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地方の雇用は?自殺は何故?百姓?

2009年10月19日 | 日記
  今日の日経新聞に、地方の相次ぐ工場閉鎖と出ていた。
企業も行政も手をこまねいているわけではないが、先行き国内経済は、二番底の懸念が拭い切れないで居るというところだろう。 失業が増えつつある地方は、どうやって生活を立て直すのか。 生活を立て直さないで、都会へ出て行くのか?

 そして、企業は生き残り策を模索する中で、様々な仕事をやり始めた。
自動車の部品メーカーの向山製作所は生キャラメルの製造、半導体装置メーカーのウインズは、地域の御用聞きそしてインフルエンザ対策の消毒液事業と、その形態は、昔から日本にあった一人の人が何でもこなせる、『百姓』(百の名を、百の仕事をこなせる)ようするに、時間が空いたときは生活の為に、沢山の事をこなして行こうと言う事の起業版だろうか。



 百貨店、百花繚乱、百計、百姓、・・・それは具体的に百と言う事ではなくて、沢山のと言う意味である。 百年前には、地方の農業で生きる事が出来ずに、北海道へ、満州へ、あるいはブラジルへと農業移民と称して、棄民に近い形で国民に政治は其れを強要した。  日本の適正人口は、五千万人か、七千万人かは、学者の判断に任せることにして、とにかく一億二千万人では人口密度が高すぎると言う事は、衆目の一致するところだろう。

 外国人参政権付与とか、外国人一千万人受け入れとか、後先を考えないでバルーンを上げる、エライ人が居るようだが、そういうことは少しずつ石橋を叩いて渡るように、政策を進めなければ取り返しの付かない事になる。
日本の国土は禿山だらけになり、河川はクソだらけに成ってしまうだろう。

 検察が免疫の役目なら、それが正常に動いてないのは人口密度が高いせい。 秋葉原を歩いている人が、突然ナイフを振り回すのも人口密度が高いせい。 一人静かに、天国へ旅立つのも人口密度が高いせい。 そのうち、人が人を喰ってしまうのではないか。  何しろ、今の日本は人が多すぎて、国としての自律性が失われている。

 これを、気にすることなく現在の国民が、平安に生きる方法は、ソーリから公園のテント村の住民まで、全員が『百姓』と成る事ではないだろうか。



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