『資本論』学習資料室

泉州で開催された「『資本論』を読む会」の4年余りの記録です。『資本論』の学習に役立たせてください。

『資本論』学習資料No.40(通算第90回)(3)

2024-02-15 20:11:49 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.40(通算第90回)(3)


◎原注196

【原注196】〈196 「われわれダンカークの労働者は次のことを宣言する。現在の制度のもとで要求される労働時間はあまりにも長すぎ、労働者のために休息や進歩のための時間を少しも残さず、むしろ、奴隷制度よりもわずかばかりましな隷属状態(“a condition of servitude but little better than siavery")に労働者を抑えつけるものである。それゆえ、1労働日は8時間で十分であり、また法律によって十分と認められなければならないということ、われわれは、強力な槓杆(テコ)である新聞に援助を求め……そして、この援助を拒むすべてのものを労働の改革と労働者の権利との敵とみなすということが決議されるのである。」(1866年、ニューヨーク州ダンカークにおける労働者の決議。)〉(全集第23a巻396頁)

  これは1866年8月のボルティモアの全国労働者大会の宣言の最後に付けられた原注です。ニューヨーク州ダンカークにおける労働者の決議が引用されています。8時間労働日の法律による制定を求め、新聞に協力を求めるという内容の決議になっています。全国労働同盟の創立大会の決議では、〈この国の労働を資本主義的奴隷制度から解放するために必要な現下最大の急務は、アメリカ連邦のすべての州で標準労働日を8時間とする法律の制定である。〉とありましたから、〈ニューヨーク州ダンカーク〉でも同様の決議が行われていることが紹介されていると考えられます。


◎第6パラグラフ(大西洋の両岸で生産関係そのものから本能的に成長した労働運動)

【6】〈(イ)こうして、大西洋の両岸で生産関係そのものから本能的に成長した労働運動は、イギリスの工場監督官R・J・サーンダーズの次のような陳述を裏書きするのである。
(ロ)「社会の改良へのさらに進んだ諸方策は、もしあらかじめ労働日が制限されて、規定されたその限度が厳格に強制されるのでなければ、けっして成功への見込みをもって遂行されることはできないのである。(197)」〉(全集第23a巻396頁)

  (イ)(ロ) こうして、大西洋の両岸で生産関係そのものから本能的に成長した労働運動は、イギリスの工場監督官R・J・サーンダーズの次のような陳述を裏書きするのです。「社会の改良へのさらに進んだ諸方策は、もしあらかじめ労働日が制限されて、規定されたその限度が厳格に強制されるのでなければ、けっして成功への見込みをもって遂行されることはできないのである。」

  ヨーロッパ、特にイギリスの10時間労働運動と北アメリカの8時間労働運動という大西洋の両岸で発達した労働運動は、ともに労働時間の制限を掲げているという点で、工場監督官サーンダースの次のような陳述を裏書きしているということです。それは、社会改良へのさらに進んだ方策のためには、あらかじめ労働日が制限されていて、厳格に強制されるのでなければ、決して成功への見込みはないというものです。

  『賃金・価格・利潤』から紹介しておきます。

 労働日の制限についていえば、ほかのどの国でもそうだが、イギリスでも、法律の介入によらないでそれが決まったことは一度もなかった。その介入も、労働者がたえず外部から圧力をくわえなかったらけっしてなされはしなかったであろう。だがいずれにしても、その成果は、労働者と資本家とのあいだの私的な取決めで得られるはずのものではなかった。このように全般的な政治活動が必要であったということこそ、たんなる経済行動のうえでは資本のほうが強いことを立証するものである。〉(全集第19巻150頁)


◎原注197

【原注197】〈197 『工場監督官報告書。1848年10月31日』、112ページ。〉(全集第23a巻396頁)

  これは本文で引用されている工場監督官サーンダースの陳述の典拠を示すものです。


◎第7パラグラフ(労働者たちは団結して、階級として、資本との自由意志的契約によって自分たちと同族とを死と奴隷状態とに売り渡すことを妨げる一つの国法を、超強力な社会的障害物を、強要しなければならない)

