Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

雷ふたたび

2020年07月11日 22時39分55秒 | 天気と自然災害

 今しがた15分ほどウォーキングに出掛けようとしたら、雷鳴が聞こえ始めた。西の空が連続して光っている。
 私の家からは見えないが、この団地の西の端の見晴らしのいいところからは稲光が見えるかと思って出てみた。しかし途中から雨が降り始めて、断念。思ったよりも近くで、そして鮮明に光っていた。稲光そのものは見ることは出来なかったけれども、光った時の明るさが、近距離で発生していることを教えてくれている。
 XRAINで見ると、先ほどよりも強い50ミリ以上の雨の区域が、わたしの住んでいる地域に向って東に進んできている。かなり強い雨となりそうである。雷鳴も頻繁になっている。

 大雨・強風・雷・波浪注意報である。用心のためパソコンの電源を落とすことにした。
 


夏掛け

2020年07月11日 22時39分55秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★夏掛けのみづいろといふ自愛かな    能村登四郎
★夏掛のみづいろこころ清くあらむ    辻美奈子

 第1句、水色というのはとても清々しい色である。涼しさも呼ぶ。夏掛けの生地は水色、薄い緑など涼しさを呼ぶ色合いが多い。それがまた体にやさしくふわりとかけられると、安らぐものである。「みづいろといふ自愛」いい表現である。解説していくと柔らかさや愛おしさがどんどん薄れてしまう。このままで味わいたい。
 第2句、同じく水色の夏掛け。こちらもそんな水色の性質を詠んでいる。

 しかし以前に取り上げた「夏掛の男のごとく頼りなき  小林貴子」も好きな句であるが、対極にある句である。夏掛けを出して来るたびにこの対極を思い浮かべる。


雷鳴にビクビク

2020年07月11日 21時19分45秒 | 天気と自然災害

 15時過ぎから雷が鳴り始めた。雷鳴が次第に近づいてきた。しかし雨が降ることもなく、一時間ほどで静かになった。遠ざかるときは速いものである。
 昨日に続いてこのときも強い雨の区域は湾岸部を通り過ぎており、それがわずかに北に逸れるだけでひどい雨になったと思われる。このときも最大雨量は時間雨量に換算して50ミリくらいだった。
 雷が鳴っている間は、不安がつのる。遠くのにぶい低い音が次第に近づいて鋭い音に変化してくる。この緊張感が、不安を増大させる。実際に雷光まで伴うようになるといっそう不安になる。たいがいはこのときには雨が降り出し、そして気温も急激に下がる。
 「地震・雷・火事・親爺」といわれる。この四つを怖いもの順に並べるとすると、雷は三番目になり、「地震・火事・雷・親爺」になると私は思っている。なお、「親爺」は「山親爺」で熊のことと教わっている。しかし「地震・雷」が自然災害、「火事」は人災、「山親爺」は「自然災害」と分類することには抵抗感がある。

 本日は妻と二人で外食、といってもごく家の近くの中華料理店で安く食べた。ハイボールを2杯飲んで、すっかり酔ってしまった。


「美術の物語」 その3

2020年07月11日 17時44分49秒 | 読書

 午後は、明日のオンライン講座の教科書である「美術の物語」(ゴンブリッチ)の第3章「大いなる目覚め ギリシャ 前7~前5世紀」を読んで過ごした。
 重い本でもあり、支えていると午前中の作業の影響で左右の親指の筋肉が攣ってしまい、筋肉痛のメントールを縫ってごまかした。

「(ギリシャでは)人間によって作られた、人間のための建築だと、だれもが感じるだろう。ギリシャには、民族全体を隷従させるほどの、またそれを望むような、神のごとき支配者は現れなかった。」

「大切なのは、作者が古い定式に服従するのではなく、自分の目で見ようと決意したことだ。人体を表現する出来合いの公式など、もう問題ではなかった。」

「ギリシャの画家たちの画期的な大発見、それか短縮法の発見である。美術史上に途方もない出来事が起こった瞬間だ。紀元前500年の少し前、画家たちは歴史上はじめて、正面から見た人間の足を描こうとした。」

「彼(フェイディアス)の作った彫像は、それまで考えられていた神々の性格や意味を、一変させるだけの威厳を備えていた。ひとりの偉大な人間の姿をしていたのだ。女神の力は、威力にあるのでなく、その美しさにあった。そのとき人びとは、フェイディアスの美術作品が神についての新しい概念をギリシャ世界にもたらしたことを、感じ取っていたのである。」

「ギリシャ彫刻に特有の偉大さ、荘麗な静けさと力強さもまた、その古い規則に従うところから生まれていることがわかる。古い規則が、芸術家の自由をしばる障害物ではなくなっているのだ。人体の構造を示すことが大切だ、という古くからの考えが、いまは芸術家たちを前へとかりたてる力になっている。」

「規則に忠実であることと規則のなかで自由を見出すこと――この両者の微妙なバランスこそ、後世、ギリシャ美術がこんなにまで称賛されてきた理由だった。」

「当時のギリシャ人たちがもっと重要だと考えたのは、‥どんな姿勢の、どんな動きをする人体でも自由に表現できる、という新しい技術を使って、彼らは人物の内面を映し出そうとしたのだ。‥表現すべきは「魂の働き」であり、それには「感情が体の動きに及ぼす影響」を正確に観察しなければならない。それがソクラテスの考えだった。」

「ギリシャの芸術館たちは、人と人とのあいだに行き交う、言葉にならない感情や気分を伝える術を、十分に心得ていたのだった。」


久しぶりの作業の手伝い

2020年07月11日 14時30分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中は日もてる時間もあり、団地内の芝刈り作業のお手伝い。私は機械を使わずに刈り取った草を熊手で集める作業に専念。10時から始まるのだが、本日は11時から12時半過ぎの終了時間まで参加。
 エンジン付きの芝刈り機は刈った草も自動で集めるのだが、起伏のある所や狭いところ、樹木や電柱の周囲は仮払い機と熊手がどうしても必要になる。集めて草をビニール袋に入れて運ぶのも力のいる作業である。
 久しぶりの熊手の作業、腕と指の筋肉がだるい。現役時代はもう少し長く作業が出来たと思うのだが、なんとも情けないことか。力もなくなり、持久力もなくなった。作業の足を引っ張らないようにしている。自信のある雪掻きもそろそろ怪しくなってきたかもしれない。

 午後は休憩・休養ということで、ボーっとしている。風が少し出て来た。