地方で考える ●oyajiの侃々諤々

北信濃の豊かな自然と歴史に抱かれて過ごす日々・・・

ちょっと斜に構えてみれば
???と思うことも多いですね~

アー アー アー アー 

2024-06-28 | Weblog

6月28日(金)              23/19℃

 

 

アー アー アー アー 

なんとも間がぬけた鳴き声が聞こえてきます

4:30

カラスです

何を発信しているのでしょう?

 

 

あるネット情報によればその回数に意味があって

3回はーー安全・満足・位置表示

4回はーー警戒・危険・威嚇

5回はーー警戒・「逃げろ」

・・・だとか 

今朝は、何回だった?

今度気をつけて聞いてみます

 

(侵入者、トビを追い立てる勇敢なカラス・・・)

 

デ デ ポー デ デ ポー 

遠く聞こえてくるのはキジバト・・・

求愛 

繁殖は、生を受けたるものの大事な使命です

がんばりや!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のクラブ活動支援は、予定を変更しました

梅雨ですからね~

近くのお寺の、本堂が会場です

  ○ 当「村」の明和期の絵地図

  ○ 当地の “民話” の紙芝居

・・・と急きょ助っ人をお願いしました

5人のシニアが、この2時間授業に関わります 

 

 

 

 

今年も見せて頂くH家保存の絵地図は、明和4年と年号が記されています

 

 

作成の背景は?

千曲川の記録的大洪水「戌の満水」は、寛保2年(1742)

大きな被害をもたらした善光寺大地震は、弘化4年(1847)

明和4年は1767年なので、前後にかなりの年数があります

その頃、藩から作図を命じられたことがあるのでしょうか?

あるとすればどんな背景からでしょうか?

話が外れました

絵地図ですから道も、家もよくわかります

 

 

家の数など、「今」と比べて見るのも面白いですね

 

 

 

 

 

 

 

 

「加賀百万石」の祖、前田利家・・・

☟ 面白いテーマです

それにしても渡邊大門さん、いつも目の付け所がいいですね

 

《前田利家が兄を差し置いて、前田家の家督を継いだ理由》   (6月28日YAHOOJAPANニュース/渡邊大門)

「・・・信長は、なぜいったん放逐した利家に前田家の家督を継がせたのだろうか。利久は凡庸な人物だったといわれており、そもそも家督を継ぐ器でないと信長は考えたのだろう。利家の兄の安勝もまた、信長の期待に応えられるような人物ではなかった。むしろ、利家は戦場で数々の軍功を挙げ、「槍の又左」として人々から恐れられていた。信長は粗削りながらも、将来性のある利家を買っていたということになろう」

 

利家には3人の兄 

4男の利家が家督を継いだのは、信長の指示だったのですね

前田利家の見方が変わりました

 

 

さすがは “人物眼” の信長です

 

 

昨秋、初めて新幹線での金沢旅に出かけています

その目的の一つが「金沢城の石垣」 

前田家を、満喫できました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【大人が間違えたら恥ずかしい!?「(-4)÷2+5」正しく計算できる?】   (6月27日andGIRL)

 

(ー4)÷2+5

 

できるかなぁ~

今は数学など、ほとんど無縁です

それに頭も老化してきましたし 

 

 

答えは「3」。

 

微分、積分などは遠の昔に返上しました

加減乗除がわかれば、日常的には十分事足ります

それも電卓でOKです

何を学ぶか?

難しい時代になっていますね

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