【7】〈(イ)われわれの労働者は生産過程にはいったときとは違った様子でそこから出てくるということを、認めざるをえな/いであろう。(ロ)市場では彼は「労働力」という商品の所持者として他の商品所持者たちに相対していた。(ハ)つまり、商品所持者にたいする商品所持者としてである。(ニ)彼が自分の労働力を資本家に売ったときの契約は、彼が自由に自分自身を処分できるということを、いわば白紙の上に墨くろぐろと証明した。(ホ)取引がすんだあとで発見されるのは、彼が少しも「自由な当事者」ではなかったということであり、自分の労働力を売ることが彼の自由である時間は彼がそれを売ることを強制されている時間だということ(198)であり、じっさい彼の吸血鬼は「まだ搾取される一片の肉、一筋の腱、一滴の血でもあるあいだは(199)」手放さないということである。(ヘ)彼らを悩ました蛇〔97〕にたいする「防衛」のために、労働者たちは団結しなければならない。(ト)そして、彼らは階級として、彼ら自身が資本との自由意志的契約によって自分たちと同族とを死と奴隷状態とに売り渡すことを妨げる一つの国法を、超強力な社会的障害物を、強要しなければならない(200)。(チ)「売り渡すことのできない人権」のはでな目録に代わって、法律によって制限された労働日というじみな大憲章〔98〕が現われて、それは「ついに、労働者が売り渡す時間はいつ終わるのか、また、彼自身のものである時間はいつ始まるのか、を明らかにする(201)」のである。(リ)なんと変わりはてたことだろう!〔Quantum mutatusab illo!〔99〕〉(全集第23a巻頁396-397)

  (イ) わたしたちの労働者は生産過程にはいったときとは違った様子でそこから出てくるということを、認めざるをえないでしょう。

  まずフランス語版を最初に紹介しておくことにします。

  〈われわれの労働者は生産の暑い室(ムロ)に入ったときとはちがった様子でそこから出てくる、ということを認めないわけにはいかない。〉(江夏・上杉訳311頁)

  以前、第2篇第4章「貨幣の資本への転化」の最後の一文は次のようなものでした。

  〈この、単純な流通または商品交換の部面から、卑俗な自由貿易論者は彼の見解や概念を取ってくるのであり、また資本と賃労働との社会についての彼の判断の基準を取ってくるのであるが、いまこの部面を去るにあたって、われわれの登場人物たちの顔つきは、見受けるところ、すでにいくらか変わっている。さっきの貨幣所持者は資本家として先に立ち、労働力所持者は彼の労働者としてあとについて行く。一方は意味ありげにほくそえみながら、せわしげに、他方はおずおずと渋りがちに、まるで自分の皮を売ってしまってもはや革になめされるよりほかにはなんの望みもない人のように。〉(全集第23a巻231頁)

  こうして労働者は生産過程に入っていったわけですが、そこではすでに見たように苛酷な搾取の現実が待ち受けていました。そして今度はそこから出てくるときはまた違った様子でそこから出てくるのだというのです。

  (ロ)(ハ)(ニ) 市場では彼は「労働力」という商品の所持者として他の商品所持者たちに相対していました。つまり、商品所持者にたいする商品所持者としてです。彼が自分の労働力を資本家に売ったときの契約は、彼が自由に自分自身を処分できるということを、いわば白紙の上に墨くろぐろと証明していたのです。

   まずフランス語版です。

  〈彼は市場では、別の商品の所有者に対する「労働力」商品の所有者として、商人にたいする商人として、現われた。彼が自分の労働力を売ったさいの契約は、売り手と買い手双方の自由意志のあいだの合意から生じているように思われた。〉(同前) 

