故郷≪新潟≫の日々

満65歳で中国・黒龍江大学を定年退職した後、生まれ故郷の新潟に戻り、日々の生活を写真とともに日記風に綴っていくもの。

No.289 「鯉」のお話。

2014年10月16日 | 日記

午後3時半過ぎから孫を連れて公園などを散歩するのが、私の日課のひとつになっている。この日も孫を近くの公園に遊びに連れて行ったところ、この日は珍しく「ブランコ」「滑り台」「砂場」などの遊びに飽きてしまった。孫は《バッタ》を捕まえに信濃川河畔の「やすらぎ堤」に行こうと言い出した。

 

この公園も秋の訪れを告げるように「ドングリ」「イチョウ」「ナツメ」の実がなり始めていた。その公園から徒歩数分で信濃川河畔の「やすらぎ堤」に到着した。この堤防には桜の木が植えられているが、その一部に紅葉が見られた。また5~6羽の“鴨”が堤防の上で丸くなって休憩しており、ゆっくりとした時間が流れていた。

 

私たちが到着してしばらくすると中年の釣り人に出会った。竿を2本出して大物を狙っていた。すると大きな魚がかかった。約50cmほどもある大きな「鯉」が川面に顔を出した。数分間、釣り人は強い力で逃げようとする「鯉」と格闘した。遂に「タモ」で大きな「鯉」をすくい上げた。

 

孫たちは土手の上で飛び跳ねる大きな魚に少し驚いた様子であった。釣り人は両手で「鯉」の大きさを確認すると満足そうに信濃川へ戻してやった。

 

約50cmほどもある大きな「鯉」が川面に顔を出した。

釣り人は両手で「鯉」の大きさを確認すると満足そうに信濃川へ戻してやった。

秋の訪れを告げるように「どんぐり」「イチョウ」「ナツメ」の実がなり始めていた。

堤防には桜の木が植えられているが、一部に紅葉が見られた。

5~6羽の鴨が堤防の上で丸くなってゆっくりと休憩していた。

 


No.288 「サイクリング」のお話。

2014年10月15日 | 日記

先日、私は小学校3年生と幼稚園児の孫を連れて「サイクリング」に出かけた。行き先は全長約15kmの「新潟島一周自転車道」の半周コース。我が家を出発して数分で信濃川河畔の「やすらぎ堤」にある自転車道に出た。私達は信濃川の上流へ向かって進むコースを走り始めた。

 

このコースは信号もなく、犬を連れて散歩する人やサイクリングやジョギングなどを楽しむ人々が多い。スピードを出したバイクやトラックなどと一緒に走ることもなく、安心して孫とサイクリングを楽しむことができるコースとなっている。自転車道路を約4Kmほど走ると関屋分水路にたどり着いた。

 

さらに休憩を取りながら、分水路を右に曲がり日本海や佐渡島の見える「関分記念公園」まで走ることにした。約1Kmほど走ると公園の展望台が見えてくる。展望台に登ると釣り船や日本海の彼方にうっすらと浮かぶ佐渡島も見えた。展望台の下にはビンク色をした可憐な“コスモス”が咲き誇り、秋の訪れを告げていた。

 

透き通った海に竿を出し、魚釣りを楽しむ人が見られた一方、多くの海水浴客で賑わった「海の家」は訪れる人も少なくひっそりとしていた。

 

 私は小学校3年生と幼稚園児の孫を連れて「サイクリング」に出かけた。

展望台の下にはコスモスが咲き誇り、秋の訪れを告げていた。

 

展望台の下にある中国人作家の作品。

多くの海水浴客で賑わった「海の家」は訪れる人も少なくひっそりとしていた。

透き通った海に竿を出し、魚釣りを楽しむ人が見られた。

 


No.287 「紅葉」のお話。

2014年10月14日 | 日記

最近、私の住む新潟市は爽やかな秋晴れの日が続いている。先日、新潟市の陸上競技場で開催された「第11回ゲートボール世界大会」を見学に行ってきた。この周辺は白山公園に隣接しており、多くの樹木が植えられてある。特に県民会館や新潟市音楽文化会館周辺の木々が美しく紅葉し始めてきた。

 

中でも秋を感じさせる「桜」の葉の「紅葉」が目立つ。また陸上競技場周辺の「イチョウ」の葉も緑色から輝くような黄色に変色してきた。「紅葉」ではなく「黄葉」になり、大きな「イチョウ」の実も付けてきた。秋の七草のひとつである「ススキ」も穂を出して風に揺れていた。

 

