Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

黒米

2013年06月23日 22時30分00秒 | 料理関連&お酒


 壱岐で古代米の黒米を1合購入してきた。黒米のほかには、緑米と赤米もそれぞれ1合購入した。本日はそのうち黒米をいつものお米に二割ほど加えて炊いてみた。お米は小粒だが、結構粘り気がありおいしく食べることが出来た。
現在はいろいろ十何種類もの穀物を混ぜた雑穀米のご飯がもてはやされている。その中にこの黒米や赤米なども含まれているので、特に珍しいものではないが、壱岐では原の辻遺跡の整備にともない、これらの古代米を生産する農家も出てきているようだ。



 そしてその中に、壱岐焼酎のお湯割りにこの黒米をひとつまみ加えるという焼酎の飲み方が紹介されている。
 早速やってみた。なかなか美しい紫色がお米から立ち上がってくる。面白い。そして熱いお湯に長時間つけていることになるので、ゆっくりとこのお湯割り焼酎を飲み干すと、お米が柔らかくなって食べることも出来る。
 この壱岐焼酎のお湯割り、ちょっと爽やかな味がする。なかなかいけると思う。次回からはまたこれを試みよう。

沖縄慰霊の日

2013年06月23日 20時52分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は沖縄慰霊の日。情けないことに私はすっかり失念していた。この日に対する考え方はいろいろあることは承知をしている。しかしどんな場合でも、戦争を考える便にしたいものだ。ネットでの検索では、

 1974年に制定された「沖縄県慰霊の日を定める条例」により、「我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失つた冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため(条例第1条)」、6月23日を「慰霊の日」と定めている。
 一方で、司令部が壊滅してもそれを知らされなかった兵士たちが抵抗を続けたため、散発的な戦闘は司令部自決の日以降も続いた。このため、慰霊の日を司令官自決の日と定めることに対して疑問を投げかける立場もある。たとえば沖縄市では、慰霊の日を休日とする一方で、同年9月7日に降伏文書への調印が行なわれたことから、同日を「市民平和の日」と定めている。

 となっている。

 忘れてはならないことは、沖縄戦とは非戦闘員が米軍ならびに日本軍により大量に犠牲となり、そして自決という名の殺戮が公然と行われたということだ。さらに米軍占領下で開始された、長く軍事・基地機能優先が今も続いているということだ。
 米軍による無差別都市爆撃、原爆という惨禍、日中戦争以来の日本軍によるアジアでの非戦闘員に対する非行・殺戮、どれも戦争というものが本質的に持っている許されることのない蛮行である。戦争というものにどんな美辞麗句をつけたとしても、その本質は変わらない。
 「慰霊の日」の式典にあわせて訪沖し、式典に参加した首相や、外務大臣・防衛大臣、駐日大使がどのような政治的な目的をもっていたか、誰もが素直には納得できないことを知っている。

 きな臭い時代、沖縄戦や空襲や原爆や、侵略ということ、軍隊というものの本質、「国家」・国境線というものの危険な実態をキチンと考えたいものである。


横浜歴史博物館「絵巻で見る江戸時代」展

2013年06月23日 19時42分35秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は横浜歴史博物館の収蔵資料展である「博物館コレクション 絵巻で見る江戸時代」展を見学した。
 当初、セキセイインコの大き目の籠を購入するため、市営地下鉄「センター北」駅に出かけたのだが、妻が籠を購入する店のすぐ傍にある横浜歴史博物館に行きたいといい始めた。理由を聞くと、展示の絵巻物の中に、出身地の庄内藩一揆を描いたものがあるのだという。私も見に行きたいと考えていたのでまったく異存はない。ということで籠の購入前に歴史博物館におもむいた。入場料は企画展で1人200円。

   

