5月29日に東京都写真美術館を訪れた。「写真のエステ」とともに、「日本写真の1968」展を見た。というよりももともと訪れた目的がこれであった。この展覧会の趣旨というか展示の基本的な理念は以下の案内に示されている。
1960年代後半は、戦争、革命、暗殺など、世界中のあらゆる領域でこれまでの枠組みに対して新たな行動が勃発した時代でした。写真においても、近代的写真が構築した「写真」の独自性とそれを正当化する「写真史」への問いかけが始まりました。特に1968年は、今日の「写真」の社会的な枠組みを考える上で重要な出来事が集中して現れました。
本展では「写真100年-日本人による写真表現の歴史展」、「プロローグ 思想のための挑戦的資料」、「コンポラ写真」、「写真の叛乱」の4つのキーワードから展覧会を構成し、1966~74年の日本で「写真」という枠組みがどのように変容していったかをたどり、「写真とは何か?」を考えます。
この趣旨をもとに、1960年代後半から1970年代に向かう写真の動向を展示してある。この感想は写真史にも疎いし、個々の表現者の言語による表現も目を通したことのない私の、あくまでも感覚的な直感的な、そして私的な感想である。トンチンカンがあるとしてら不勉強ゆえである。容赦願いたい。
この展示で面白い指摘だと思ったのは「若い写真家たちや学生たちは、学生運動であれば学生側、三里塚であれば闘争する農民の側に立って撮るということが基本的な姿勢であり、だからこそ彼らは当事者に受け入れられて、現場で自由に撮ることが出来ました。ところが(フランスのパリ5月革命、アメリカのベトナム反戦運動では)それらを記録したものは雑誌社や新聞社のカメラマンが撮った報道写真しか残っていない」という指摘が書かれてある。
1960年代後半の激動が、芸術表現の歴史からの視点ではこのような特徴があったのかとあらためて認識した。当時の写真ではいわゆる「アレ・ブレ・ボケ」と揶揄的に云われてきた試み、方法だが、現在の目で見ると極めて斬新で動的な表現に見える。かつ被写体の揺れる認識、不安な意識を一瞬で閉じ込めていると思う。
表現意識が撮影する主体の技法を飛び越えて、それによって被写体との信頼関係を保ちながら作品として成立している。社会や芸術運動に対して溢れかえるような、ある意味過剰で非妥協的・非和解的な対置理念をかざした、表現意識過剰な作品がこのような技法を背景に成り立っていたのだと感ずる。
表現者としての撮影者、被写体の身体表現が複雑に絡み合って、さらに鑑賞者の視点がそこに混ざり合って、三者の関係が成立している。実に動的で多次元の空間が現出していると思う。
その中で私は中平拓馬という写真家のいくつかの写真に目を惹かれた。中平拓馬は学生運動に対してもかなりのアジテーターとして振舞ったようだが、そのようなあり方とは別に、私はあの過剰に「アレ・ブレ・ボケ」の写真ではあるものの、写真家の醒めた、計算した構図への志向、明と暗の対比に基づく画面構成を感じ取った。
後年、といっても1973年というごく近い時代だが、彼が「撮り手の情緒を廃したカタログ写真や図鑑の写真のような写真を目指した」といわれるが、私にはその軌跡がとてもよくわかるように思えた。作家自身はそんなに解られてたまるか、と怒るだろうが、これが時間の累積の結果としての2013年から見た私の直感的な感想だ。
「アレ・ブレ・ボケ」という社会性を帯びた写真は、この中平拓馬のような表現の深化のほか、荒木経惟の「センチメンタルな旅」などのように進展していく。これは「荒木経惟の作品から感じる気分が、井上陽水の「傘がない」を聴く時のそれととてもよく似ている」と解説にあるとおりだと思う。
その他感想や感慨をもった作品はとても多かった。やはり同時代性というものであろう。この時代に社会への目を向けたものとしての共感ないし不満、肯定と否定の交じり合った感慨、充足感と不達成感、高揚と沈思‥が時間を飛び越えて脳髄から苦味を携えて滲み出て来た。
それらは私の脳の中に閉じ込めておくしかないのだが、ひとつだけ述べたい。私は始めて知ったのだが、「今回初めて全日本学生写真連盟の学生・OBの集団撮影行動による」写真群。「集団的無名性によって撮影・発表された作品」も面白い。若い写真家たちの模索の作品も多くあり、「アレ・ブレ・ボケ」だけにはおさまらない多様な表現が垣間見えたように感じた。具体的に文章化できる力量がないのがもどかしいのだが、被写体と撮影者との関係のとり方に悩んだらしい視点が感じられるなど私には刺激になった。企画者の金子隆一という方のあるいは当時の関係者の中での掘り起こしなのだろう。
当時は各大学ごとのさまざまなサークルの全国的な組織があった。写真についてもそのような組織があったのだろう。きっと今ではそんな横断的な組織など存在しないだろうし、あっても意味はないのだろう。フィルム写真もなくなり、携帯などのデジタル写真というものが主流となり、各自が徹底的に私的な写真表現に固執しているともいえる状況だ。
写真に限らず芸術表現はそれぞれ極私的なところにその方向性を見出している。こんなときに全国的な統一理念に基づく写真を媒介とした社会運動など成立する要素などありえないと思われる。
しかし企画者なりの無意味を承知のひとつの挑発なのかもしれない。他者からみると、しかし懐古趣味にはならない当時の視点と模索がそれなりに認識できたような気がする。