詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

桑田窓『52時70分まで待って』

2021-10-01 10:43:02 | 詩集

 

桑田窓『52時70分まで待って』(思潮社、2021年9月10日発行)

 桑田窓『52時70分まで待って』の巻頭の作品「未完成」。その一連目。

切り絵の空の星たちが
はらはらと舞い降りた夜
シリウス色したブローチの女の子
七色のお手玉を
星座のない空へ放り投げている

 桑田にとって詩とは美しいものであり、その美しさは「修辞」によって決定されるものなのかもしれない。
 この一連目には「舞い降りた」と「放り投げる」という二つの動詞が向き合っている。空から星が舞い降りる。空には星がなくなる。だからかわりに「お手玉」を放り投げ、それを星にする。
 しかし、桑田の実際の関心は、その動詞の抱え込む運動ではなく、「切り絵の空」の「切り絵」という比喩や、「はらはら」ということばの響きなのである。それは単に星が「降りたではなく「舞い」降りるということばの選択にもつながっている。「舞い」ということばを付け加えないことには、桑田のことばは詩になろうとしないのだ。ここから想像すると、お手玉は単に放り投げられただけではなく、空で「舞って」いるのだろう。たしかにお手玉というのは放り投げておしまいではなく、落ちてきたものを何度も放り上げるから、そこには一定のリズムがあり、それは「ダンス(舞)」に見えないことはない。
 この「修飾の過剰性」が、桑田にとっての詩なのだろう。

落書きの塔に沿って昇る雲から
銀河系渡来の雪が降ってくる
絵日記の途中
雪沓を履いて駆け寄った
春まであと三歩

若草色のハーモニカ
桜を揺らす風のチャイム
早春の旋律に乗って
天に向けた願いは虹色のまま
その小さな手に戻ってきた

 ことばが「舞っている」。「舞う」は「舞い上がる」というようなつかいかたもあるが、桑田のことばは「舞い上がっている」。こういうときは、その「舞い上がり」に同調できるかどうかが問題になる。私は「桜を揺らす風のチャイム」につまずいた。桜の開花は毎年早くなってはいるが、そして桜の開花の後に雪が降ることもあるにはあるが、私の現実感覚にはあわない。一連目の「七色」は三連目で「虹色」へと変化するのだが「虹」には太陽が不可欠とまではいわないが、夜に「虹」をみるのはなかなかむずかしい。「星」(一連目)、「銀河」(二連目)とつづけば、どうしたって「夜」である。「早朝」(夜明け)を想定してもいいが、かなり混乱してしまう。
 まあ、「舞い」だから、日常の動きと違っていい、と言えばそれまでであるけれど。さらにいえば、どれだけ「常識」を逸脱できるかが、桑田の課題になると思う。どうせことばなのだから実態(現実)とは関係なしに、どこまでも自由に動いていけばいいというのはひとつの方法である。
 「旅の途中」の一連目。

単色の風に削れた柱が
 寄り集まって支えあう
天国の宮殿
 その下の途方もない崖を
青いまま枯れた
 無数の葉が落ちていく

 「天国の宮殿」だけれど、柱も風に削られている。廃れている。その感じを、青いまま枯れていく葉で強調するのだが、この「青いまま枯れていく」という矛盾したことばは、いまではもう「過激」ではなくなっていると私は感じる。
 四連目。

浴室に続く泥道に
 脱ぎ捨てられたドレス
空洞の壁に刻まれた
 透明な別れのサイン

 どのことばも「過激」というには弱い感じがする。もっと暴走しないと詩にならないのではないか。ことばが桑田を裏切るところまで暴走すればおもしろくなるかもしれない。どこまでことばに無責任になれるか、が問われると思う。「舞い」を制御することが詩をつくることと桑田は考えているのだと思うが。
 私の感覚では、それは違う、ということになる。

 

 

 


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