Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

大雨警報とミンミンゼミ

2020年07月22日 10時13分40秒 | 天気と自然災害

 横浜では時間雨量50ミリを超える雨が降り続いている。一時は30メートル先の向かい側の号棟が白く煙って見にくくなった。風はほとんどない。
 9時半には横浜市域には大雨警報、洪水・雷注意報が出ている。

 10時を過ぎて雨脚は急激に弱まり、突然ミンミンゼミが鳴き始めた。まだ雨は降っているのに雨が止むのが待ちきれないらしい。じっと聞いていると2頭ほどが鳴き交しているようだ。一方が鳴くと一方が鳴きやむ。ステレオ放送を聞いているように私の左右の耳に交互に響いている。右の方が少し遠いかもしれない。

 この雨では外にも出られない。退職者会の仕事を午前中に片付けたい。

追加⇒ 10時半前には洪水注意報が洪水警報に切り替わった。


「オキザリス」

2020年07月21日 23時38分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 夜のウォーキングに出掛けたら、雨がポツポツと降ってきた。雨粒は大きめ。しかしポツポツ程度なので40分ほど帽子もかぶらず続行。最後は弱くなりやみそうなところで終了。




 本日の夕方に公園で「オキザリス」という花の名の札の傍にこの見たことのない花が咲いていた。カタバミ科とのこと。
 ネット上に「オキザリスはカタバミの仲間で800~850種があり、世界に広く分布しています。ロゼット状のものから低木状のもの、地中に球根をもつもの、多肉植物に近いものなど、形状はさまざまです。開花期や生育環境、性質も多様で変化に富んでいます」との説明があった。
 花についてはほとんどわからないので、公園に行くと名を知らぬ花ばかりで面食らう。知らないばかりでなく、覚えられない。新しい花の名を覚えても1時間もしないうちに忘れてしまう。写真に名前を写し込んでも、覚えられない。おぼえることはもうあきらめている。
 


「横浜市庁舎の震災復興」

2020年07月21日 21時00分56秒 | 読書



 同じく「開港資料館館報148号」に「横浜市庁舎の震災復興」という論考(吉田律人氏)が掲載されていた。
 災害時の市の行政の在り方など行政に携わったものにとっては興味ある内容。同時に居間一つわかりにくかった先月までの市庁舎にあった場所に四代目市庁舎が震災後に建てられた経緯がすこしだけわかった。
 この四代目新庁舎は、震災で焼けたレンガ造りの二代目が陸軍により爆破解体された後に、当初から仮庁舎として建てられた木造二階建てでり、横浜公園内には最初から分庁舎が建てられている。桜木町駅傍の中央職業紹介所に移転していたのはわずか2年間。引っ越しは天候も悪く、大変な作業であったらしい。
 この四代目庁舎は手直しもされたであろうが、1944年に空襲に備えて現在の老松中学校(鉄筋根クリード3階建て)に疎開するまでの19年間も使用している。
 震災直後急遽移転した三代目の中央職業紹介所と新築なったとはいえ木造の仮庁舎として出発した四代目の建物が震災復興の拠点となっている。
 災害時にこそその力を発揮しなければならない職員や姿勢を支えるさまざまな人々と、彼らや貴重な資料を収容する建物‥。災害対策に携わってきたものとしては感慨深い記事であった。
 出来れば、当時の新庁舎内の配置図なども見てみたいと思った。今の新市庁舎のようにセキュリティ確保ばかりが先行して、市長室がどこにあるのかも明らかにしていない庁舎の在り方を見ると、時代に逆行しているように思える。


「幕末の感染症と横浜」

2020年07月21日 14時02分58秒 | 読書

 横浜開港資料館の館報第148号を横浜市歴史博物館で手に入れて、昨晩から今朝にかけて目を通した。特集は「幕末の感染症と横浜」と題して吉崎雅規氏の文章が1~3頁にわたり掲載されている。

   

 1862(文久二)年7月、日本では麻疹が流行り始めた。8月の段階で江戸近傍では罹患者567,700人、死者は73,100人を共に超えたとの記録があるとのこと。
 さらに前年にはインドでコレラが流行し、8月には麻疹に続いてコレラが日本に上陸、日本橋だけで日に400~500名が死んだという記録もあるようだ。
 8月にはフランス公使の提案で日本の医師と外国医師との治療に関する情報交換を実施している。日本では蘭方医も漢方医も多忙を極めていた。
 この年の8月21日、薩摩藩主島津久光の行列と交錯したイギリス人が殺害された生麦事件が発生、翌年にはイギリス艦隊が鹿児島を砲撃、幕末から明治へ大きく時代が動いていく。
 アメリカ商人フランシス・ホールは生麦事件の一週間後に「東海道における暴行・殺人の興奮はやわらいでいる。コレラの蔓延にむより、一般の人々にとって事件の印象は薄くなった」と記しているとのこと。
 日本人にとっては目前の感染症の拡大への不安の方が大きかった、と筆者の吉崎雅規氏は記載している。