  この市場では労働者は労働力の所持者としてどうだったかも、やはり第2篇第4章で次のように述べられていました。

  〈労働力の売買が、その限界のなかで行なわれる流通または商品交換の部面は、じっさい、天賦の人権のほんとうの楽園だった。ここで支配しているのは、ただ、自由、平等、所有、そしてベンサムである。自由! なぜならば、ある一つの商品たとえば労働力の買い手も売り手も、ただ彼らの自由な意志によって規定されているだけだから。彼らは、自由な、法的に対等な人として契約する。契約は、彼らの意志がそれにおいて一つの共通な法的表現を与えられる最終結果である。平等! なぜならば、彼らは、ただ商品所持者として互いに関係し合い、等価物と等価物とを交換するのだから。所有! なぜならば、どちらもただ自分のものを処分するだけだから。ベンサム! なぜならば、両者のどちらにとっても、かかわるところはただ自分のことだけだから。彼らをいっしょにして一つの/関係のなかに置くただ一つの力は、彼らの自利の、彼らの個別的利益の、彼らの私的利害の力だけである。そして、このように各人がただ自分のことだけを考え、だれも他人のことは考えないからこそ、みなが、事物の予定調和の結果として、またはまったく抜けめのない摂理のおかげで、ただ彼らの相互の利益の、公益の、全体の利益の、事業をなしとげるのである。〉(全集第23a巻230-231頁)

  つまり労働者は自身の労働力商品の所持者として資本家に相対し、商品交換の法則にもとづいて契約を交わしたのでした。だからそれは売り手と買い手の双方の自由意志の合意にもとづくものであったかに思われたのです。

  〈いわば白紙の上に墨くろぐろと〉という部分に新日本新書版には次のような訳者注が付いています。

  〈ゲーテ『ファウスト』、第1部、「書斎(第2)」の学生の言葉。手塚訳、中公文庫、第1部、137ページ〉(527頁)

  (ホ) 取引がすんだあとで発見されるのは、彼が少しも「自由な当事者」ではなかったということであり、自分の労働力を売ることが彼の自由である時間は、実は彼がそれを売ることを強制されている時間だということなのです。そしてじっさい彼の吸血鬼は「まだ搾取される一片の肉、一筋の腱、一滴の血でもあるあいだは」手放さないということが分かったのです。

  フランス語版です

  〈取引がいったん完了すると、彼がけっして「自由な当事者」でなかったということ、彼が自分の労働力を売ることを許されている時間は、彼がそれを売ることを強制されている時間であるということ(166)、実際には、彼を吸う吸血鬼は、「搾取すべぎ一片の肉、一筋の腱、一滴の血が彼に残っているかぎり(167)」、けっして彼を手放さないということ、が発見される。〉(同前)

  しかし労働者は彼の労働力を売り渡してしまうと、彼が決して自由な当事者ではなかったことに気づきます。彼が自由意志で労働力を売り渡したと思われたのは、実は彼にはそれ以外の選択肢がなく、ただ自分の労働力を売る以外に彼が生きていく手段がなかったからだからです。つまり彼は自由意志で売ったつもりが、そうではなく売ることを強制される関係のなかに彼がすでに置かれていたということなのです。そして実際には販売された労働力は、彼自身の生身の中に存在するわけですから、彼自身が資本によって一片の肉、一筋の腱や、一滴の血までもが搾取され搾り取られる運命にあるということなのです。

  (ヘ)(ト) 彼らを悩ました蛇にたいする「防衛」のために、労働者たちは団結しなければなりません。そして、彼らは階級として、彼ら自身が資本との自由意志的契約によって自分たちと同族とを死と奴隷状態とに売り渡すことを妨げる一つの国法を、超強力な社会的障害物を、強要しなければならないのです。

  〈労働者たちは、「自分たちの責苦の蛇(168)」にたいして身を守るためには、結集しなければならず、また、彼らやその子孫が「自由契約」によって奴隷状態や死にいたるまで資本に売り渡されることを阻止するような乗り越せない柵、すなわち社会的障害物を、強力な集団的努力によって、階級の圧力によって、うち建てなければならない(169)。〉(同前)

  だからこうした運命にある労働者は彼らを悩ます蛇から自身の身を守るためには、労働者たちは団結しなければならないのです。個々ばらばらでは資本の支配に抵抗するすべはありません。彼らは階級として、彼ら自身が資本との関係のなかで、自分たちの同族の死とその子孫が奴隷状態に陥らないように、社会的障害物を、集団的な努力によって、階級の圧力によって、勝ち取らなければなりせん。

  〈彼らを悩ました蛇〔97〕〉の注解97は次のようなものです。

  〈(97) 彼らを悩ました蛇--ハインリヒ・ハイネの時事詩『ハインリヒ』のなかの言葉の言い変え。〔岩波文庫版、番匠谷訳『ハイネ新詩集』、273ぺージ。〕〉(全集第23a巻18頁)

