ったり、摩滅した金銀鋳貨を補填したり、奢侈品の材料を供給したり、蓄蔵貨幣に凝固したりします。この第1の運動を仲立ちするのは、諸商品に実現されている各国の労働と、貴金属に実現されている金銀生産国の労働との直接的交換です。

  貨幣として流通している金銀は、どのようにして流通のなかに入ってくるのかという問題は実はなかなか難しい問題なのです。例えば今日の貨幣(通貨)である日本銀行券は日銀が発行していることは明らかですが、それは果たして貨幣(通貨)として流通のなかに入るのはどの時点でどのようにしてか、という問題はなかなか一筋縄では行きません。これは貨幣とはそもそも何かということとも関連して、というよりその理解によっては貨幣そのものの理解が混乱してくるという点でも重要な問題を持っているのです。ある人は銀行券は日銀の債務証書という形をとっていることから、そもそも貨幣というのは貸借関係から生まれてくるのだと主張しています。内生的貨幣供給論などという説がまことしやかに論じられたりしているのです。
  しかしこうした迷論を批判的に検討するためにも、やはり金銀という金属貨幣流通の基礎をふまえておく必要があるのです。そして金銀の流通については、マルクスは二つのものを区別する必要があると述べています。一つはその生産源から世界のさまざまな国々行き渡る流れです。もう一つは世界の国々のあいだを行ったり来たりしている流れです。後者のものは主要には商品の国際的な売買の結果として流通します(もちろんそれ以外にもただ貨幣を海外に移送するための動きもあります)。
  そしてここではその最初の流れが問題になっています。金銀の生産地から世界の国々へと流れていくケースです。この問題については、すでに私たちは何度か『資本論』の前の部分でお目にかかったことがあります。例えば「第2章 交換過程」(全集第23a巻123頁)や第3章「第2節 流通手段」の「a 商品の変態」のところ (全集第23a巻144頁)、さらには「第3節 貨幣」の「a 貨幣蓄蔵」 (全集第23a巻171-172頁)のところで論じられていました。
  もちろん、これらは金銀が貨幣として実際にも流通していた当時の現実を踏まえたものです。しかしこれは貨幣の本質とその流通の法則を根底において明らかにしたものでもあるのです。確かに現代ではこのように金銀が貨幣として流通しているという現実はありません。しかし銀はともかく金は依然として貨幣として存在しているのです。その多くは本源的な蓄蔵貨幣として存在していますが、しかし諸商品の価値を尺度するものとしても金は、観念的にではありますが、機能しています。そしてこの価値を尺度するという金の観念的な機能には、現実の貨幣としての金の存在が前提されているのです。それは金が東京やニューヨークやロンドンなどの金市場で売買されていることによって示されています。その現実の金の売買価格が金がそれぞれの代理通貨(円、ドル、ユーロ等)の代表する金量を計っているのであり、その代理通貨にもとづいて各国の度量基準が決まっているのです。もちろん、現代の通貨は不換券ですから、度量基準が決まっていると言っても、1円が何グラムの金を代理すると法的に決まっているわけではありません。しかし金市場で金の価格がそれぞれの国の通貨で計られるということはそれぞれの通貨がどれだけの金を代理しているのかを現実の商品流通そのものがそれを示しているのです。つまり1円、1ドル、1ユーロが何グラムの金を代理しているのかをそれぞれの金価格(それは代理通貨と金との関連を表しています)は示しているのです。
  だから日本でも日銀券が通貨として通用している前提には依然として現実の金の存在があり、私たちが軽四輪車が150万円だとか、リンゴ1個が150円だという形で、それぞれの商品の価値が価格によって表示され(円表示)、その価格で売買されている現実には、こうした1万円札が金2グラム(その時の東京の金の市場価格が1グラム5000円だったとして)を代理しているという現実を前提して計られているのです。
  もちろん、価値が価格として表示される過程そのものは一つの内的な法則によるものですから、私たちの目に見えるようなものではありません。それは一見すると商品所有者が恣意的に価格を決めて値札に書いているだけに見えるかも知れません。しかしそれが現実の価値を表しているかどうかは、商品の売買の過程を通して実証されるのであり、商品所有者は決して恣意的には値決めすることはできないのです。軽四輪車1台を150円にして、リンゴ1個を150万円にするのはある意味では勝手ですが、しかしそうしたものは現実の商品市場でたちまち是正されてしまいます。そして内在的に貫いている法則がそうした恣意な価格を是正して、内在的価値を表すものに価格を調整するのです。価格が商品の需給で上下するのは、まさに価格が価値を表示するための法則の貫徹の仕方だということです。そしてこうしたことは何も現実の金が貨幣として流通していたマルクスが生きていた昔の時代にのみ妥当なのではなく、今現在の私たちが生活している現実のなかにも貫いている法則なのです。
  こうして金がその生産地から世界のさまざまな国へと輸出されていく流れは、やはり今日でも存在しています。それらの多くは世界の国々の工業材料や奢侈品の生産材料として消費される以外は、中央銀行の金庫や個々の資産家の金庫のなかに本源的な蓄蔵貨幣としてただ眠っているだけではありますが。しかし市場における金の売買は常に行なわれているのです。