白山公園内にある《ハス池》に植えられている大きな「ハス」の葉も一部が茶色く枯れ始めてきた。「ドウダンツツジ」や「モミジ」の葉もわずかずつ赤く色づいてきた。これらの葉が全部「紅葉」に変わる頃、秋も終わりとなる。新潟市は冬の足音が聞こえてくる日も近いようだ。

 

 秋を感じさせる「桜」の葉の「紅葉」が目立つようになってきた。

イチョウの葉も緑色から輝くような黄色になり、大きな実をつけてきた。

秋の七草のひとつである「ススキ」も穂を出して風に揺れていた。

《ハス池》に植えられている大きな「ハス」の葉も一部茶色く枯れ始めてきた。

「ドウダンツツジ」や「モミジ」の葉も一部ではあるが赤く色づいてきた。

 

 


No.286 「再びジャンケン勝ち」のお話。

2014年10月13日 | 日記

私の「ブログ」の9月11日付けNo.254号で≪「ジャンケン勝ち」のお話≫を掲載した。今回も「ジャンケン勝ち」で勝利したお話をしたい。秋も深まり88チームが参加した「渡辺あつお杯親善野球大会」の3回戦が行われた阿賀野川河川敷“第1野球場”周辺は、秋の代表的な草花である「ススキ」の穂が風に揺れ、薄紫色の「萩」の花が咲いていた。この日の対戦相手は右の好投手を要する「ナインピース」。

 

1回の表、守備についた我が「豆九クラブ」は相手のトップバッターの内野ゴロをエラーで出塁させた後、クリーンナップにタイムリーヒットを打たれ、2点を先行された。その後、両チームともスコアリング・ポジションにランナーを出すが、あと1本のヒットが出ない。しかし「豆九クラブ」は最終回に連打でランナー2塁・3塁と攻め、大石選手の執念のライト前ヒットで2点を入れて同点とした。

 

結局、時間切れで試合は《2対2》で終了。ルールにより打順1番から9番までの順番でジャンケンをして、勝負を決めることになった。我がチームは1番バッターが勝った後、両チームの6人が終わっても《3対3》の同点。しかし幸運にも次の2人が連続して勝ち、結局《5対3》で「ジャンケン勝ち」することができた。

 

それにしても両チームともチャンスに三振や内野フライ、それにピッチャーからの素早い牽制球で走者がアウトになったりと、攻めあぐむイニングが続いた。試合はヒットでもジャンケンでも勝つことは楽しいものである。「1度あることは2度ある」の言葉のとおり、「豆九クラブ」にとっては今シーズン2回目の「ジャンケン勝ち」であった。

 

結局《5対3》で「ジャンケン勝ち」し、喜ぶ我が「豆九クラブ」の選手たち。  

秋の代表的な草花である「ススキ」の穂が風に揺れ、薄紫色の「萩」の花が咲いていた。

打順1番から9番までの順番でジャンケンをして、勝負を決めることになった。

 

 

 


No.285 「木版画展」のお話。

2014年10月12日 | 日記

芸術の秋である。私が毎週訪れている「NEXT21ビル」6階にあるミニギャラリーは“写真”や“油絵”などの展示会が何回となく開催されている。先日もここで開催された写真展に還暦野球部の私の先輩の作品も展示されていた。展示会場に行くたびに、私はいろいろな趣味を持っている人が本当に多いことを実感している。

 

この日、木版画を鑑賞したのは私にとって久しぶりのことであった。この「木版画展」は新潟日報カルチャーセンター、NHK文化センター新潟教室、新潟駅前カルチャーセンター、グランパレ木版画教室の4つの教室で学んでいる皆さんの作品展となっているという。初心者からベテランまで《36人》の方々がそれぞれの自信作1点を出展された。

 

会場には「花」「きのこ」「ゴーヤ」などの植物を題材としたものや「石油の里」「雪の白川郷」などの風景を題材とした作品などが展示されていた。中には細かな部分までまるで“筆”で書いたような作品も見られた。日本版画家協会会員で版画家の吉田志麻先生のご指導を受けられただけあって素晴らしい作品が展示されていた。

 

「花」「きのこ」「ゴーヤ」などの植物を題材としたもの。

「石油の里」「雪の白川郷」などの風景を題材としたものなどが展示されていた。

 

 

 

 


No.284 「ゲートボール」のお話。

2014年10月11日 | 日記

私が黒龍江大学に勤務していた頃、隣りのハルビン医科大学構内に安くてサービスがいいと評判の理髪店によく行ったことを思い出した。この理髪店のすぐ脇の広場に珍しく「ゲートボール場」があった。私はここで中国の中高年の皆さんが「ゲートボール」を楽しんでいる姿をよく目にした。(ちなみに中国語でゲートボールは「門球」と書く。)