  フランス語版では上記のように次のような原注168が付いています。

  〈(168) ハインリヒ・ハイネの言葉。〉(江夏・上杉訳312頁)

  新日本新書版には次のような訳者注が付いています。

  〈旧約聖書、民数記、21・4-9の物語から。なおハインリヒ・ハイネ『新詩集』、時事詩、第9「ハインリヒ」の末尾の句参照。井上正蔵訳、『ハイネ全詩集』Ⅱ、角川書店、399ページ。番匠谷英一訳、岩波文庫、273ページ。〉(527頁)

  (チ)(リ) 「売り渡すことのできない人権」のはでな目録に代わって、法律によって制限された労働日というじみな大憲章が現われて、それは「ついに、労働者が売り渡す時間はいつ終わるのか、また、彼自身のものである時間はいつ始まるのか、を明らかにする」のです。しかしなんと変わりはてたことでしょうか!

  〈こうして、「人権」の華麗な目録が一つの慎み深い「大憲章」にとってかわられるが、この「大憲章」は、労働日を法定し、「労働者の売る時間がいつ終わって労働者に属する時間がいつ始まるかを、ついに明瞭に示す(170)」のである。なんと変わりはてたことだろう!〉(同上)

  それは法律によって労働日を制限することです。10時間労働日や8時間労働日の法定によって、労働者は労働力を売り渡す時間は何時終わり、何時から彼自身の時間が始まるのかを明らかにすべきなのです。
  売り渡すことのできない人権という派手な目録に代わって、売り渡す労働力を法的に制限するじみな憲章を、すなわち労働日の制限という憲章を打ち立て、労働者が売り渡す時間は何時に終わり、何時から自分の時間が始まるのかを明瞭に示す必要があるのです。しかしそれにしても、対等な商品所持者として自由意志で結んだ契約だったにも関わらず、法的保護を必要としなければならないとは、何と変わりはたてことでしょうか。

  〈「売り渡すことのできない人権」〉には新日本新書版には次のような訳者注が付いています。

  〈1776年のヴァージニアの「権利章典」ほかに由来する用語〉(527頁)

  全集版に付いている〈大憲章〔98〕〉の注解98は次のようなものです。

  〈(98) 自由の大憲章(Magna Charta Libertatum)--騎士階級と都市とに支持されて立ち上がった大封建諸侯、王臣貴族、教会諸侯たちがイギリス国王ジョン1世(欠地王) に強要した文書。1215年6月15日に署名された憲章は特に大封建諸侯のために国王の権利を制限し、また騎士階級や都市にたいするいくつかの譲歩を含んでいた。人口の主要部分である農奴には憲章はなんの権利も与えなかった。
  マルクスがここで言っているのは、イギリスの労働者階級が長い執拗な闘争で獲得した労働日制限のための諸法律のことである。〉(同前)

  新日本新書版にも次のような訳者注が付いています。

  〈イギリスの封建貴族が都市商人を見方にして王権を制限した1215年の文書。ここでは、労働日制限の諸法律をさす〉(527頁)

  〈なんと変わりはてたことだろう!〔Quantum mutatusab illo!〔99〕〉の注解99は次のようなものです。

  〈(99) なんと変わり果てたことだろう(Quanturm mutatua ab itto)--ウェルギリウスの叙事詩『アイネーイス』、第2書、詩節274の句。〔河出書房版『世界交学全集』、古典篇、ギリシア・ローマ文学篇、樋口・藤井訳、227ページ。〕〉(全集第23a巻18頁)

  新日本新書版にも次のような訳者注が付いています。

  〈ウェルギリウス『アエネイス』、第2巻、274行。泉井久之助訳、岩波文庫、上、98ページ〉(527頁)