  (ニ)(ホ) 他方では、金銀はさまざまの国の流通部面のあいだを絶えず行ったり来たりしています。この運動は、為替相場のたえまない振動の結果として生じるものです。

  この問題は、マルクスは第3部(現行版の第35章)のなかでも取り上げて論じています。しかしその内容の紹介は字数の関係で割愛せざるを得ません。大谷禎之介著『マルクス利子生み資本論』第4巻の264-269頁を参照してください。


◎原注111

【原注111】〈111 「貨幣は、つねに生産物によって引き寄せられて、国々の必要に応じて国々のあいだに配分される。」(ル・トローヌ『社会的利益について』前出、916ページ。)「絶えず金銀を産出している諸鉱山は、それぞれの国にこのような必要量を供給するに足りるものを産出する。」(J・ヴァンダリント『貨幣万能論』、40ページ。)〉

 この原注は〈一方では、金銀の流れはその源(ミナモト)から世界市場の全面に行き渡り、そこでこの流れはそれぞれの国の流通部面によっていろいろな大きさでとらえられて、その国内流通水路にはいって行ったり、摩滅した金銀鋳貨を補填したり、奢侈品の材料を供給したり、蓄蔵貨幣に凝固したりする〉という本文につけられたもので、二つの著書からの抜粋からなっています。いずれも金銀の生産国から世界に配分されていくことを指摘するものになっています。ここでは二人の著者について『資本論辞典』から紹介しておきましょう(ただし概略だけ)。

・〈ル・トローヌ〉

  〈Guillaume Francois Le Trosne(1728-1780) フランスの経済学者.はじめ自然法学研究に従事したが,やがてケネーの影響をうけて経済学研究に入り.重農主義学説のもっとも有能な説明者の一人となった.……マルクスはル・トローヌにたいして積極的には論評を加えていないが. 『資本論』第1巻第1篇および第2篇で,重農主義の価値論を代表するものとして上記主著からしばしば引用し,彼が交換価値を異なる種類の使用価値の交換における量的関係すなわち比率として相対的なものと理解していること(KI-40;青木1-116;岩波1-74).また彼が商品交換は等価物間の交換であって,価値増殖の手段でないことを明示し(KⅠ-166;青木2-301-302;岩波2-30) .コンディヤックの相互剰余交換鋭をきわめて正当に批判していること(KI-I66;青木2-303-304;岩波2-32)などを指摘している.〉(580頁)

