これから明け方にかけて雪になるかもしれないという予報がある。雪にちなんで、伊藤若冲の雪を描いた作品を2点。いづれも雄鶏が主題の作品である。

伊藤若冲の「雪中雄鶏図」、昨年の「若冲と蕪村」展では2点が展示された。左が細見美術館蔵、右は岡田美術館蔵となっている。
鶏というのは若冲の作品の代名詞のようである。しかし解説では、鶏というのが、文・武・勇・仁・信の5つの徳を備えた人格者の比喩的存在として扱われたと云われている。さらに左の作品は君子の高潔を表す菊と竹が描かれていることから、求道者としての画家自身を象徴している作品と解釈する説もあると解説に記載されている。私としては、図版の解説にしてはあまりに飛躍しすぎの説を引用していると思った。
右の雄鶏のポーズは唐突というか、無理な姿勢である。羽根の具合もかなり無理がある。笹に積もって今にも落ちてきそうな雪も、デフォルメしすぎていて少し滑稽味すら感じる。左の作品の方がより現実的な図柄である。雄鶏の姿勢も餌をついばむ時の自然な姿勢に近い。羽根の様子も無理がないように思える。
だが、どちらも雪の様子や笹、竹、菊の様子はどことなく現実離れしていることも確かである。より現実に近いかどうかという差に着目すれば、その差は小さいかもしれない。
より自然に近いかどうか、という価値基準が評価の軸となることが正しいとは云えないことも踏まえなくてはいけない。
ここまで云ってしまえばあとは単純に好きかどうかという判断しかなくなる。
強引な飛躍的な解釈をすれば、右の見得を切ったような無理なポーズの作品は、ひょっとして作品を依頼した者の性格を揶揄しているのではないか、と感じた。例えばいつも芝居かかった人、大向こうをうならせるようなことに熱心な人、見栄っ張りな人、派手好きな人、こんな人から絵の依頼を受けたと想像するのもいい。若冲ならではの皮肉だとひそかに思っている。


伊藤若冲の「雪中雄鶏図」、昨年の「若冲と蕪村」展では2点が展示された。左が細見美術館蔵、右は岡田美術館蔵となっている。
鶏というのは若冲の作品の代名詞のようである。しかし解説では、鶏というのが、文・武・勇・仁・信の5つの徳を備えた人格者の比喩的存在として扱われたと云われている。さらに左の作品は君子の高潔を表す菊と竹が描かれていることから、求道者としての画家自身を象徴している作品と解釈する説もあると解説に記載されている。私としては、図版の解説にしてはあまりに飛躍しすぎの説を引用していると思った。
右の雄鶏のポーズは唐突というか、無理な姿勢である。羽根の具合もかなり無理がある。笹に積もって今にも落ちてきそうな雪も、デフォルメしすぎていて少し滑稽味すら感じる。左の作品の方がより現実的な図柄である。雄鶏の姿勢も餌をついばむ時の自然な姿勢に近い。羽根の様子も無理がないように思える。
だが、どちらも雪の様子や笹、竹、菊の様子はどことなく現実離れしていることも確かである。より現実に近いかどうかという差に着目すれば、その差は小さいかもしれない。
より自然に近いかどうか、という価値基準が評価の軸となることが正しいとは云えないことも踏まえなくてはいけない。
ここまで云ってしまえばあとは単純に好きかどうかという判断しかなくなる。
強引な飛躍的な解釈をすれば、右の見得を切ったような無理なポーズの作品は、ひょっとして作品を依頼した者の性格を揶揄しているのではないか、と感じた。例えばいつも芝居かかった人、大向こうをうならせるようなことに熱心な人、見栄っ張りな人、派手好きな人、こんな人から絵の依頼を受けたと想像するのもいい。若冲ならではの皮肉だとひそかに思っている。