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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

音楽三昧に近い一日

2016年01月08日 22時12分47秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 先ほどNHKFM放送をかけたら、ブラームスのチェロソナタ第1番が耳に入った。ちょうど第1楽章の後半から聴くことができた。演奏はチェロがゴーティエ・カプソン、ピアノは児玉桃となっていた。
 曲目は「チェロ・ソナタ第1番」(ブラームス)、アンコール曲として「ヴォカリーズ」(ラフマニノフ)、「タイスの冥想曲」(マスネ)、「夢のあとに」(フォーレ)、いづれも東京文化会館小ホールで2015年11月27日の録音。始めのほうの「幻想小曲集」(シューマン)、「チェロ・ソナタ」(ブリテン)、「チェロ・ソナタ」(ドビュッシー) は聴きそこなってしまった。
 さらに、ヴァイオリンにルノー・カプソンを加えてCDから「バイオリンとチェロのための20の二重奏曲からアリア、プレリュード、メヌエット、ガヴォット、ジーグ」(作曲バッハ、編曲フレデリック・ノイマン編曲)を放送していた。これは初めて聴いた。

 演奏者の名前は初めて聴いた。どちらかというと甘い音色と歌い方である。多分私のように具合が悪くて、集中力がない時に聴くにはとてもいい音色になるのだろうと思いながら聴いていた。

 こういう時は、無理に読書するのではなく、このような曲、しかも短いものが嬉しい。FMでこのような曲がかかっているととても嬉しいものである。

 引き続き「真冬の夜の偉人たち - ヨーロッパいにしえの歌」という古楽を聴いている。


 さて、本日夜になって、複数枚の年賀状が届いた。郵便配達は秋には配達が終わる予定だったというマイナンバーの書類の配送が年末までずれ込み、年賀状の集配が大変であったと聞く。8日になっても賀状の配達がずれ込んでいるようだ。配達する担当者は年末から年始にかけて大変な作業をこなしたと聞いている。
 国の施策で、市町村の窓口と郵便事業はおおきなしわ寄せを蒙った。政治が、国民の生活の第一線の行政サービス等を翻弄している。「サービスはスピード感が大切」なのではない。「公平・確実でかつ安心・安全なサービスが必要」なのである。いつからこのような基本がないがしろにされるようになったのだろうか。

ベートーベン「ヴァイオリン・ソナタ第6、7、8番」

2016年01月08日 18時17分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 血圧の薬を処方してもらいにいつもの内科に行き、クシャミと鼻水の症状を緩和する薬も4日分処方してもらった。クシャミと鼻水の量が減り、ずいぶんと楽になった。

 音楽を聴く気になってきた。昨晩はブラームスの「ドイツレクイエム」をかけたが注意力を継続して聴くことができなかった。



 本日はベートーベンのヴァイオリンソナタの第6番から第8番(作品30の1~3)までの3曲をひっぱり出してきた。
 ギドン・クレメルのヴァイオリン、マルタ・アルゲリッチのピアノによるベートーベンのヴァイオリン・ソナタ全曲4枚版の1枚である。録音は1993年。ヨゼフ・スークとヤン・パネンカの全集の方を聴くことの方が多いが、たまにこれをひっぱりだしてくる。
 この作品30の3曲は1801年から1802年にかけて作られている。難聴などを苦にしたいわゆる「ハイリゲンシュタットの遺書」を書くなどの精神的危機の直前、ベートーベンの作曲活動の前期の作品群のほぼ掉尾に位置する作品である。
 モーツアルト・ハイドンなどの影響から脱し、中期の交響曲第3番から第6番の時期にあたる中期への飛躍を意図した時期でもあるという。
 前年のヴァイオリンソナタ(作品24、スプリング)やクロイツェルに挟まれて演奏される機会は少ないが、私はこの3曲はよくまとめて聴くことにしている。このCDは3曲が一緒に収録されているので面倒が無くていい。
 第6番の第3楽章など親しみやすい曲もあるが、全体としてはおとなしく、地味な印象である。第7番が4楽章形式で長く、3つの作品では演奏される機会が比較的多いらしい。メリハリが効いている感じはする。他は3楽章形式でこじんまりしている。
 どちらかというと私は第6番、第8番の方が好みである。

   

頭が重い‥本も満足に読めず

2016年01月08日 14時06分18秒 | 読書
 昨晩からマスクをして布団に入り、風邪を理由に読書三昧をしようと思っていたが、だんだん頭が重くなり、結局ほとんど読めなかった。
 持ち込んだ本は、「銀河系惑星学の挑戦」(松井孝典、NHK出版新書)、「命売ります」(三島由紀夫、ちくま文庫)、「限界芸術論」(鶴見俊輔、ちくま文庫)の3冊。
 「限界芸術論」、いつまでかかっているのかと自分でも嫌になるほど時間が過ぎた。はっきりいってあまり私の思考と接点のない話題ばかりなので、読んでいるのか苦痛に近くなってきた。あと100頁余りなので最後まで目をとおしてしばらくは鶴見俊輔とは慣れていたい気分である。おなじ鶴見俊輔でも他の著作の方が私に向いていたかもしれない。
 「命売ります」は久しぶりの小説、久しぶりの三島由紀夫である。さすがに三島、小説としては面白い。1968年の「プレイボーイ」というのも時代とこの作品を結びつける象徴的な何かがあるかもしれない。最後まで読んでから感想が書けるだろうか。
 「銀河系惑星学の挑戦」は惑星科学の第一人者の松井孝典の朝日カルチャーセンターの講座に基づくもの。ときどきは科学とくに地球物理と天文学の入門書に目をとおしたくなる衝動がまだ残っている。だが、高校の数学・物理の入り口レベルも無理になっているかもしれない。理解しているような気分になったとしても、気分だけなのだろう。何しろ40年近く数式とはお別れしているので‥。
 結局昨晩から今までかかって「命売ります」と「銀河系惑星学の挑戦」を10頁くらいずつ読んだだけである。

 血圧の薬が明日に切れるのでこれからいつもの内科に行かなければいけない。ついでに水っ洟の症状を抑える薬でも処方してもらった方がやはり楽かもしれない。