詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高田昭子『胴吹き桜』

2019-03-01 09:25:35 | 詩集
 高田昭子『胴吹き桜ら』は父親のことを書いた作品が多い。「ててっぽっぽう」は長瀬清子の詩をとおして父と対話している。
 ある日、父が無花果を食べていると、庭の無花果の木から「ててっぽっぽう」と声がする。はじめて、「ててっぽっぽう」と聞こえて、長瀬とつながったと父に告げる。

父は「そうか」と言って
黙って無花果を食べていた
しばらくしてから
「古里では、ででっぽうと言っていたな。」と言った

 私はこの部分がとても好きだ。
 理由はふたつ。ひとつは、私も「ででっぽう」の方になじみがある。「ててっぽっぽう」には野生のぬくみがない。気取った声だ。もうひとつは、

しばらくしてから

 この一行が、「肉体」を感じさせる。
 人にはそれぞれ声を発するときのタイミングというか、リズムというものがある。癖のようなものだ。このとき高田の父はいつもとは違うタイミングで「古里では」と語ったのだ。ほかの人には気付かない「しばらくしてから」の「間合い」を高田は書き留めている。
 そして、ことばにならなかった「しばらく」という「間合い」のなかへと入っていく。こう、ことばにする。

南から北へとのぼりながら
言葉は素朴な濁音をまとってゆくようだった
あの日から
父は北の古里ばかりを恋うていた

 ほんとうに高田の父が「北の古里ばかりを恋うていた」かどうか、その「証拠」のようなものは書かれていない。高田がそう思っただけかもしれない。だが、高田の思ったことにまちがいはないと納得させるのが「しばらくしてから」という「間合い」をつかみとる感覚にある。
 一緒に暮らしていて、はじめて身をゆさぶる「間合い」である。





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池澤夏樹のカヴァフィス(72)

2019-03-01 00:00:00 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
72 煙草屋の飾り窓

明るく照らされた煙草屋の
飾り窓の近くに立つ何人かのうちに二人はいた。
偶然に二人の視線が合った。
禁じられた肉体の欲望が
おずおずと、ためらいがちに、示された。
そして落着かなく舗道を何歩か進む--
おたがいにほほえみ、うなづきあうまで。

 映画の一シーンのようだ。カヴァフィスの描く「美貌」はいかにも慣用句という感じだが、ここでは「美貌」のかわりに肉体の動きそのものが書かれている。「動き」があるために映画のように感じられるのだろう。
 より「映画的」にするために、二人が眼をあわせたのは飾り窓のガラスの中だと思ってみる。窓に映った互いの顔、その眼。それぞれが互いのガラスに映った顔を見ていると思うとおもしろい。
 ガラス窓だから、そこには「ノイズ」が映る。その「ノイズ」を超えて、二人は互いの欲望を確認する。見えにくいものを、見る。
 「おずおず」「ためらいがち」「落着かなく」は一種の繰り返しだ。繰り返すことで、「事実」を深めていく。確信にする。

 池澤の註釈。

煙草屋のショーウィンドーまではだれの眼にも明らかに見えるものであり、ここに描かれた二人もそれぞれ目に見えるはずだが、その先、二人がお互に気付くところからは不可視の領域に入る。

 うーん、何のことかわからない。
 同性愛であれ異性愛であれ、二人が出会ってしまえば、あとは肉体が「知っていること」が始まるだけだ。「不可視」と池澤は書いているが、それは「見る」必要がない。言い換えると「見せる」必要もない。二人にしかわからないことだが、だれもがわかっていることを、わかっているようにするだけだろう。









カヴァフィス全詩
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