住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

住まいの安全性、食物の安全性、政治の危険性、感動の共有
心と体のリラクゼーション、誰かに秘密を話すストレス解消

里山資本主義? 過経済化? マネー資本主義?

2014年01月01日 | 日記

 この世界の実情を一口で言い表すなら、今こそ《人間復興》と、声高に叫ばねばならないのではなかろうか・・・。 世界の7人に一人が、飢餓状態に有ると云う事を改めて、思い起こしながら《里山資本主義》と云う、Jcastニュースで取り上げられていた言葉に思いを馳せてみたい。


  ***  以下引用 J-castニュース 12/31付 ***
   http://www.j-cast.com/2013/12/31193104.html?p=1

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 日本総合研究所の藻谷浩介主席研究員が、NHK広島取材班とともに『里山資本主義』(同)という新書を今年の夏に発行している。 前著と同じく、行き過ぎたマネー資本主義の批判を含んでいる。

山の雑木を薪にして、井戸から水を汲み、棚田で米を、庭先で野菜を育てる――。
長年にわたって里山で積み重ねられてきた暮らしを再評価する本書は、「田舎暮らしのススメ」のように紹介されることもあるが、それ以上の可能性を感じさせる主張も多く込められている。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ― 最優先すべきは若い人たちの「人間らしい生活」(所謂、人間復興・筆者)―

  ***  以上引用  終  ***


  そして、《TPP》に絡む問題であろう・・・。
命をつなぐ為のなりわいの所謂、農業、そしてそれを含む各地域の文化。

  ***  以下引用 下記URLより  ***
   http://blog.tatsuru.com/2013/12/30_1249.php

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 人類史を遡ればわかるが、人類が農業生産を始めたのは、「限りある資源を競合的に奪い合う事態を回避するためにはどうすればいいのか」という問いへの一つの解としてであった。

  農業はなによりもまず食資源の確保のために開発されたのである。
食糧を集団的に確保し、生き延びること。 それが農業生産のアルファでありオメガであり、自余のことはすべて副次的なものに過ぎない。

  食糧を、他者と競合的な奪い合いをせずに、安定的に供給できるために最も有効な方法は何か?
人類の始祖たちはそこから発想した。

  最初に思いついた答えはまず食資源をできるだけ「散らす」ということだった。 小麦を主食とする集団、イモを主食とする集団、トウモロコシを主食とする集団、バナナを主食とする集団・・・食資源が重複しなければ、それだけ飢餓のリスクは減る。

  他人から見ると「食糧」のカテゴリーに入らないものを食べることは食資源の確保にとって死活的に重要なことである。 自分たちが食べるものが他集団の人々からは「ジャンク」にしか見えないようであれば、食物の確保はそれだけ容易になる。 お互いに相手の食べ物を見て「よくあんなものが食える」と吐き気を催すようであれば、食糧の奪い合いは起こらない。 他者の欲望を喚起しないこと、これが食資源確保のための第一原則である。

  食資源確保のための次の工夫は「食えないものを食えるようにすること」であった。 不可食物を可食的なものに変換すること。 水にさらす、火で焼く、お湯で煮る、煙で燻す・・・さまざまな方法を人間は開発した。

  それでも同じような生態系のうちに居住していれば食資源はいやでも重複する。 その場合には競合を回避するために、人々は「固有の調理法」というものを作り出した。 調理はもともとは「不可食物の可食化」のための化学的操作として発達した。 だから、「できるだけ手間を掛けずに可食化する」ことがめざされたわけであるが、人々はすぐにできるだけ手間を掛ける方が調理法としてはすぐれているということに気づいた。 「ジャンク化」と同じアイディアである。 特殊な道具を用いて、特殊な製法で行わない限り、可食化できない植物(例えば、とちの実)は、その技術を持たない集団からみれば「ただのゴミ」である。「ただのゴミ」には誰も手を出さない。

  主食の調味料に特殊な発酵物を用いる食習慣も同じ理由で説明できる。 発酵物とはまさに「それを食用にしない集団から見れば腐敗物にしか見えない」もののことだからである。
食文化が多様であるのは、グルメ雑誌のライターたちが信じているように「世界中の美食」に対する欲望を駆動するためではない。 まったく逆である。 他集団の人からは「よくあんなものが食える(気持ち悪くてゲロ吐きそう)」と思われるようなものを食べることで他者の欲望を鎮め、食糧を安定的に確保するために食文化は多様化したのである。

  農業について考えるとき、私たちはつねに「何のために先人たちはこのような農作物を選択し、このような耕作形態を採用したのか」という原点の問いに戻る必要がある。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 現在の日本の農政はこの原点から隔たること遠い。
TPPが目指すのは「手元にない食資源」を商品として購入すること、食文化を均質化することだからである。

 世界中の70億人が同じものを、同じ調理法で食べる。 そういう食のかたちを実現することが自由貿易論者の理想である。 そうすれば市場需要の多い商品作物だけを、生産コストが安い地域で大量生産して、莫大な収益を上げることができる。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  ***  以上引用  終  ***


 上記ブログ主の結論は、筆者が読み取った所に拠れば、その地域的な纏まりの(所謂国とか民族とかの括り)住民たちには、独自の文化が有り少なくても《農業》や《医療》、《教育》などにそれと一番重要な《政治》に、グローバルビジネスマン達(所謂国際金融資本家達)に、口を挟んで貰いたくない、と云う結論と見た。



ある陰謀論・・・Thrivemovemennt.com

2014年01月01日 | 日記

 お正月から、有意義なテレビ番組の数々。
笑って、家族だんらんですか・・・ ?

 眠気半分でも、ドラえもんの想像の世界の様な
新たな視点を生み出す、キッカケとなれば
何よりです。 特に、若い人には見てほしい
ユーチューブ映像です。

 世界の仕組みについては下記URLの、42分45秒
あたりから、1時間16分あたりまで、ご覧になれば
尚、視野が広がるのではないでしょうか・・・。

 https://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI


 固定した概念にとらわれる必要は無いと思いますが、
現代世界の構成の前提として、考えてみても決して、
マイナスになる事は、無いでしょう・・・・・。