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毎日幸せに in青森

ヒトはどんなときに幸せを感じるのか?
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日本の美意識

2009-11-29 | 民俗
晩秋のこの季節はドライブをしているとイチョウの黄色がよく目立ちます。
遠くからもそれと分かるイチョウは近くへ行ってみると神社にあることがほとんどです。
鳥居と社の赤、杉など常緑樹の緑、そしてイチョウの黄色は、色の黄金率ともいえるほど鮮やかで見事な調和を見せます。

 

「イチョウを屋敷に植えてはいけない」という俗信がありますが、理由として挙げられている事がこちらです。

○ 高く育つため。「屋根より高い木は植えるな」という俚諺もある。
○ イチョウは移帳(移動、兆散)につながる。語呂合わせで嫌われることも多い。
○ 山形県置賜地方の民俗調査では「イチョウは俗家では植えぬ」との記載もあり、イチョウ、合歓、朴は寺社のものだという認識があった。
○ 銀杏の実の異臭が嫌がられた。

この中でイチョウは寺社のものだという認識は、水分の多い木のために火災の予防としてという説もありますが、それだけであれば寺社に限らずもっと広く植えられていてもいいとも思えます。
他の木と違いイチョウの黄葉は気候の違う日本の各地でもほぼ同じ時期に始まります。
北から順に少しずつ南へ移動しているわけではなく、それはネット上の情報を見ていても感じることです。

青森県に限らず東北地方では、他の樹木の紅葉が終わってからイチョウの黄葉が始まります。
遠い昔に冬枯れの中で輝く黄色を見た人々は、この色に神域を感じたのかもしれません。
古代より朱や丹などの赤い色は墳墓や寺社仏閣に使われています。
赤と調和する色として黄色と緑色を選んだのは、日本に住む人の美意識が関係しているとも言えるでしょう。

なぜ寺社のものなのか、人の思いを想像し、また日本人としての美に思いを馳せることは楽しくもあります。




身近にある歴史

2009-08-30 | 民俗
三沢市の家庭で保有率の高いものといえばバーベキューセットです。
春は花見で、夏は庭で、秋は野山で、バーベキューは休日の娯楽として親しまれています。
三沢市の肉屋ではバーベキューセットのレンタルもしています。
一人前1500円ぐらいから、公園などでバーベキューをする場合は指定した場所にバーベキューコンロを持ってきて炭に火を入れてくれ、終わった後に回収もしてくれます。
生ビールのサーバーもレンタルできるので手軽に楽しめる環境が整っています。

私も知人宅でバーベキューを楽しんできました。
昔の話で盛り上がり、古文書まで見せていただきました。



年配の方の話を聞くと地域の歴史を垣間見ることができます。
明治の初めに会津からやって来た会津藩士はむつ市だけでなく三沢市にも入植しています。
歴史の本の中でしか知ることのできない史実ですが、個人宅に伝わる文書は生の歴史と、其処に生きた人の人生を見せてくれます。

明治時代の文書は毛筆で書かれています。
手紙や賞状、成績表などどれも達筆で、この時代の人の教養を感じさせます。
文書を見ながら戦前の話や先祖が語っていた話なども聞くことができました。
ほんの十数年前まで冬場には馬橇が見られたこの地は、生きて歴史を語る人が大勢います。
体験として語られる話には実感があります。
ほんの数十年前の事でも、高度経済成長によって遠い昔の出来事のように感じますが、日本は急激に変化しすぎて年代ごとの感覚には大きなギャップができています。
違う年代の生い立ちを理解する事は大切だと感じます。





楽しい農家

2009-08-22 | 民俗
私の母は農家の長女でした。
母の子供の頃の話はとてもおもしろくて聞くのが楽しみです。

新潟の山の中で、冬の雪がどんなにたくさん積もったのかは「二階の窓から出入りした」と言っていますが、ちょっと想像がつきません。
集落では大きい家だったらしく、瞽女(ごぜ)の宿にもなっていたそうです。
瞽女 - Wikipedia


お爺さんとお婆さんがいて、ドブロクが好きだったのでよく作った。官憲の取締りがありそうなときは山の中の何箇所かに隠していた。匂いでバレるから。
お婆さんの方が酒が強くて、いつも食事時に大きなどんぶりで飲んでいた。

そんな話を今でも楽しそうにします。
ドブロクの作り方は母から習いました。
糠漬けの作り方も仕込まれました。いろいろな手仕事も。

農家に伝わる生活の技術はたくさんあります。
しかし機械化や消費社会への変化で多くのことが忘れ去られようとしています。
生活をより豊かに楽しむための知識として残っていって欲しいのですが。



青森県の県内総生産に占める農業生産は4%(平成17年度)
農業県といわれる青森でも、農業は大きな産業ではなくなっています。


戒名は買うもの ?

