Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日より「定家明月記私抄」(堀田善衛)

2020年07月27日 23時19分56秒 | 読書

 本日から「定家明月記私抄」(堀田善衛、ちくま学芸文庫)を読み始めた。まずは「序の記」を読み終わる。
 ここでも堀田善衛は「方丈記私記」で記した「明月記に“世上乱逆追討耳に満つと雖も、之を注せず。紅旗征戎吾がことに非ず”という一文があることを知り‥自分がはじめたわけでもない戦争によって、まだ文学の仕事をはじめてもいないのに戦場でとり殺されるかもしれぬ時に、戦争などおれのしったことか、とは、もとより言いたくても言えぬことであり、それは胸の張り裂けるような思いを経験させたものである。」と少しずつ文言を変えて繰り返している。

「この(紅旗征戎‥)一言が、わずかに十九歳の青年の言辞として記されていたことは、衝撃を倍加したものでった。‥その当時として天下第一の職業歌人俊成の家に生まれていて、自分もまた‥家業を継ぐべき位置にあったとしても、‥その時世時代の動きと、その間に在っての自己自身の在り様とを一挙に掴みとり、かつ昂然と言い抜いていることは、逆に当方をして絶望せしめるほどのものであった。」

「「方丈記」について書いたときも疎であったが、‥いつも同一の歌について、自分のなかに二つの傾斜部分が生じることに悩まされつづけて来‥。“雲さえて峯の初雪ふりぬれば有明のほかに月ぞ残れる”‥薄墨の朦朧たる背景に音階、あるいは音程を半音程度にしか違わぬ白の色を組み合わせて配し、音の無い、しかもなお一つのはじめも終わりもない音楽を構えてだしていること、‥それは高度極まりない一つの文化である。十二世紀から十三世紀にかれてかくまでの高踏に達しえたぶんというものが人間世界にあって他のどこにも見ることがないというにしたっては‥。‥けれどもさていったい、だからどうだと言うのであろうという不可避な念を更に押すとなれば、この音楽はその瞬間にはたと消えてしまってあとには虚無が残るばかりなのである。そこに意味も思想も、そんなものは皆無なのである。‥自分のなかにこういう二つの傾斜をもったままでこの詩人、あるいは彼の生きた実に長々しい生涯とその時代に付き合ってどこまで行けるのか‥。」

「“行蛍なれもやみにはもえまさる子を思ふ涙あはれむしるやは”誇張などとは私はまったく思わない。雨が降ろうが風が吹こうが、後鳥羽院のあとを追って文字通り駆けまわらなければならないのである。二流貴族、職業歌人のかなしみもここにきわまれりともいうべきであろうか。」

  いつものように覚書として。各章の要約でも無く、キーセンテンスでも無い。同意・不同意は別にして、私の気を引いたところ、気になったところである。


夏野菜

2020年07月27日 21時13分59秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★詩も川も臍も胡瓜も曲がりけり          橋 閒石
★青き胡瓜ひとり噛みたり酔さめて         加藤楸邨
★白昼のむら雲四方に番茄(とまと)熟る      飯田蛇笏
★初なすび水の中より跳ね上がる          長谷川櫂

 胡瓜もとまとも茄も夏野菜。むろん季語である。
 第1句、言葉遊びのように曲がったものを並べているが、「川」も「胡瓜」も今や曲がってはいない。川という大がかりなものも護岸整備とともにまっすぐにしてしまう時代である。胡瓜も人工的にまっすぐにしていたものから今やまっすぐに育つものに品種改良されたらしい。
 「臍曲がり」も昔は一目置かれていたようだが、昨今は煩わしい偏屈親爺として端から相手にされない。
 そして「詩」も素直に作られ、読まれることもなくなったのだろうか。否、「詩的情緒」というものが絶滅してしまっているようにも思えるというだ。
 第2句、昔は酔い覚ましに胡瓜を1本丸かじりしたこともある。今は二日酔いようのドリンクに変わった。
 第3句、とまとには太陽の光線が似合う。太陽の光が無くてはあの味はないと思っていたが、今やビニールハウスの中での人工太陽でも十分に育つとのこと。
 第1句から第4句まで、夏野菜の季節感も今や消えてなくなりつつある。季語から消えてしまうのだろうか。と、わざと大袈裟に考えてみたくなる。


晴間が少しばかり

2020年07月27日 12時21分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 ところどころ青空も見え、風も少しある穏やかな日となった。午前中は退職者会の事務作業。午後はこれより組合の会館へ。

 行きまたは帰りがけに、時間が許せば久しぶりに横浜駅近くを歩いて見ることにした。地下街は人通りも多いようなので地上を大きく迂回するコースがいい。