・〈J・ヴァンダリント〉

  〈Jacob Vanderlint(1740) イギリスに帰化したオランダ商人.唯一の著書《Money answers all Things》 (1734)によって知られている.貿易差額脱を批判して自由貿易論へ道を開き,下層・中間階級の地位の引上げを目標とし. 高賃銀を要求し.土地にたいする不生産的地主の独占を攻撃した.マルクスは……第一に,流通手段の量は,貨幣流通の平均速度が与えられているばあいには,諸商品の価格総額によって決定されるのであるが,その逆に,商品価格は流通手段の量により,またこの後者は一国にある貨幣材料の量によって決定されるという見解(初期の貨幣数量説)があり,ヴァンダーリン トはその最初の代表者の一人である.この見解は,商品が価格なしに,貨幣が価値なしに流通に入り込み,そこでこの両者のそれぞれの可除部分が相互に交換されるという誤った仮設にもとづく"幻想"である,と批判されている.またこの諭点に関連して,ヴァンダーリントにおける,貨幣の退蔵が諸商品の価格を安くする,という見解が批判的に,産源地から世界市場への金銀の流れについての叙述が傍証的に引用されている.第二に,ヴァンダーリントはまた,低賃銀にたいする労働者の擁護者としてしばしば引用され,関説されている.第三に,マニュファクチァ時代が,商品生産のために必要な労働時間の短絡を意識的原則として宣言するにいたる事情が,ペティその他からとともにヴァンダーリントからもうかがい知ることができるとされている.上述の批判にもかかわらず.《Money answers all Things》は,‘その他の点ではすぐれた著述'であると評価され,とくにヒュームの《Political Discoureses》(初版1752)が,これを利用したことが指摘されている.……〉(472頁)


◎原注112

【原注112】〈112 「為替相場は毎週上がり下がりし、1年のある特定の時期には1国にとって逆に高くなり、また他の時期には反対の方向に同じほど高くなる。」(N・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』、39ページ。)〉

  これは〈他方では、金銀は各国の流通部面のあいだを絶えず行ったり来たりしている。それは、為替相場の絶え間ない振動に伴う運動である〉という本文につけられた原注です。バーボンからの抜粋だけです。またバーボンについてはすでに原注109の解説のところで『資本論辞典』から紹介しましたので、それを参照してください。


◎第6パラグラフ(ブルジョア的生産の発展している諸国では、蓄蔵貨幣を、その独自な諸機能に必要な最小限に制限する)

【6】〈(イ)ブルジョア的生産の発展している諸国は、銀行貯水池に大量に集積される蓄蔵貨幣を、その独自な諸機能に必要な最小限に制限する(113)。(ロ)いくらかの例外はあるが、蓄蔵貨幣貯水池が平均水準を越えて目につくほどあふれるということは、商品流通の停滞または商品変態の流れの中断を暗示するものである(114)。〉

  (イ) ブルジョア的生産の発展している諸国は、銀行貯水池に大量に集積される蓄蔵貨幣を、蓄蔵貨幣の独自なもろもろの機能のために必要とされる最小限に制限します。

  ブルジョア的生産が発展している諸国における蓄蔵貨幣はその中央銀行に集中され、必要最小限に縮小されますが、〈その独自な諸機能〉については、マルクスは現行版『資本論』第3部第5篇第35章で論じています。それはすでに第5パラグラフの解説のなかで紹介しましたが、そのなかで〈⑤〈銀行の地金準備という準備ファンドの使命{だがこの使命だけが地金準備の形成を規制するわけではない,というのは,地金準備は,国内外の商取引が麻痺するだけでも増大することがありうるのだから}は三重のものである〉として述べられていたものに該当します。それは〈1)国際的支払いのための準備ファンド,つまり世界貨幣の準備ファンド。2)膨張したり収縮したりする国内鋳貨流通の準備ファンド。3)銀行業と関連するものであって,貨幣のたんなる貨幣としての諸機能とはなにも関係のないもの,すなわち銀行券の兌換性のためと預金のための準備ファンド〉というものでした。

  (ロ) 蓄蔵貨幣貯水池が平均水準を越えて目につくほどあふれるということは、例外がないわけではありませんが、商品流通の停滞または商品変態の流れの中断を予示するものです。

  蓄蔵貨幣が平均水準を超えてあふれるという事態はどのような状態と考えているのかは分かりませんが、マルクスは恐らくイギリスの恐慌のあとの一時期のことを考えているのかも知れません。ここでは『経済学批判』から関連する部分を紹介しておきましょう。