 展示構成は
1.東海道と旅-東海道の旅、旅の風俗-
2.武士の世界-描かれた大名行列、鷹狩の風景-
3.庶民の世界-町のくらし、農村の四季-
4.絵巻で見る事件-蜂起する百姓たち、江戸の火事-
5.絵巻で見る幕末-西洋式の軍事訓練、黒船がやってきた、軍隊の行進-
となっている。
 1.は県立歴史博物館と重なり、しかもこれを目的とした展示なので「旅」については県立のほうがいろいろと面白かった。しかし旅の風俗の絵巻はこちらでしか見られないものがあり、やはりあわせて見るのがいい。
 目玉は4で、結果として幕府がこの転封を撤回して、処罰者が出なかったという幕末期1840年に起きた庄内藩「三方領地替え」反対一揆を描いた「百姓一揆絵巻」、そして江戸の三大大火の一つ、1772年の目黒行人坂の大火を描いた「火事絵巻」。
 ともに特に著名な画家の手になるものではないようだが、実にいきいきと描いている。もっともこれだけでなく、稲荷山開帳図、江戸風俗図巻、風俗図巻、年中行事風俗絵巻もともに極めてリアルにいきいきと町人をはじめとした都市の生活者の姿が描かれている。顔の表情、仕草、店の様子、町の喧嘩の様子など面白おかしく、それこそ掛け声も聞こえてきそうな感じである。

 そしてとりわけ4.の二点の作品はとても興味深い。

      

 庄内藩の一揆は、発端から江戸での越訴、地元での7万6千人という膨大な人を集めた2回の集会など、圧巻である。
 妻は「庄内の人間は普段はおとなしく静かだけど、一端怒って行動を起こすと怖いんだよ」と一言。これはちと誰に向かっていったことなのか、不安であるが‥。
 火事絵巻も火事という災害に都市の人々がどのようにたくましく立ち向かっているか、よくわかる。

 なお、カタログは二種ある。この二つの絵巻の全体の複製と解説に限った図録は500円とお得な値段。これを購入した。

         

俳句結社誌9月号投句

2013年06月23日 11時37分02秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨日の戸塚駅近くでの句会の後の懇親会が終了したのが、7時40分くらい。朝厚い雲に覆われた空だったが、お昼前には再び雲が切れて、あっという間に晴となった。夕刻から雨の予想で雷注意報も出ていたのだが、予報はハズレ。
 この晴れ間を利用して、久しぶりに戸塚駅から横浜駅を通って我が家まで歩いてみることにした。約15キロほどであろうか。3時間に少し欠ける程度と踏んで歩き始めた。
 いつもは逆コースを旧東海道を神奈川宿-保土ヶ谷宿-戸塚宿を辿って歩くのだが、昨晩は現在の国道1号線をひたすら横浜駅をめざして歩いた。日中の気温が29度の予想だったが、夜になれば涼しい。湿気もさほど感じなかったので、快適な歩行が出来た。2時間50分で我が家にたどり着いた。途中どこかで休憩しようと思ったが飲み屋しか空いておらず断念。横浜駅でコーヒーでもと思ったがこれも面倒になったのでそのまま歩きとおした。
 23000歩ほどであった。一日の合計は31000歩、旅行の最後の日以来、久しぶりにたっぷりと汗をかいた。
 10時30分ちょうどに家についてそのままシャワーを浴びて、冷たいお茶がおいしかった。すっかり酔いも醒め、快調。

 句会では対馬・壱岐・吉野ヶ里の印象で句を作ったが、まだこなれていないし、吟行句のような出来だったので、いろいろ指摘を受けた。5句のうち3句は指摘を受けて直したが、2句はまだ、うまくなおらない。いづれも来月の投句にまわすことにした。

 俳句結社誌9月号投句
幼子の予期せぬ一歩立葵
少年の気合一声風薫る
青年の気ままな欠伸夏近し
夕焼空豆腐水ごと切り分ける
白南風や父の蔵書に無頼派も
夏の潮真ん中にある白灯台
風死して日時計影を太くする
義母の忌に仕舞う姿見たちあおい
桑いちご腕の産毛をゆする風
夏の雲蔵の杜氏に声もなく