Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

アガパンサス

2020年07月06日 23時42分58秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★気付けば空家 窓にはアガパンサス    庄司 マツ

 梅雨時のアガパンサスとビオウヤナギは梅雨時にそぐわないような豪華でそして華麗な花であるというのが私の印象。やはり梅雨というとアジサイを思い浮かべてしまう。それも根元の暗さを伴ったアジサイの風情である。
 アガパンサスとビオウヤナギの明るさは梅雨の晴間でないと似合わないのである。だからこの句は、いつの間にか人が転居してしまい、カーテンもなくなっている情景ではないか。人が不在ながら空家の持つ不思議な明るさ、空家の窓は、この梅雨時のように寂しさや暗い気持ちにさせてくれる状況なのに、豪華なアガパンサスの花が空家になった窓に映っているのであろう。不思議な明るさを捉えた句だと解釈してみた。
 私の住んでいる団地も高齢化に伴い、人が住まなくなった空室がいくつかあるようだ。カーテンのない窓には、四季様々な物が映るが、梅雨時にはあだ花のように勢いのあるアガパンサスが映っていると寂しさが余計につのるものである。
 アガパンサス、歳時記に季語として掲載しているものと、季語とは扱っていないものとがある。確かに花だからといって季語としてのイメージが定まっているか、というと私には判断する能力はない。
 そうはいっても季語として扱ってはいけないということもなかろうと思う。梅雨という季語と重複して使っている句も多くあるが、私はイメージが重なり過ぎていると思った。

 


家に籠っているのは苦手

2020年07月06日 20時23分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中はいくつかの電話をしながら打合せ。読書の時間を持つことも出来ずに、気がついたらお昼近くになっていた。
 午後、雨が小降りになったのを見て、思い切って横浜駅まで往復歩こうとしたが、行きは途中から本降りになり、急きょ地下鉄に乗った。帰りは小降りりで歩き始めたら途中から雨が上がった。雲も高くなった。しかし西の空は雲が分厚かった。雨の区域はほぽ南西から北東方向に移動している。ときどき南から北へ移動することもある。

 喫茶店で「方丈記私記」(堀田善衛)と「方丈記」(新潮日本古典集成)、そしてスマホで九州の大雨の被害状況をかわるがわる見て過ごした。

 17時半ころ帰宅。妻の方が先に帰宅していた。天気予報を見ると、雨の日がさらに続くようになった。先週の予報では日曜までが雨の予想であったのに、とうとう木曜日まで雨のマークがついている。この文では週末も雨が降る可能性が高い。

 雷が鳴り始めた。


雨で家籠りはつらい‥

2020年07月06日 10時22分13秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 つい先ほど30~50ミリの雨の区域が西南西から東北東に通り過ぎていった。寝ている間もかなり強い雨の区域が通り過ぎたようだ。現在は1ミリ未満の雨に落ち着いた。風は10m近くで西から吹いている。少し涼しく感じる。
 大雨・強風・雷・波浪注意報が継続中である。

 さて、残念ながら、本日も特に予定は入っていない。
 たこ糸用の針を刺してしまった右手の親指の腫れ、一時は化膿も心配したけれどもかなり回復した。痛みも薄らいできた。これに懲りずに再度別の個所の手直しに挑戦することにした。
 堀田善衛の「方丈記私記」を続けるが、元の「方丈記」の原文を再度読み直すことにした。記憶にない文章が出てきたりする。
 中学・高校のころ、40代のころにそれぞれそれなりに丁寧に読んだつもりだが、忘れているところも多いようだ。中学・高校の頃は教科書・参考書・岩波文庫で読んだ。30代のころは新潮社の日本古典集成で読んだ。今回は日本古典集成版を再読してみる。
 堀田善衛の記すところによると1960年代と1970年代では、原典の校訂で変更になった点もあるようだ。そこにも着目して再読してみたい。