  この最後の一文は、フランス語版ではわざわざ下線を引いて強調されていますが、イギリス語版は、この部分を次のように訳しています。

  〈なんと偉大なる変化がここに始まったことか ! * ( ラテン語 ローマの詩人 ウェルギリウス )〉

  これだと労働日を法的に制限するということを偉大な変化として受け止め、それが始まったのだという理解になります。果たしてこうした理解がよいのかどうかは判断の分かれるところです。ただこのパラグラフそのものは〈われわれの労働者は生産過程にはいったときとは違った様子でそこから出てくるということを、認めざるをえないであろう〉という一文で始まっています。つまり生産過程に入るために、労働者は労働力という商品の所持者として、資本と対等に、自由な意志によって契約を結んだのですが、しかしその生産過程では過酷な搾取が待っていて、労働者階級としての団結によって、それを抑止し法的に制限する法律を粘り強い闘いによって勝ち取る必要があったわけです。そのことが何と変わり果てたことか、と述べているように思えるのですが、正直に言ってよく分かりません。あるいはイギリス語版の理解が正しいとして、労働者は生産過程に入るときには、労働力という商品の所持者として資本と個別に契約を結ぶのですが、しかし生産過程における過酷な搾取に抗するためには、階級として団結して、それを抑止する法的制限を勝ち取らねばならないということから、労働者階級の階級としての団結と闘争が開始されるのだということで、〈なんと偉大なる変化がここに始まったことか ! 〉と締めくくっていると考えられなくもないです。


◎原注198

【原注198】〈198 「そのうえ、これらのやり方」(たとえば1848-1850年の資本の術策)「は、あのようにしばしばなされた主張が誤りであることの争う余地のない証拠を提供した。その主張というのは、労働者には保護は必要でなく、彼らは自分の所有する唯一の財産、すなわち自分の手の労働と自分の額の汗との自由な処分権をもっている所持者だと考えられてよいということである。」(『工場監督官報告書。1850年4月30日』、45ページ。)「もしそう呼んでもよいならば自由な労働は、自由な国においてさえ、それを保護するための法律の力強い腕を必要とする。」(『工場監督官報告書。1864年10月31日』、34ページ。)「……食事をとったりとらなかったりで1日に14時間労働するのを許すこと、それは強制するのと同じことであるが……」(『工場監督官報告書。1863年4月30日』、40ページ。)〉(全集第23a巻397頁)

 これは〈取引がすんだあとで発見されるのは、彼が少しも「自由な当事者」ではなかったということであり、自分の労働力を売ることが彼の自由である時間は彼がそれを売ることを強制されている時間だということ(198)であり〉という本文に付けられた原注です。
  ここでは工場監督官報告書から三つの引用がなされていますが、すべて本文の一文を根拠づけるものになっています。
  例えば〈取引がすんだあとで発見されるのは、彼が少しも「自由な当事者」ではなかった〉という一文については、〈労働者には保護は必要でなく、彼らは自分の所有する唯一の財産、すなわち自分の手の労働と自分の額の汗との自由な処分権をもっている所持者だ〉という〈あのようにしばしばなされた主張が誤りであることの争う余地のない証拠を提供した〉と述べていることに該当します。
  また〈自分の労働力を売ることが彼の自由である時間は彼がそれを売ることを強制されている時間だ〉ということについても、〈食事をとったりとらなかったりで1日に14時間労働するのを許すこと、それは強制するのと同じこと〉だと述べ、〈自由な労働は、自由な国においてさえ、それを保護するための法律の力強い腕を必要とする〉という一文に該当するのではないでしょうか。


◎原注199

【原注199】〈199 フリードリヒ・エンゲルス『イギリスの10時間労働法案』、所収、『新ライン新聞。政治経済評論』、1850年4月号、5ページ。〔本全集、第7巻、233(原) ぺージを見よ。〕〉(全集第23a巻398頁)

  これは〈じっさい彼の吸血鬼は「まだ搾取される一片の肉、一筋の腱、一滴の血でもあるあいだは(199)」手放さないということである〉という本文の引用文に付けられた原注で、その出展を示すものです。エンゲルスの『イギリスの10時間労働法案』については、以前(№39の)原注167の付属資料にその全文を掲げておきましたが、ここでは引用文と関連する前後の文章を紹介しておきましょう(赤字が関連する部分)。

