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阿久根市・竹原市長は異常?

2010年04月14日 | 日記
  *** 以下 引用  住民至上主義 4月12日より  ***
 http://www5.diary.ne.jp/user/521727/

 中部大学の武田邦彦 教授が、こういうことを言っておいでです。
 ーーーーーーー 以下引用 --------
大学の教員になったときに、第一に感じたことは「人間は教育をするほど悪くなる」ということだった。 頭の良い人、知識のある人は総じてたちが悪い。 そうでない人は、ズルはするが根本的には人柄が良い。 これまで我慢をしてきているからそれだけ人格が磨かれているという印象を受けた。

知識が付き、教育を受けると、一般的に「利己的」になる。 しかしそれと同時に「利己的ということを隠す技術」を学ぶ。 だから見かけは利己的には見えない。 衆議院議員が「国民の為に一切を投げ出す」等と言うのと同じだ。 庶民はそんな歯の浮くような事は言えない。

 次に、知識が付くと「惻隠の情」を失う。 相手の悲しさがわからないのだ。 環境関係ではそういった例が多く、インテリの住む杉並区の住民は自分たちのごみを江東区が引き受けないと言ってもめたことがあった。

 教育とは何だろうか?公的には「人を人たらしめる」とされているが、それなら「人」とは利己的で相手をやっつける存在ということになる。 その上、「教養教育」というのがある。 ほとんどがヨーロッパの学問を学ぶのだが、それがまた人を悪人にするのだ。
 16世紀からの世界はヨーロッパの知識人が世界中の人を奴隷にした歴史であった。 世界のほとんどの国がヨーロッパ人の植民地となって苦しんだ。  ヨーロッパの人は教養は高かったが有色人種を人間とは見ていなかった。 日本人のことは「サル」と呼んだ。

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私たちが変わっていかなければならない。 市役所の組織は変わらなければいけない。
惻隠の情、結果が出なければいけない。 実際、市民の暮らしが変わっていかなければ、良くなっていかなければいけない。 苦しい人が少ない阿久根市にならなければいけない。 そこに私たちの気持ちをいつも置いておかなければいけない。

では、どうやったら変わっていくのか。
役所というのは、どうも、所掌事務ということに皆さんがしがみついているというか、それに締め付けられているというふうに感じているかも知れない。 でも、それは、たぶん今までの習慣だ。
所掌事務というものをはずしていこうと思う。 結果として、市民のためになる行動ができなければ、成果が出せなければ、所掌事務にしがみついていることは何の意味もない。
それをやっているからというのは、言い訳にもならない。 今の現状をよく見ると、どうもそれぞれの個別の職員、あるいは係長、課長それぞれが、自分の所掌事務にしがみついている、あるいはそれによって拘束されているように思っている。
これは外しましょう。

課であれば、親分である課長の言うとおり動かなければいけない。 係長の目指すところを職員が同時に目指していかなければいけない。 成果を出すために。だから、隣の職員が忙しいときは手伝うのは当たり前。 全部の職員が全部の市民のためにある。 全部の市民の税金を全員が使っている。 ですから、部下を持っている職員は、部下の仕事を全部わかっていなければいけない。 全部わかって、手を突っ込んで、頭を突っ込んで、調整をする、その義務がある。
「そこの部分は私の仕事ではない、その担当職員の仕事」などとは、絶対言ってはならない。
みんながみんなの仕事に関係しているのだから、実際に関わってください。
そして、市役所の仕事が悪いとするならば、それは全部私のせいです。
そのような体制を作りましょう。よろしくお願いします。
 
 ***  以上  全文  引用  ***



  

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