 徳川幕府は民政に腐心しようとしていたことは確かである。その政治体制や財政の基盤が崩壊しかけていたり、時代に対応できない制度であったことは確かであるが、民政を放置するような政府ではなかったようだ。
 いかにも民心に目を向けず、諸外国の圧力に右往左往していただけというほどの無能ではなかったと思う。幕府を倒した明治政府の視点から見た末期の徳川幕府の評価を鵜呑みにする危険をおおいに感じている。


セミが鳴き始めた

2020年07月21日 11時28分57秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨日朝一番でミンミンゼミが鳴き始めた。晴れると同時に、梅雨明けを待ちきれずに泣き始めた。妻も私もその声で眼が覚めた。そして今朝もミンミンゼミの声でいったん目が覚めた。しかし今朝はベッドから離れずにそのまま寝てしまった。
 残念ながらミンミンゼミが鳴いた直後から太陽は雲に隠れてしまったらしい。そして朝の一声以来セミの声はしなくなってしまった。
 セミの声がさかんなときは、雨が降るといっせいに鳴き止み、上がると一斉に鳴き始める。曇だからといって泣き止むことはない。羽化したばかりのセミは太陽光線に敏感なのだろうか。

★やがて死ぬけしきは見えず蝉の声    松尾芭蕉
★聞くうちに蝉は頭蓋の内に居る     篠原 梵
★蝉しぐれ防空壕は濡れてゐた      吉田汀史

 セミの鳴き声はともすると死のイメージもついてくるらしい。セミがさかんに鳴いて、まるで短い生の最後を死に向かって競い合うように行進しているかのような印象を持つからなのだろうか。
 本日はそんなイメージの句を3句上げて見た。
 第2句、セミの声は不思議で聞くと惹かれるし、また記憶に残る。ときどきその声をまねて唇を動かしている自分に気がつくこともある。脳の中で、来し方のさまざまな場面、それも思い出したくないことを思い浮かべてしまうこともある。頭の中でセミの声が充満してしまう恐怖というものもある。
 第3句、小さい頃には、素人が掘った防空壕というものを崖地などでよく目にした。寒気も悪く、湿気の多いものであった。空襲警報で怯えて防空壕に籠っていたころの記憶は、そのジメジメした居心地の悪さと混在していたのであろう。特に小さな子どもにとっては二重の恐怖であったかもしれない。蝉しぐれの乾いた音とは対照的な、暗くジメジメした嫌な記憶は死の恐怖とともにあったのだろう。



 しかし同時にセミの声というのに、生の横溢を見ることもある。
 松本竣介のこの作品は、1948年6月の死の直前、3月に描かれている。次男が描いた蝉の絵を画家の手で作り変えたかのように思えるほほえましい作品である。竣介は当時5歳だった次男の書いた絵を大切に保管していたという。
 家族にとっては手放せない作品なのではなかろうか。


就寝前の読書

2020年07月20日 23時12分26秒 | 読書

 お酒の量が少し多かったためか、眠りが浅い。寝たつもりだが、40分ほどで眼が覚めてしまった。
 眠れないので、横浜市歴史博物館で手に入れた横浜開港資料館発行の「開港のひろば第148号」を捲ってみた。久しぶりに手にした。
 特集は「幕末の感染症と横浜」というもので、「文久二年の麻疹・コレラ」。1862年に麻疹が流行り始め、コレラも8月には横浜で患者が出るようになる。この状況について幕府や各国の対応について記述がある。
 詳しくは明日、再度取り上げたいが、国際協力などの様子がとても興味深い。

 さらに現在横浜市の新市庁舎が話題になっているが、1923年の関東大震災後の市庁舎の再建についても2頁にわたって記載がある。これも興味深い。

 ようやくまた眠気が襲ってきた。これにて本日のつぶやきは終了。明日は予定がないので、少し遅くまで寝ていることにしたい。


池谷関彗星(1965年)