2009-08-21 | 民俗
先日少し無理をしたために歯が痛くて困っています。
疲れるとあちこちに不具合が出てくるので年を感じてしまいます。
あと20年も生きられればありがたいと思うようになり、残りの人生はどのように使うかという視点から物事を考えてしまいます。

いつだったか戒名を生きている間につけたという話を聞きました。
住職をしている知人が考えてつけてくれたそうです。
別の方からは、自分で決めたという話も聞きました。

自分の名前は自分でつけたものではありません。
名付け親の言葉もあるように名前というものは人からつけてもらう事がほとんどです。
古事記の中でヤマトタケルはクマソの王タケルを倒してその名を貰います。
殿様から名前をもらう家臣の話も歴史上数多くあります。
遠い昔から、名前を貰うことは習慣であったようです。

生まれたときにつけられる名は両親の希望によって、死後の名前は「諱(忌み名)」「諡(贈り名)」と言われるように、やはり人からつけて貰うもののようです。
ただ名付けは僧侶だけの仕事ではなかったようです。
尊敬する人に名づけをお願いしてもいいのかもしれません。


欠乏と幸福

2009-08-13 | 民俗
村上龍が編集長として発行するJMMのメールマガジンを購読しています。
ネット上でも読めるのですが、なんとなく忘れてしまったりするのでメルマガにしています。

今読んでいて面白い物は心理経済学講座セカンドシーズンです。
最新号の第18回では、「欠乏→欲動→空想→幸福」について語られています。


・・・・ 記事より抜粋 ・・・・・・・・・・・ 

飢餓感、貧しさを直接的に埋めようとすることで得られる刹那的な満足ではなくて、空想や幻想、想像の力によって豊かさのほうへ向かおうとしている心の動きこそ、先進諸国を生きる私たちが求めていることなのです。もちろん、その人が主体的に動き出すには、その背景に欠乏と欲望、そして欲動の力の復活、さらには言葉と舞台とが創出されていく必要があります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



人間の体は何万年も続いていた狩猟採取の時代と大きな違いはありません。
農業を始めてより大きな社会を作るようになっても、産業革命からITの次代に変わっても、脳や身体の機能はそのままです。
社会のシステムが大きく変わる事で、そこに暮らす人間にはより大きな負担がかかってきます。
この居心地の悪さはいったい何が原因で起こるのか。
私には動物としての人間からの乖離に思えます。

人間の歴史は常に飢餓という不安を抱えながら、生きていく幸福感を味わっていたのだと思います。
狩猟採取の暮らしは最近の研究では思っていた以上に豊かなものだったと判っています。
それでも間引きという人口調節はあり、安全弁の役割を持っていたようです。

衣食住や病気に対する備えなど物質で解決できることをなし終えた後に、まだ大切な事が残っていて、それは物質とは逆行する何かなのかもしれません。
幸せとは何か、答えはやはり心の中に隠れているのだと感じます。
予想とは違うベクトルを持ちながら。






現代イタコ考

2009-08-08 | 民俗
青森にはイタコの他に、ゴミソ、オカミサンという人もいます。
イタコは弟子入りして師匠から相伝を受ける修業をしてなるもののようですが、ゴミソ、オカミサンは師匠を持たずに自ら修業をしてなるのだそうです。
イタコはここ20年、新になる人はいなかったのですが、オカミサンは若手も出てきているようです。
やはり口寄せや占いを行っています。

イタコの仕事にはオシラサマに関するお祭りもあります。
念に1~2度オシラサマを祭る行事、オシラアソバセでの進行を務めるものです。
オシラサマ信仰は東北独自のもののようですが、日本全国には女性の祭りである雛祭りがあり、起源は違うのでしょうが似たものを感じます。
いだこ祭りもそうでしたが、地蔵講、太子講、大師講、百万遍などは地域の女性の行事です。
民俗学の考え方からは東北の独自性について語られることが多いのですが、地域の女性の集団による信仰は日本各地に残っています。

修験者・山伏や、それと結びついた仏教では女人禁制の場所が多くあります。
男性の信仰としての仏教や修験道があるように、女性の信仰というのも古来のシャーマニズムと結びついて長く続いてきたもののようです。
しかし女性の信仰は生活の中に息づく慣わしであり、都市化や核家族化でその姿を消そうとしています。

近代の科学的思考からは、古い習慣が非科学的に見られ否定されることもあります。
地下鉄サリン事件によって新興宗教だけではなく既存の宗教までもが否定的な見方をされた時期もありましたが、今また揺り戻しのようにスピリチュアル、癒しとして注目を集めています。

信仰は非科学的なのでしょうか ?
世界中で、神も信仰も先祖崇拝も祭りも、見えない何かに対する恐れや敬いの心を持たない民族などないのではないでしょうか。

信仰は人間にとっての普遍であり必然であるとするなら、それを否定することは人間を否定する事と同義です。

なぜ人間にとって信仰が必然なのか、その意味を考える事こそ科学的な態度なのだと思います。



鳥越 竹細工・笹まき祭り

2009-06-29 | 民俗
岩手県一戸町の鳥越にある鳥越もみじ交遊舎で28日にあったイベントです。
青森県南にも多い 「戸」のつく地名を持つこの町も、同じ南部の文化圏に属します。
山に囲まれたこの地域での伝統工芸は、実用性も高く美しい竹細工を生み出しています。



現在この竹細工を作っているのは50人ほど。
この祭りでは金額も安くして販売しています。
技術の伝承に力を入れると共に、販売ルート開拓にも力を入れているそうです。

私もすでに買い物籠などを使っていますが、丈夫で美しい竹製の買い物籠はいろいろな場面で重宝しています。
今回はゴミ箱用と画材入れ用に二つの籠を買い求めました。
小さい物なら数百円の美しい工芸品は、生活に楽しみを付け加えてくれます。
年に2度ほど展示即売会をするそうですが、広く知ってもらいたい生活文化です。

笹まきという地域の伝統食がこの時期の食べ物のため、毎年6月末の開催を予定しているとのこと。
鳥越には南部糠部三十三観音二十九番札所の鳥越観音があり、投げ入れ堂を今に残す山の文化を伝える所でもあります。