  〈人々は、大工業の出現にともなって、工場主による、まったく新しい、限りなく破廉恥な労働者階級の搾取が生じたことを知っている。新しい機械は、成年男子の労働を過剰なものとした。そして、その監視のため、成年男子よりも、はるかにこの仕事に適し、しかも、いっそう安価に雇いうる婦人と児童を必要とした。工業における搾取は、したがって、ただちに労働者家族全体をとらえ、これを工場にとじこめた。婦人や児童は、極度に疲労しきって倒れるまで、日夜を分かたず働かねばならなかった。貧民労役所に収容された貧児たちは、児童にたいする需要の増大にともなって、完全な商品となった。4歳、いな3歳から、これらの児童は、ひとまとめにして、徒弟契約という形式で、いちばん高い値をつける工場主にせりおとされていった。当時の児童や婦人にたいする恥知らずの残忍な搾取、筋肉や腱の一片まで、血の最後の一滴まで、しぼりあげずにはやまない搾取にたいする思い出は、現在なおイギリスの旧世代の労働者たちのあいだにまざまざと生きている。背骨が曲がったり、手足を切断して片輪になったりして、この思い出を身にとどめているものも少なくない。しかし、そのような搾取のなごりとして、だれもかれもが、完全に身体をこわしている。アメリカのいちばんみじめな栽植農場の奴隷の運命でも、当時のイギリスの労働者のそれとくらべれば、なおすぼらしい。〉(全集第7巻239頁)


◎原注200

【原注200】〈200 10時間法案は、その適用を受ける産業部門では「労働者を完全な退廃から救い、彼らの肉体状態を保護してきた」。(『工場監督官報告書。1859年10月31日』、47ページ。)「資本」(工場における)「は、従業労働者の健康や道徳を害することなしに或る限られた時間よりも長く機械の運転をつづけることはけっしてできない。しかも、労働者たちは自分たち自身を保護することのできる立場には置かれていないのである。」(同前、8ぺージ。)〉(全集第23a巻398頁)

  これは〈そして、彼らは階級として、彼ら自身が資本との自由意志的契約によって自分たちと同族とを死と奴隷状態とに売り渡すことを妨げる一つの国法を、超強力な社会的障害物を、強要しなければならない(200)。〉という本文に付けられた原注です。
  すべて工場監督官報告書からの抜粋だけですが、10時間労働日の法律が、その適用を受ける産業部門では、労働者の頽廃を防ぎ、肉体の状態を保護してきたことや、法律のために、資本は労働者の健康や道徳を害するような長い時間、機械を動かすことができないようになったこと、それは法律によって可能になったのであって、労働者自身にはそうしたことを求める立場には置かれていないのだと述べています。
  なおこの〈『工場監督官報告書。1859年10月31日』〉というのはレナド・ホーナーの最後の報告書になるのだそうです。1860年1月11日付けのマルクスからエンゲルスへの書簡には、〈レナード・ホーナーは職を退いた。彼の最後の短い報告書には痛烈な皮肉がいっぱいだ。この退職にはマンチェスターの工場主たちが関係していたのではないかどうか、君が明らかにしてくれることはできないだろうか?〉(全集30巻7頁)と書かれています。
  『61-63草稿』から労働時間を制限することの意義を述べているところを紹介しておきましょう。

  労働時間の自然的限界を狂暴に踏み越えるのは、ただ資本の恥知らずで傍若無人な無節制であり、--そのさい、労働は、生産諸力の発展とともに、内密のうちに濃度を高め緊張を強めるのであるが、これが、資本主義的生産にもとづく社会にさえ、標準労働日を確固とした限界に強力によって制限することを余儀なくさせた(もちろんそのさいの主動力は、労働者階級自身の反杭である)ものなのである。この制限が最初に現われたのは、資本主義的生産がその組野な時代、根棒の時代をぬけて、みずからに固有の物質的土台をつくったすぐあとのことであった。労働時間のこの強制的制限にたいして、資本は労働をより強く濃縮することをもって応じたが、それはそれでまた、一定点までくると、ふたたび絶対的な労働時間の短縮をまねいた。延長に強度でとって替わるこの傾向は、生産の比較的高い発展段側階ではじめて現われる。この代替は、社会的進歩の一定の条件である。そうして、労働者にも自由な時間が生み出される。だから、ある一定の労働における強度は他の方向での活動、すなわち労働にたいして反対に休息として現われうる、休息の機能をはたしうる活動の可能性を廃棄するのではない。〔労働日の短縮の〕⑤この過程が、イギリスの労働者階級の肉体的、道徳的、知的な改善に及ぼした非常な好影響--〔これについては〕統計が立証している--は、ここから生まれるのである。
  ⑤〔注解〕 マルクスがこうした評価に到達したのは、イギリスの工場監督官の半年ごとの報告〔の研究〕によってである。とくに、『工場監督官報告書……1859年10月31日にいたる半年間」、ロンドン、1860年、47-48および52ページを見よ。--[カール・マルクス]「国際労働者協会創立宣言および暫定規約』(1864年9月28日、セント・マーティンズ・ホール、ロンドン、ロ/ング・エイカーで開催された公開集会で創立)ロンドン、1864年(『創立宣言--』、『マルクス・エンゲルス全集』、第16巻、所収)をも見よ。〉(草稿集⑨32-33頁)

