まずは本日訪れた、仙台市富沢遺跡保存館「地底の森ミュージアム」から。
このちょっと変わったネーミングの博物館は、富沢遺跡という江戸時代から弥生時代までの水田跡が幾重も重なる遺跡の下に、縄文時代の遺跡があり、さらにその下2メートルに、今からおよそ2万年前の旧石器時代の湿地林の根っこが見つかった。これ自体も珍しいが、さらにそこに旧石器時代人と思われる人の焚き火跡と100数点の石器、シカの糞などが発見された。
その旧石器時代の森の跡をそのままの形で永久保存処理をするとともに、周囲に当時の森を復元している。
展示館の中では、その焚き火跡がごく短時間の焚き火跡(1晩)であることをあきらかにし、その焚き火跡で石器を作成した痕跡であることもあきらかにしている。これはなかなか刺激的な推論であるようだが、説得力がある。さらに見つかった石器を組み合わせて、元の形の石を復元したり、その過程を通して、実際に石器をどのように作ったのがを具体的に再現している。
石器の作り方については、私は何冊かの本を読んだがなかなか具体的にイメージ出来なかった。今回ようやく本を読んで作り上げたイメージが誤りでなかったことがはっきりしたように思う。
石器というと黒曜石ばかりイメージしていたが、今回頁岩を利用していることがわかり、更に汎用性の高い石がイメージできた。またシカの角で本当に石器の剥片が出来るのかと思っていたが、実際に出来る過程が示されていてびっくり。
ただし、細石刃というものがどのように作られ、どのように使われていたのかについてはまったく言及がなかったのがちょっと不思議だった。
復元された森の中を歩いてみた。常緑のチョウセンゴヨウという松、落葉する松であるグイマツなどは、初めて見ることができた。またそれらのマツボックリも初めて見た。旧石器時代からの湿地であったようだが、2メートルの堆積を経て、弥生時代以降は水田が作られたようだ。堆積にかかわらず湿地で水がたまりやすかったのかもしれない。
本日はハナショウブが美しく咲いていた。
なかなか面白い復元、展示だったと感心した。実は私が学生の頃はこのような発見はなく、今から10数年前の発見だったらしい。
私の趣味で欲を言えば、折角水田跡が江戸時代から時代を弥生時代まで遡るのだから、それぞれの水田の構造の特質、歴史的な構造変化そして栽培種の変化なども披瀝してもらえるとうれしいと思った。
この遺跡の見学の後、そのまま地下鉄の駅に出て仙台から帰宅したのだが、この遺跡から1時間ほど歩いたあたりに「仙台市縄文の森広場」というのがあった。約4000年前の「山田上ノ台遺跡」の保存施設であるとのこと。竪穴住居の復元模型などがあるようで、これまで私が見た他の地域の復元住居と比較などしてみたかった。
これは残念だった。事前に気がつけば、歩く時間がなくともタクシーの利用なども考えられた。残念ながら次回に持ち越しとなった。