2020年07月20日 21時44分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 帰宅後は購入したばかりのフットマッサージャーにて至福の15分。むくみが見た目ではまだひいていないが、心地よい刺激で筋肉の疲労が取れていくような気分でる。人の手によるマッサージの方が心地よい痛みがあるというが、家庭用の圧縮空気を利用したマッサージ機にそこまで期待するのは無理と思われる。マッサージ機に足を入れたまま少しウトウト。
 だいぶ眠くなってきた。本日の会議のまとめをスケジュール帳に反映したり、書類の整理・保管は明日に持ち越し。

 昨夜、私の友人も都内でネオワイズ彗星を見ようとだいぶ粘ったようだが、ついに見つけることはかなわなかったらしい。

 彗星は見られなかったものの、夜のスカイツリーを撮影した写真を送ってもらった。
 友人は1965年の池谷関彗星を見て感動したということを書き添えてくれた。私が中学3年生の時。その時は残念ながら彗星には興味は向かず、観測会に参加しなかった。
 確か、神奈川県立の科学館が観測会を主催していたと思う。今から思うととても残念であった。多分学校の授業の方が忙しくて気持ちにゆとりがなかったのだと思う。

 もうこの歳、これから彗星を観測する機会はあるのだろうか。
 

 


通勤時の混雑

2020年07月20日 20時24分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 組合の会館で退職者会の会議を朝10時から16時まで。この4時間の間に広くはない4階建ての建物の中を合わせて4千歩も行ったり来たり。さすがにくたびれた。特に今月は発送作業であった。今月の発送物は多くはなく、作業自体はそれほど重労働ではなかった。しかし合わせて4つの会議をこなすのはなかなかつらいものがある。

 朝の天気予報では、にわか雨があるかもしれないとのことであったので傘を持って出かけたが、さいわいにも雨は降らずに済んだ。

 会議終了後、10人ほどでいつもの中華料理店に繰り出して飲み会。18時過ぎに店を出て地下鉄で帰宅。いつもより混雑がひどかった。私が現役の頃の18時台の混雑とさほど変わらなかったと思う。これでは感染は拡大するのではないだろうか。
 夜の街、イベント、接待のある店などがやり玉にあげられているか、感染経路不明の方が多数である。通勤時の感染リスクの方が高いはずである。感染の抑え込みの方が優先されるべきだと思うのだが、いかがなものであろうか。

 


ラムネ

2020年07月19日 23時01分34秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 彗星が見られなくて意気消沈、本日も読書から遠ざかってしまった。

★男には喉仏ありラムネ飲む       村上杏史
★ラムネ飲む泡くちびるをはじくなり   篠原 梵

 昔はラムネがとても美味しく感じた。遊園地などに連れて行ってもらうと、ラムネを売っている店の前で、大人も子どももラムネを飲んでいる後景によくぶつかった。
 白い下着姿の父親以上の男が汗が滴るままに器用にガラス玉を首の突起あたりにとどめながら一気にラムネを飲んでいた。それが羨ましかったと同時に、喉仏がごくごくと動くのを見ているのが楽しかった。
 第2句ではくちびるで炭酸の刺激を感じているようだが、私はいつも舌と喉である。人に酔ってくちびるで感じるのだと驚いている。
 今はラムネを飲むと余りの甘さに辟易、とても全部は飲めない。サイダーも無理。味の附いていない炭酸水は飲めるが、これはいつもウィスキーが焼酎を入れないと飲まなくなってはや50年。


ネオワイズ彗星だったのだろうか?

2020年07月19日 21時27分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 (星ナビ8月号付録より)

 19時20分ほどから、西から北西までが見渡せる場所で、双眼鏡・単眼鏡を構えて人だっていたが確実に「あれだ」という天体は見られなかった。位置からするとあそこで間違いがない、と思われるところ、5等星くらいの星の傍で見えたような気がしたが、自信はない。双眼鏡でも尾は現認できなかった。やはり長時間露光が必要だったと思う。
 雲が切れて空気も綺麗なはずであるが、如何せん高度が低いためか、霞んでいるし、揺らぎ激しかった。2等星の北斗七星がかろうじて見える都会なので無理だったと思うことにした。
 彗星の場合3等星に見えても光を集合したとすれば3等星程度ということなので、ボヤっとしている場合は5等星、6等星位に目は判断をすると思われる。


ネオワイズ彗星

2020年07月19日 18時32分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 ネオワイズ彗星を見ることかできるか、下見をしてきた。北西の空、少し雲が切れてきた。このままの状態が続けは、観ることが出来る。
 双眼鏡と単眼鏡を準備して、一時間後に備えたい。ちょうど食事が出来上がる時間であるが、少しの時間我慢するしかない。北斗七星の柄杓と地平線の間位だと思われる。3等星くらいだろうか。
 明日以降また天気が悪くなるので、是非とも本日見たいものである。

