Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

宮城県美術館常設展&ルオー版画集『ミセレーレ』展

2013年06月30日 23時09分51秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 先に掲載したゴッホ展を見た後、常設展を見て回った。事前の調査では松本竣介、靉光やパウル・クレーなどの収蔵品がある。また洲之内コレクションが寄贈されたとある。

 ゴッホ展を見終わってから1階の展示室に入ろうとすると小企画展ということで、新収蔵のルオー版画集『ミセレーレ』を全作品展示とある。うれしくなって思わずニヤリとしたまま、会場にはいる。

      

 会場ではいかにもルオーらしい太い線で書かれた人物像が並んでいる。「宮城県美術館のコレクションに、ジョルジュ・ルオーの版画集『ミセレーレ』が加わりました。優れた版画家でもあったルオーは、代表作と言えるこの作品で、人間の苦悩と希望を様々な形で表現しました。多彩な銅版画技法が駆使された、ルオーならではの重厚な絵肌も魅力です。初めての展示となる今回は、全58点を一堂にご覧いただきます」とある。
 この版画集もルオーの絵画と共通する太い輪郭線が特徴で、いかにもルオー然としている。同時にモノクロームの陰翳が「祈り」という原初的な行為を人間の存在の深い闇の底で捕らえているというような、不思議な感覚に襲われる。「祈り」という行為が、自然や自分の周囲の環境に対する絶望、自分の存在に対する不信に起因するのだと思うが、そんな祈りの原初的な発端を捉えているように思う。
 一枚一枚の絵に長い題が描かれているが、それはいかにも宗教者然としたルオーの言葉だが、それにとらわれずに版画だけから受ける印象がすでに「祈り」なのだ。その実感こそがこの版画集の魅力なのだろう。
 我々にはわからない、理解できないものもいくつかある。キリストや救済に対する感覚の違い、文化や伝統の違いなどの要素もあるが、それでも惹かれる多くの作品が、そんな「祈り」の普遍性を示していないだろうか。
 さらに絵画と共通する太い線は、あのルオーの不思議な色使いを髣髴とさせ、豊かな色彩を暗示してしまう不思議な感覚に襲われた。

 そして、次のコーナーがこの美術館のコレクション展示の今年度第一期の展示、同時に洲之内コレクションのコーナーもある。
 これらあわせて75点もある。カンディンスキーの「活気ある安定」など4点、パウルクレーの「Ph博士の診療装置」など6点、日本の画家では高橋由一が3点、藤田嗣治の「横たわる貴婦人」、長谷川潾二郎が「猫」を含む3点、靉光の「鳥」等々ととても豪華である。
 そして記憶に新しい松本竣介が「画家の像」「郊外」「人」の3点に洲之内コレクションから「ニコライ堂」「白い建物」の2点、あわせて5点も展示してある。すぐ近くにこの5点があるので、松本竣介特集のような気分すら味わえる。これらが並ぶと「画家の像」がひと際大きく見える。やはり代表作なのだろう。凛々しい顔に見る人もいるし、倣岸不遜な顔に見る人もいるかもしれないが、横のおびえるように後ろを振り向く女性や女の子の顔が印象的だ。
 その他三岸光太郎や佐藤哲三(2点)など懐かしくもあり、刺激的な「コレクション展」である。こんなに豊富なコレクションのある県立の美術館もあまりないような気もする。

松本竣介 白い建物(1942年) 洲之内コレクション


靉光 鳥(1940年)



 そとは冷たい雨が降り続いていたが、ゴッホ展と合わせてとても充実した半日となった。



宮城県美術館「ゴッホ展-空白のパリ時代を追う-」

2013年06月30日 14時10分04秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 6月28日(金)に仙台にある宮城県美術館で開催されている「ゴッホ展-空白のパリ時代を追う-」に行って来た。
 小雨が続く肌寒い天候であった。ここを訪れるのは確か3回目。前回は松本竣介の回顧展のとき。最初に訪れたのはいつだったか、また何を開催していたか記憶にない。宮城県美術館は彫刻家佐藤忠良の記念館を併設しているので有名である。

   

 私が知っているゴッホの絵は、1887年作の「タンギー爺さん」を除いて、バリに出る前のオランダ・ベルギーで農民を描いたいくつかの作品と、パリから南フランスのアルルに映った以降の作品にほぼ限られる。
 今回は南フランスに移住してゴッホの絵画が全面的に開花するいわゆる準備時代としてのパリに焦点をあてて、さまざまな画家の試行錯誤、技量を身につけるための努力を辿っている。
 2年間という短い時間に大きな飛躍を遂げ、後期印象派の代表格と評されるような画家の苦闘が、たったの2年間なのか、2年もの間なのかは人によって違う解釈になろうが、この濃密な2年という時間が再評価されている。

 アムステルダムのファン・ゴッホ秘術間の集中的な7年間の研究成果が展示されているという展覧会である。技法上のことはよく理解できないが、初期の暗い画面構成から明るい画面への転移には、絵画に対する思いいれからの脱却と共に暗い諧調から明るい色彩の仕様という技法上の転移が同時進行する必要があったこと、その後に、筆のタッチや厚塗り・薄塗り、遠近法の習得、下塗りの選択、点描画法の取り入れと決別等々さまざまな技法上の苦闘の跡が示されている。
 写実中心から色彩の多様と調和、そして氾濫へ、筆のタッチとの調和により変遷していった様子が理解できる。さらに一気に書き上げたようなゴッホの絵であるが、実は入念な下絵に基づくものであることも教えられた。