 〈ブルジョア的生産の発展した段階では、蓄蔵貨幣の形成は、流通の種々の過程がその機構を自由にはたらかせるために必要とする最小限度に制限される。ここでそのものとしての蓄蔵貨幣になるのは--もしそれが諸支払の差額における超過の瞬間的な形態、中断された物質代謝の結果、したがって商品のその第一変態での硬化したものでないならば--、ただ遊休する富だけである。〉 (全集第13巻128-129頁)

  なおついでに指摘すると先に紹介した第3部第5篇第35章の一文の⑤のなかで〈銀行の地金準備という準備ファンドの使命……は三重のものである〉と書いていましたが、マルクスはそのあいだに挿入文を入れて、〈だがこの使命だけが地金準備の形成を規制するわけではない,というのは,地金準備は,国内外の商取引が麻痺するだけでも増大することがありうるのだから〉と書いていました。つまり国内外の商取引が麻痺するだけでも銀行の地金準備という準備ファンドは増大しうるとしています。これは恐慌後の沈滞期にはそうした事態が生じます。


◎原注113

【原注113】〈113 これらのいろいろな機能は、銀行券の兌換準備金という機能が加わってくれぱ、危険な衝突を起こすことがありうる。〉

   これは〈ブルジョア的生産の発展している諸国は、銀行貯水池に大量に集積される蓄蔵貨幣を、その独自な諸機能に必要な最小限に制限する〉という本文につけられた原注です。つまり本文で〈その独自な諸機能〉に関連して、〈銀行券の兌換準備金という機能〉が加われば危険な衝突を起こすというのですが、それについてはマルクスは現行版『資本論』第5篇第28章で論じています(すでに紹介した第35章でも論じています)。これも少し長くなりますが大谷氏の翻訳された草稿から紹介しておきましょう。

  〈もっとも,次のことによって紛糾の種がはいり込んでくる。すなわち,この準備ファンドが同時に銀行券の兌換性と預金とにたいする保証として役立つということによって,すなわち,私が貨幣の本性から展開した蓄蔵貨幣のさまざまな機能,つまり支払手段(国内におけるそれ,満期になった支払い)のための準備ファンドとしての,通貨〔currency〕の準備ファンドとしての,最後に世界貨幣の準備ファンドとしての,蓄蔵貨幣の機能が,ただ一つの準備ファンドに負わされる{それゆえにまた,事情によっては国内への流出が国外への流出と結びつくことがありうるということにもなる}ということによってであり,さらにそのうえに,蓄蔵貨幣がこれらの質のどれかにおける準備ファンドとして果たさなければならない諸機能の本性からはけっして〔出てこない〕機能である,信用システムや信用貨幣が発達しているところで兌換保証ファンドとして役立つという機能がつけ加えられるということによってであり,そしてこの二つのこととともに,1)一つの主要銀行への一国の準備フプンドの集中,2)できるかぎりの最低限度へのこの準備ファンドの縮小〔が生じること〕によってである。〉 (大谷『マルクスの利子生み資本論』第3巻130-131頁)


◎原注114

【原注114】〈114 「国内取引のために絶対に必要であるよりもたくさんある貨幣は、死んだ資本であって、外国貿易で輸入されたり輸出されたりする場合のほかには、それを保蔵している国になんの利得も与えない。」(ジョン・ベラーズ『論考』、13ページ。)「もしわれわれのもっている鋳貨が多すぎる場合は、どうであろうか? われわれは最も重いものを融解して、それを金銀のりっぱな皿にしたり、容器や什器にしてもよいし、あるいはそれを要望しているところへ物品として送り出してもよいし、あるいはまた利子の高いところがあれば利子をとって貸し付けてもよい。」(W・ペティ『貨幣小論』、39ページ。〔松川訳、所収、森戸・大内編『経済学の諸問題』、116ページ。〕)「貨幣は、政治体の脂肪にほかならない。それが多すぎれば政治体の敏活さを妨げることが多く、少なすぎれば政治体を病気にする。……脂肪は筋肉の運動をなめらかにし、栄養の不足を補い、身体のくぼみをみたし、こうして身体を美しくする。それと同じに、国家の場合には貨幣がその行動を敏活にし、国内が飢謹のときは海外から食料をとりいれ、貸借勘定を決済し……しかも全体を美化する。もっとも」、と皮肉に結んで、「それをたっぷりもっている特別な人々を普通以上に、ではあるが。」(W・ペティ『アイルランドの政治的解剖』、14、15ベージ。〔岩波文庫版、大内・松川訳『租税貢納論』、184-185べージ。〕)〉

