Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

沖縄慰霊の日

2013年06月23日 20時52分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は沖縄慰霊の日。情けないことに私はすっかり失念していた。この日に対する考え方はいろいろあることは承知をしている。しかしどんな場合でも、戦争を考える便にしたいものだ。ネットでの検索では、

 1974年に制定された「沖縄県慰霊の日を定める条例」により、「我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失つた冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため(条例第1条)」、6月23日を「慰霊の日」と定めている。
 一方で、司令部が壊滅してもそれを知らされなかった兵士たちが抵抗を続けたため、散発的な戦闘は司令部自決の日以降も続いた。このため、慰霊の日を司令官自決の日と定めることに対して疑問を投げかける立場もある。たとえば沖縄市では、慰霊の日を休日とする一方で、同年9月7日に降伏文書への調印が行なわれたことから、同日を「市民平和の日」と定めている。

 となっている。

 忘れてはならないことは、沖縄戦とは非戦闘員が米軍ならびに日本軍により大量に犠牲となり、そして自決という名の殺戮が公然と行われたということだ。さらに米軍占領下で開始された、長く軍事・基地機能優先が今も続いているということだ。
 米軍による無差別都市爆撃、原爆という惨禍、日中戦争以来の日本軍によるアジアでの非戦闘員に対する非行・殺戮、どれも戦争というものが本質的に持っている許されることのない蛮行である。戦争というものにどんな美辞麗句をつけたとしても、その本質は変わらない。
 「慰霊の日」の式典にあわせて訪沖し、式典に参加した首相や、外務大臣・防衛大臣、駐日大使がどのような政治的な目的をもっていたか、誰もが素直には納得できないことを知っている。

 きな臭い時代、沖縄戦や空襲や原爆や、侵略ということ、軍隊というものの本質、「国家」・国境線というものの危険な実態をキチンと考えたいものである。


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2 コメント

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展望なく始まった (大納言)
2013-06-24 23:34:23
戦争のとばっちりが下層兵士や沖縄民衆や空襲被害者などに押しつけられ、真の責任は一億総懺悔に霧散してしまいました。日本という国はどこまでいいかげんなんでしょう。未だに責任という言葉が存在しないかのごとくです。国家や大組織が限りなく強く、割りを食うのはいつも個人です。
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責任はだれも取らない日本 (Fs)
2013-06-25 13:04:04
いつの間にか、国民がみんなで謝ることで「戦後」が終わりました。
しかも東西冷戦のおかげで、アジア諸国に対する賠償もうやむやのうちに請求権を放棄してもらって‥。一層責任が曖昧に忘れられてしまいました。
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