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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

夜のウォーキングを30分ほど

2016年01月04日 23時50分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 21時に服用した下剤が効くように、先ほどまで深夜のウォーキングを4000歩ほど。昼間は暖かく街歩きをしていると汗が出たが、深夜ともなるとさすがに寒さが身に浸みる。大汗をかくようなウォーキングのつもりはなかったので、薄いダウンの上着で出たら結構寒く感じた。寒いので少々早めに歩いて、ほんの少し汗をかいた段階で周回コースを終えて、終了。

 あとは入浴後、水分を多めに補給して就寝予定。明日7時から2時間かけて、腸管洗浄液を2リットル服用。

懐かしい土地を散歩

2016年01月04日 22時13分34秒 | 山行・旅行・散策
 本日は相鉄沿線で、私が11歳から15歳まで住んでいたところを二時間半ほど散歩してきた。すでに幾度か訪ねてはいるが、10年に一度位は懐かしくなって歩いている。小学生の最後の2年間と中学の3年近くを過ごした。50年も昔のことであるからもう知っている人はいない。駅から歩いて12分ほどのところにある、20区画の谷底の新しい造成地に住んでいた。
 駅から家に行く途中にある、よく通った内科の病院は場所が30メートルほど変わっている。当然代替わりしているはずだ。もう一軒の耳鼻科は病院の看板もなくなっている上に50年前の建物がそのまま廃屋になっている。だれも住んでいない。10年ほど前に行った時と同じで、建替えも行われていない。あの先生の一家はどうなってしまったのだろう。
 住んでいたところに一番近い商店で、今でいうコンビニのような店は建替えてきれいになっている。本日は休みであったが、昔は大型のインコがカゴに飼われていてそれがマスコットであった。八百屋であり総菜屋であり、菓子・乾物・文房具・洗剤・新聞・煙草・酒などを売っていた。
 20軒の区画は敷地そのまま使っているところがほとんどだが、5軒ほどは半分か三分の一に分割している。1区画だけ50年前の木造づくりの家そのままを残している。表札もなく、廃屋のようになっているが正月飾りが玄関にぶら下がっている。しかも木造の家は半分だけが残っており、船が半分だけで海に浮んだような感じである。残りの部分は別の敷地として新しい家が建って人手に渡っている。庭の部分だったところも別の敷地になっている。これもとても寂しい思いがした。
 私の家のあったところはかなり大きな二世代住宅になっていて、土地は分割されていない。南向きで日当たりはいいのだが、谷底なので冬の日照時間が多少短いのが難点であった。
 駅の近くの高台に私の家よりも少し早く造成された区画があった。そこに小学校の同級生の家があり、よく遊びに行った。しかしその家ももう新しく建替えられて、別の表札になっている。

 駅からの尾根道のようなメイン通りには一方通行だがバスが通るようになり、すっかり便利になっている。尾根道の南側は、当時は造成途中で工事が止まり、放置された草地だったが、今は広い敷地に戸建ての家がびっしりと建っている。メインどおりに面した商店もまばらだったが繁盛している商店街に様変わりした。当時の酒屋、薬局、肉屋などの店もいくつか残っている。

 駅のある高台から見えていた丹沢と富士山は残念ながら高くなった駅舎と近くのビルと大型看板に邪魔されて見ることができなかった。これはとても残念であった。

 ブラブラと約1万5千歩ほどを歩いて帰ってきた。50年という時間を大いに意識した。

シベリウス「ヴァイオリン協奏曲」

2016年01月04日 20時33分55秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 昨年6月19日にこのシベリウス「ヴァイオリン協奏曲」を取り上げた時は、ヴァイオリンがシルヴィア・マルコヴィッチ、ネーメ・ヤルヴィ指揮、エーテボリ交響楽団による1987年の録音であった。
 今回かけているCDはヴァイオリンは五嶋みどり、指揮スーピン・メータ、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団による1993年の録音。
 前回のCDよりはヴァイオリンの音はもっと渋いというか、派手さ・透明感が少ないと感じる。暗闇の中で絞り出すようにヴァイオリンの音色である。五嶋みどりの艶やかな力強さはあまり感じられない。ヴァイオリン協奏曲なのにヴァイオリンが後景にあって浮かび上がってこないように聴こえる。五嶋みどりのシベリウスの音楽に対する解釈なのか、録音のためなのかはよく解らないが、私としてはどちらも受け入れたい表現である。ただしこちらの演奏は、盛り上がり部分はもう一瞬であってももう少し明るい光明が見えてもいいような気分にはなる。最初から最後まで、混沌の中で暗い情念にもがいているような感じである。そのような解決の見えない世界、とても惹かれるが、シベリウスはもう少し垣間見える光明も表現してほしいような気分もある。

 ブルッフのスコットランド幻想曲と一緒に録音されることが多いが、シベリウスだけを聴きたいことの方が多いので、いつもこれは聴かずに止めてしまう。美しい曲であることは承知をしているし、この曲だけを聴きたい気分の時が無いわけではない。本日はシベリウスだけを繰り返し聴きたい。

         

点眼薬が切れていた

2016年01月04日 11時12分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝は食パン1枚と紅茶と目玉焼きの朝食。バターもベーコンも柚子マーマレードもヨーグルトもなし。せめてレタスの葉1枚の野菜が欲しかったが、大腸の内視鏡検査のために断念。

 これから眼科。年が明けて点眼薬が切れてしまい、二種類のうち一種類だけしかなくなってしまっていた。年末に眼科に行く時間はあったのだが忘れていた。眼圧が気になるところである。年明けなので眼科は込んでいるかもしれない。読書タイムとして割り切るしかない。

 本日も暖かである。1月にしては異様な暖かさとなっている。北海道は例年並みらしい。