  これは〈いくらかの例外はあるが、蓄蔵貨幣貯水池が平均水準を越えて目につくほどあふれるということは、商品流通の停滞または商品変態の流れの中断を暗示するものである〉という本文につけられた原注ですが、ジョン・ベラーズ『論考』とW・ペティの『貨幣小論』と『アイルランドの政治的解剖』という三つの著書からの抜粋でなっています。いずれも内容的には何も難しいことを述べているわけではありません。
 ジョン・ベラーズ(1654-1725)については以前、『資本論辞典』からその人となりを紹介したことがありますが、〈その一生を,貧民のための授産所の経営,教育制度の改善,慈善病院の役立などの社会事業や.監獄の改革,死刑の廃止にささげた〉とされ〈マルクスは,彼を‘経済学史上の非凡なる人物'と呼んで,……高く評価し〉たと指摘されていました。
  ペティ(1623-1687)についてもマルクスは『経済学批判』のなかで〈ペティは、労働の創造力が自然によって制約されているということについて思いちがいをすることなしに、使用価値を労働に分解している。彼は現実的労働をただちにその社会的総姿態において、分業としてとらえた。素材的富の源泉についてのこの見解は、たとえば彼の同時代人ホッブスの場合のように、多かれ少なかれ実を結ばずに終わることなく、彼をみちびいて、経済学が独立の科学として分離した最初の形態である政治算術に到達させた〉等々と高く評価しています。


◎現代の「世界貨幣」について

  「c 世界貨幣」を終えるにあたり、「現代の世界貨幣」について考えてみたいと思います。
  現代でも金は価値の絶対的な化身として通用しており、よって諸商品の価値を尺度する機能を果たしています。しかし諸商品の価格は、それぞれの国の通貨(ドル、ユーロ、円等々)によって表示されており、だからそれぞれの通貨の度量基準が存在しなければなりません(例えば1ドルがどれだけの金量を代表しているのかが客観的に決まってなければならないのです)。しかし度量基準が決まっていると言っても、不換制が一般的である今日では法的・制度的にそれが決まっているわけではなく、商品市場の現実によって日常的に変化するものとして決まっているのです。しかしある一定期間をとればそれぞれの通貨はこれこれの金を代理しているものとして、金の市場価格の平均値という形で表されます。金はこのように日常的に金市場において売買されていますが、しかし世界の金の大半は各国の中央銀行や機関の金庫に金地金として眠ってるだけです。それらは本源的な蓄蔵貨幣ということができます。しかしこうした現実こそ、「金はもはや貨幣ではない」などいう金廃貨論者たちの誤りを実証しているともいえます。そもそも金が貨幣でなければ、どうして世界の中央銀行はあれだけの金を保有をする必要があるでしょうか(*)。

  *2020年9月末の各国の中央銀行と公的機関の金保有量は次のようになっています。
  1位 アメリカ 8,133(トン、以下切り捨て) (79.4% 外貨準備に占める比率)
  2位 ドイツ   3,362                     (76.6)
  3位 IMF   2,814                     (-)
  4位 イタリア 2,451                     (71.1)
  5位 フランス 2,436                     (66.7)
  6位 ロシア   2,298                     (23.9)
  7位 中国     1,948                      (3.6)
  8位 スイス   1,040                      (6.2)
  9位 日本       765                      (3.3)
    〔世界の中央銀行金保有量合計35,106(トン)。〕