 このような習作期ともいえる時代の絵だが、それでも心惹かれる絵がいくつかあった。私にとっても目新しい、初めて眼にする絵がいくつもあった。



 この絵「石切場の見えるモンマルトルの丘」(1986年)はオランダ時代の絵も思わせるような厚塗りの絵だが、雲の描き方がいいと思った。空の青と畑らしい緑の斜面、石切場の白と色彩の3区分が明確に強調されている。現実の風景の色感とは多分違って、色の対比のために現実を変えることに行き着いたのかもしれないと想像してみた。 石切場のゴツゴツした鋭い筆の運びによる量感と緑の斜面の柔らかい筆運び、雲のうねる様を処理した筆使いと素人の私にも何となくわかってしまうのが、問題なのかもしれない。



 次の「セーヌの河岸」(1887年)は極端に薄塗りである。こんな絵も描いたんだ、と思うと共に川の曲がり加減がなかなか面白いと思った。人の配置も面白い。上の絵といい、点景としての人の配置が実に効果的に思えるがどうだろう。ただしこの絵、左下半分を占める路が単調でつまらない。ここは色彩の工夫があっても良いと考えた。空と川の青は筆のタッチの差を利用しようとしているが、その効果ははっきりとは出ていないのではないか。そして全体に画面がおとなしい。後年のような躍動する風景になっていない。



 上と同じ「セーヌ河岸」(1887年)はこんどは上の絵の単調な道路などのような単調な色面はなく、色彩はバランスよく配置されている。川の面の色使いが、緻密に色を配置している。
 遠近も左辺中央への2本収束線でうまく出ているが、直線だけなのでちょっと単調。人の影の換わりに川岸に排水溝か何かの跡を利用して、5点ほどの黒いアクセントがありこれは効果的だと思う。ただし、右の岸の上の樹木の筆のタッチに統一性がなく、中途半端な感じがする。

   

 次の植物を描いた2枚の作品も年代による違いがよくわかる。はじめのバラを描いたものが1886年の夏、アサツキの鉢植えを描いたものが1887年の初め。前者がオランダ時代の暗い色調による質感重視だったものが、わずか一年をたたずに色彩とタッチの微妙な差で質感を描き分けるようになっている。そのかわり独特の質感・重量感、存在感が残念ながら希薄であることは確かだ。後者のほうがあっさりしている。しかも多少薄塗りだ。背景の色の配置にも気を配っている。光線の具合も明確だ。

 画家の言葉が引用されている。「僕は後悔することがある、オランダの灰色のトーンのパレットを捨ててなきゃ良かった。モンマルトルの景色を展ではなく筆でしっかり描けばよかったと」。画家自身はバリでの2年間の苦闘をあまり自己評価していないかのようだが、パリで当時前衛的であった印象派の影響を真っ向から受けて、色彩の調和から色彩の氾濫へと変貌を遂げたが、筆遣いについては原点回帰の面があったのかもしれない。しかし重厚な筆遣いと暗い色調の絵が、色彩が氾濫しそれを支えるうねるような筆遣いで躍動し流動する世界を描きえた画家には、この2年間の苦闘が必要だったと納得できる企画だったと思う。



 この「鳥の巣」(1886年)は画家が苦闘を開始した頃の絵ということになっている。弟の苦言を受けて、明るい赤と緑を加えるたり、背景を明るくしたりしているとの事。ゴッホの愛着のある絵であったらしい。新しい筆致を獲得する前の絵ということだが、私はこの絵が好きだ。
 ということはまだまだ私が飛躍できていない人間なのかもしれないが、それでもこの沈鬱な存在感が好きだ。



 さてもうひとつ、この展覧会での指摘。この1887年の絵、葦原とヒバリという取り合わせの絵として流通していたらしいが、どうやら研究の結果は違ったらしい。まず植物は円筒形の穂の状態から麦と断定され、麦畑にはえたケシの赤い花などが絵の赤いアクセントになっている。そしてヒバリとしたのは弟テオの妻ヨハンナが終生手放さずに「ひばりの飛び立つ麦畑」と命名してしまったとの事。地面近くを飛び、麦を食べるのであるから、この鳥はヒバリよりも十倍は大きいヤマウズラということだそうだ。ということで最新の正式名称は「ヤマウズラの飛び立つ麦畑」となった。
 絵は水平方向に単純な三層構造だが、空は視覚的に後退させる効果をねらって広い刷毛で薄く塗られて奥行を出し、麦畑は青い下地の上に粗い筆遣いで左向きの斜めの方向に風になびくように描かれている。また刈り取られた最下層の黄色の部分は麦とは反対の左向きになびくように描かれていて、麦の緑との対比をより引き立たせている。同時にこの黒いヤマウズラが書き加えられることで、麦の先端の画面を半分に水平に横断するラインと対角線との交わる点に黒い点が加わり画面の引き締めが行われているとの事。確かにこの鳥の黒い点が鳴ければ実にしまりのない絵になってしまう。