昨日朝一番でミンミンゼミが鳴き始めた。晴れると同時に、梅雨明けを待ちきれずに泣き始めた。妻も私もその声で眼が覚めた。そして今朝もミンミンゼミの声でいったん目が覚めた。しかし今朝はベッドから離れずにそのまま寝てしまった。
残念ながらミンミンゼミが鳴いた直後から太陽は雲に隠れてしまったらしい。そして朝の一声以来セミの声はしなくなってしまった。
セミの声がさかんなときは、雨が降るといっせいに鳴き止み、上がると一斉に鳴き始める。曇だからといって泣き止むことはない。羽化したばかりのセミは太陽光線に敏感なのだろうか。
★やがて死ぬけしきは見えず蝉の声 松尾芭蕉
★聞くうちに蝉は頭蓋の内に居る 篠原 梵
★蝉しぐれ防空壕は濡れてゐた 吉田汀史
セミの鳴き声はともすると死のイメージもついてくるらしい。セミがさかんに鳴いて、まるで短い生の最後を死に向かって競い合うように行進しているかのような印象を持つからなのだろうか。
本日はそんなイメージの句を3句上げて見た。
第2句、セミの声は不思議で聞くと惹かれるし、また記憶に残る。ときどきその声をまねて唇を動かしている自分に気がつくこともある。脳の中で、来し方のさまざまな場面、それも思い出したくないことを思い浮かべてしまうこともある。頭の中でセミの声が充満してしまう恐怖というものもある。
第3句、小さい頃には、素人が掘った防空壕というものを崖地などでよく目にした。寒気も悪く、湿気の多いものであった。空襲警報で怯えて防空壕に籠っていたころの記憶は、そのジメジメした居心地の悪さと混在していたのであろう。特に小さな子どもにとっては二重の恐怖であったかもしれない。蝉しぐれの乾いた音とは対照的な、暗くジメジメした嫌な記憶は死の恐怖とともにあったのだろう。
しかし同時にセミの声というのに、生の横溢を見ることもある。
松本竣介のこの作品は、1948年6月の死の直前、3月に描かれている。次男が描いた蝉の絵を画家の手で作り変えたかのように思えるほほえましい作品である。竣介は当時5歳だった次男の書いた絵を大切に保管していたという。
家族にとっては手放せない作品なのではなかろうか。