  マルクスは金の国際的な運動については、金の生産国から非生産諸国へと流れていく運動と、世界の国々の間を行ったり来たりしている運動とを区別する必要があるとしています。最初の金の産出国から世界の国々への流れは今日でも存在しているといえますが、第2の運動は果たしてどうでしょうか。
  それは以前には、為替相場の変動に応じて、金が輸出入される運動として存在していました。日本でも戦前の金解禁(金本位制への復帰)における金の流出という問題が生じました。この場合は多分に投機を目的とする流出でしたが、一般に、為替の価格が高くなり、その郵送料を入れても金で支払う方が安くつく場合は、金が現送されたのです。
  しかし今日では、こうした為替の帳尻をつけるために、金を現送するようなことはすでにありません。その意味では、マルクスが世界貨幣としての運動のなかで為替の変動につれて世界の国々を行ったり来たりする運動というようなものは特別な例外を除いてすでに無くなっていると言ってもいいでしょう。

  世界市場における商品の売買における支払は為替で行われるという基本は、マルクスの時代も今の時代も同じです。そればかりか為替の歴史は極めて古いもののようです(その前身はすでにギリシア、ローマ、ビザンティン帝国にあったといわれています)。為替というのは遠隔の地域にいる債権者と債務者が、現金(金・銀)を支払わずに、決済を行うための手段なのです。現金を遠くに送る場合には、危険がともないますし、多くの負担が生じます。だからそうしたことをせずに金融機関(昔は両替商など)を介して決済するために信用用具(為替)を使って行う取引の一つなのです。だから為替というのは、貨幣の支払指図証、あるいは貨幣請求権ともいうことができます。これは今日でも電子化されているものもありますが、原理的には同じものが通用しています。戦前の金本位制の時代にも、基本的には世界貿易における諸支払は為替で行われていたのです。しかし為替というのは、一つの債権証書ですから、それは利子生み資本の運動を行います。つまりその“売買”が行われる市場があり、その需要供給によってその額面の金額を中心に上下する価格で売買されるのです(だから為替は投機の対象にもなるわけです)。
  例えば日本の輸入商社がアメリカの穀物を輸入して、その代金をドルで支払う必要があった場合(この場合、アメリカの輸出業者が債権者、日本の輸入業者が債務者です)、日本の為替市場でドル為替(額面にドルで表示された支払額が書かれ、アメリカの銀行が支払義務を負っています)を買い(もちろん円で買うわけです)、それをアメリカに郵送して、その支払を行うことになります。その為替の価格は為替市場における需要と供給によって上下しますから、昔の金本位制の時代においては、高いドル為替を買って支払うよりも、金地金をそのままその送料を負担してでも送った方が安くつく場合もあったのです。その価格を金の現送点と言いますが、その場合は日本からアメリカに金が流出していくことになります。しかしすでに指摘しましたが、こうした金の現送は今は無くなっています。金本位制そのものがすでにないからです。各国の発行している銀行券は不換銀行券です。だから当然、金は兌換保証のための準備や預金の引き出しのための準備という役割もありません。中央銀行に保管されている金地金のほとんどは、ただ本源的な蓄蔵貨幣ということができます。しかし依然としてそれらは、それぞれの国の信用の究極の軸点としての位置づけはやはり残っているのではないでしょうか。アメリカが外貨準備の80%近くを金地金で保有しているのは(それは世界各国の中央銀行の保有する金地金の23%強です)そのことを象徴しています。
  では金が世界貨幣として果たしていた機能は、今は、どのような形で果たされているのでしょうか?
  戦後の世界資本主義の体制においては、「管理通貨制度」とか「ドル本位制」等々といわれる貿易の決済機構が存在してきました。つまりアメリカの国内通貨であるドルが世界の基軸通貨として通用しているのです。これは1971年のドルと金との交換停止以降も基本的には同じです。それ以前は、いわゆる固定相場制といって為替の上下の変動を一定額の範囲に規制する制度がありました。もちろん、為替の変動そのものを直接規制することはできませんから(もちろん為替市場に直接介入して、円やドルの為替を買い支えたり、売ったりするということはありえます)、国家の政策で為替の需給を規定する国際収支(貿易収支と資本収支等)を規制することによって、為替の変動を一定の範囲にとどめようという制度です。だから輸出を制限したりしなければならなかったのです。しかし金・ドル交換停止以降はそれもなくなり、変動相場制へと移行し、今日に至っています。