  なおこの注解⑤で言及されている〈「国際労働者協会創立宣言および暫定規約』〉については、第7パラグラフの付属資料に掲載しています。


◎原注201

【原注201】〈201 「もっと大きい利益は、労働者自身の時間と彼の雇い主の時間との区別がついに明らかにされたということである。今では労働者は、彼の売った時間がいつ終わったか、そして彼自身の時間がいつ始まるか、を知っている。そして、これについて確かな知識をもつことによって、彼自身の時間を彼自身の目的のためにあらかじめ割り当てておくことができるようになる。」(同前、52ぺージ。)「彼らを彼ら自身の時間の主人とすることによって」(諸種の工場法は)「ある精神的なエネルギーを彼らに与え、このエネルギーは、ついには彼らが政治的権力を握ることになるように彼らを導いている。」(同前、47ページ。)露骨でない皮肉と非常に用心深い表現とで、工場監督官たちは、現在の10時間法が資本家をも単なる資本の化身としての彼に自然にそなわる残忍性からいくらかは解放して多少の「教養」のための時間を彼に与えたということをほのめかしている。以前は「雇い主は金銭のため以外には少しも時間をもっていなかったし、労働者は労働のため以外には少しも時間をもっていなかった。」(同前、48ページ。)〉(全集第23a巻頁)

  これは〈「売り渡すことのできない人権」のはでな目録に代わって、法律によって制限された労働日というじみな大憲章〔98〕が現われて、それは「ついに、労働者が売り渡す時間はいつ終わるのか、また、彼自身のものである時間はいつ始まるのか、を明らかにする(201)」のである。〉という本文に付けられた原注です。

  これも工場監督官報告書からの抜粋のあと、マルクスによって、〈露骨でない皮肉と非常に用心深い表現とで、工場監督官たちは、現在の10時間法が資本家をも単なる資本の化身としての彼に自然にそなわる残忍性からいくらかは解放して多少の「教養」のための時間を彼に与えたということをほのめかしている〉と述べています。つまり10時間法は労働者に恩恵を与えたのは当然ですが、そればかりではなく、資本家側にとっても彼らの残忍性から彼ら自身をいくから解放して、多少の教養を身につける時間を与えたのだというのです。それが〈以前は「雇い主は金銭のため以外には少しも時間をもっていなかったし、労働者は労働のため以外には少しも時間をもっていなかった。」〉という報告書の一文だということです。
  ところでここで〈同前〉とあるのは原注200で引用されていた〈『工場監督官報告書。1859年10月31日』〉のことです。今回引用されているものと関連しているものを『61-63草稿』から紹介しておきましょう。

 〈工場諸法は、「かつての長時間労働者たちの早老を終わらせた。それらは、労働者たちを彼ら自身の時間の主人とすることによって彼らにある精神的エネルギーを与えたのであって、このエネルギーは彼らを、最終的には政治権力を握ることに向けつつある」(『工場監督官報告書。185/9年1O月31にいたる半年間』、ロンドン、1860年、47ページ)。
 「①もっと大きい利益は、労働者自身の時間と彼の雇主の時間とが、ついにはっきりと区別されたことである。労働者はいまでは彼の売る時間聞はいつ終わっているのか、また彼自身の時間はいつ始まるのかということを知っている。そしてこのことをまえもって確実に知ることによって、彼自身の時間を彼自身の諸目的のためにまえもって予定しておくことができるようになる!」(同前、52ページ。)このことは、標準日の制定に関連してきわめて重要である。〉(草稿集④356頁

  (【付属資料】(1)に続く。)

 

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