 昼間、かなりのウォーキングをしてきた。帰り際、神奈川大学の生協前にあるテーブルとイスで水分補給をしていたら、蚊に3か所も食われてしまった。いよいよ蚊の季節の到来である。

《星ナビ8月号付録より》

 


フットマッサージャー

2020年07月19日 13時25分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 朝から綿雲が空に点在し、太陽の光が直接当たっている。点在していた綿雲が少しずつ大きくなり、太陽を隠す時間が長くはなっている。雲をとおして降り注ぐ陽射しもまた柔らかい。芝生の若い芽が風にそよいで陽射しに変化を与えている。
 窓を開けると心地よい風の証しのように鋳物の風鈴が微かに響いてくれる。気温はかなり高くなり、熱中症に注意を、と天気予報では強調している。この心地よい風からは熱中症というものが想像も出来ない。それが熱中症の怖さというものなのだろう。

 本日の午前中にフットマッサージャーが届いた。足のむくみはなかなか改善しないので、医師と相談したらマッサージも試して悪いことはない、との意見もあり、2万6千円で購入した。
 さっそく梱包から出して試した。段ボールの処理は面倒であったが、とても気持ちいい。1回15分で1日2回までとのことである。もっと長時間したい気もしたが、注意書きを尊重。
 明日の退職者会の幹事会に出す資料を作成・打ち出しで午前中の作業は終了。

 これより気持ちの良い陽射しを浴びながらの街中ウォーキング。


夏の菓子2態

2020年07月18日 22時43分28秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★まだ奥に部屋ありそうな水羊羹     五島高資
★密豆のみどりや赤や閑職や       北 登猛

 この梅雨時、暑くはないが冷たいアイスクリームや水菓子などを妻が買ってくることが多くなった。私もついつられて口に入れてしまう。
 広い家に招待されたり、訪問したりすると第1句のような感想を持つこともあるかもしれないが、少なくともここ50年ほど、このような経験はしたことがない。
 森閑とした畳の部屋の向うにまだ別の客間などがあるかのような静けさがある建物なのだろうか。水羊羹というもてなしが嬉しいのだろう。人の気配が感じられずに涼し気に静まっている家を想像して、ちょっとくらいは涼やかな気分になるのではないだろうか。
 第2句は、逆に夏の涼やかな菓子もどこか苦い味を伴って口に入ってくる。「みどりや赤や」の「や」は並列示す助詞、「閑職や」は詠嘆の意の終助詞でいわゆる俳句の切れ字。しかし「みどりや赤や」にも詠嘆に近いため息を読み取ってもいいのではないか。企業という組織は今の時代は高齢の者には冷たいものである。主要な業務から外されているもの、とはいってもそう簡単には引き下がらない維持もまた、この組織の中で身につけた者でもあろう。人は誰しも通過してきた。
 共に、このような読みは間違っているかもしれない。

 


「美南見十二候九月」(鳥居清長)

2020年07月18日 20時22分40秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等



 本日のオンライン講座で、鳥居清長(1752-1815)が取り上げられ、私もどこかの図録で見たことのある「美南見十二候」(1784)のシリーズの内「四月 品川沖の汐干」と、同じく「九月 漁火」が取り上げられた。
 この「漁火」は初めて目にした。窓の外には月が雲を従えながらも明るく皓皓と照っている。その下にこの月あかりに映し出された船の漁火がいくつも見えている。最初は題名に関わらず、この漁火に気がつかなかった。中景がなくて近景と遠景で構成される風景画ともいえる。細部までよく見ると、月と窓枠だけならば、奥行感の希薄な作品に見えると思う。
 これまであまり気にかけてこなかった鳥居清長の作品、細部までじっくりと見ることの必要をあらためて実感した。


陽が射して来た

2020年07月18日 13時30分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨晩から午前中にかけて強い雨が続いた。一時は横浜市の湾岸部では50ミリを超える雨も降ったようだ。私の住むところは30ミリ程度の雨の区域は通過していったが、特に被害はなかった。

 午前中は昼前までオンライン講座。講座が終了した時点で雨が弱まった。江戸時代の浮世絵の歴史4回連続講座。本日はその3回目。

 現在は雲が高くなり薄曇り。陽が射して影が出来るほどであるが、雲に切れ目は見られない。それでも陽射しがあるのは嬉しい。

 これより出かけてみたい。繁華街や人混みは避けるが、雨が上がれば外に出掛けたいものである。XRAINで見るとしばらくは雨の区域はやってこない。