  ドルが基軸通貨になっているというのはどういうことでしょうか。基軸「通貨」というから、アメリカの通貨である「ドル札」が世界の貿易でも通貨として流通しているかのような錯覚をしている人が多いですが、こうしたことはありません。商品を世界市場で売買する場合も、やはりその商品の価値を価格として尺度しなければなりませんが、それをやるのはいうまでもなく金です。しかし自動車一台金何グラムという形で尺度はしません。価値尺度は国民的な通貨によって行われます。例えば日本では自動車1台100万円という形で価格表示されます。しかし日本の自動車をアメリカに輸出するときは、自動車1台1万ドルという形で、アメリカの通貨であるドルで表示するわけです。こうした円やドルによる価格の表示には背後に金による価値尺度の機能が働いています。もちろんこの金による価値尺度の機能は商品流通の中に貫いている法則ですから、それは私たちの目に見えるような形で行われるわけではありません。直接には日本の自動車メーカーが、そのときの為替相場にもとづいてドル表示をするわけですが、しかしそれによって自動車が輸出され販売される過程でその価格表示がその価値を正しく表しているかどうかを内在的な法則によって評価され、そのときの金の価値にもとづいた価格になるということでしかないのです。
  さて問題は日本の自動車の輸出商社(債権者)とアメリカの輸入商社(債務者)とのあいだの決済がどのように行われるのかということです。自動車1台1万ドルで100台輸出した商社は100万ドルの為替を切ります(これはアメリカの輸入商社とその取引銀行を媒介して発行されます)。それを日本の輸出商社が自分の取引銀行に預金します。取引銀行はそのドル為替を日本の為替市場に売り出して、円で受け取り輸出商社の円預金にします。そのドル為替を日本の穀物の輸入商社の取引銀行は購入して、穀物の輸入代金としてアメリカに郵送します。アメリカの穀物輸出商社はそのドル為替を自社の取引銀行に預金します。その取引銀行は交換所にそれをもちこみ、自動車の輸入商社の取引銀行と交換して相殺し、互いの口座間の振替で決済します。こうして自動車の輸出と穀物の輸入の支払が相殺されて決済されます(この交換所での交換による相殺と、両銀行内部での振替については、かなり簡略化しており、実際にはもっと複雑です)。
  このようにドルが基軸通貨になっているというのは、アメリカの通貨であるドルが商品の価値を尺度する通貨になっているということです。しかしドル為替を切るためには、アメリカの銀行がその支払を保証する必要があります。だからドル為替が流通しているということは、アメリカの銀行がそれを媒介しているということなのです。世界の商品の売買でドルが商品の価値を尺度する通貨になっているということは、アメリカの市中銀行がそうした売買を媒介する銀行になっているということです。
  そして先の例で、アメリカの穀物の輸出商社が取引銀行にアメリカの自動車の輸入商社の取引銀行が支払を保証したドル為替を持ち込めば、その輸出商社の預金額として記帳され、その取引銀行が、為替の支払義務のある自動車の輸入商社の取引銀行と交換所で交換しあって帳尻を合わせて決済しますが、もし帳尻が合わない場合は連邦準備銀行にある互いの当座預金間の振替で最終的に決済します。
  つまりドルが基軸通貨になっているということは、世界の貿易をアメリカの市中銀行が主に媒介しているということですが、それは同時にアメリカの中央銀行(連邦準備銀行)が世界の信用システムの軸点になっているということでもあるのです。
  今日の世界市場で、金が各国間を行き来することはなくなった大きな理由は、こうした世界的な信用システムがアメリカの連邦準備銀行を中軸として確立したことによるのです。それがドルが基軸通貨になっているということの内容です。だから世界の貿易や価値の移転にともなうさまざまな債権・債務の決済は、すべて為替を使った信用取引で行われ、最終的には預金の振替で決済されているのです。
  それは世界資本主義の発展によってその生産の社会化がますます発展して、世界の生産システムがますます社会的に一つの結合したものになっていることの反映でもあるのです。そしてそれはいうまでもなく世界社会主義の物質的基礎を準備しつつあるということでもあるのです。

 

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