 

この「ゲートボール」は1947年に日本で考案されたスポーツであり、現在では世界各国で約1000万人の老若男女に親しまれているという。そして競技大会となると中国チームは非常に強い。「ゲートボール」の第11回世界大会が先日、我が家から徒歩で約20分ほどの所にある新潟市中央区の「新潟市陸上競技場」で開催された。

 

中国は前回の第10回世界大会で優勝から第3位までの入賞を独占した。今回、中国からは7チームが出場した。私も競技場まで応援に行ってきた。会場には「アメリカ」「ブラジル」「オーストラリア」「ロシア」「インド」など世界20カ国・地域から96チーム・総勢720人を超える選手が集まった。地元の新潟県からも2チームが参加した。

 

爽やかな風が吹き、秋空のもと選手は日頃の練習の成果をいかんなく発揮した。競技中、グランド内に設置されたゲートを通過する球の行方を見ながら、多くの観客から拍手と歓声が上がった。私は決勝戦は見に行けなかったが、中国の「山西臨汾代表隊」が見事、優勝したとのことであった。やはり中国チームは強かった。

 

「门球」。 

我在龙江大学执教的时候,经常去{哈尔滨医科大学校园内又非常便宜,又口碑特别好的}理发店。在理发店门前的广场中,竟然有一块是门球场地。在这里经常可以看到一些玩门球的中老年人。(另:汉语字为门球) 

门球是由日本人在1947年开发的体育项目,现在在世界各国约有1000万门球爱好者。当然,这项运动在中国也很有名,并且中国门球队很强。前几天,就在离我家徒步大约20分钟的新潟市中央区的新潟市陆地比赛场,举行了第11届世界门球大赛。  

中国的参赛队在上届世界大赛中包揽了从冠军到季军的所有奖项。这次,中国有7个队出场。我也去赛场为选手们呐喊助威了。参赛的约有来自美国、巴西、澳大利亚、俄罗斯、印度等二十多个国家和地区的96个队,共计720多名选手。 

东道主新潟县也派了两个队参加。秋高气爽,选手们都发挥出了自己的实力。比赛时,观众们注视着场地中门球的动向,不断地鼓掌欢呼。我没去看决赛,听说决赛结果是中国山西临汾代表队赢得了冠军。 

 

聖火台に火をつける最終ランナー。

3歳のゲートボール愛好者へ聖火のリレー。

各国の来賓による開会式の始球式。

新潟県新発田市から来た踊り手が元気のよい「よさこい踊り」を披露。

新潟大学大学院生で、大会の中国語通訳ボランティアと記念写真をする筆者。

いよいよ試合開始。

ゲートを通過する球の行方を見ながら、多くの観客から拍手と歓声が上がった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


No.283 「朝顔」のお話。

2014年10月10日 | 日記

私の日課のひとつに≪ごみ捨て≫がある。早朝7時30分頃、我が家から出たゴミを指定のゴミ袋に入れ、約100m程の所にある「ゴミ収集所」まで運ぶ役目だ。月曜日・水曜日・金曜日は燃えるゴミの日となっている。この日は近くの「カラス」がやってきてゴミ袋に入っている残飯などを食べに来る。

 

火曜日はプラスチックなどの燃えないゴミの日であり、この日は頭のいい「カラス」はこの場所にはやって来ない。この日≪ごみ捨て≫に行く途中に近くのマンション前に咲いている青い色の「朝顔」が目に入った。垣根となっている樹木の上に毎朝、約20個ほどの花を咲き続けている。あまりにも綺麗な青い色なので写真を撮ってみた。

 

周囲をよく見るとそのマンションの1階にある歯科医院の前にも同じ青い色の花を10個ほど咲かせている「朝顔」があった。我が家の植木鉢にも「朝顔」が植えてあったが、夏の間、ピンク、青、白などの花を咲かせてくれた。しかしこの時期になると花はほぼ終わってしまった。秋も終わりに近づいてきたようだ。

 

もうしばらく「朝顔」の青い花を楽しむことができそうである。

黄色の花をつけた「ゴウヤ」も咲いていた。

歯科医院の前にも同じ青い色の花を10個ほど咲かせている「朝顔」があった。

我が家の朝顔。

 

 

 

 

 

 

 


No.282 「不戦勝」のお話。

2014年10月09日 | 日記

「不戦勝」とは辞書によると「試合で対戦相手の欠場・棄権や組み合わせの関係などから、試合をしないで勝ちと同じ扱いになること。」と説明されている。先日、私の所属している「豆九クラブ」が試合をしないで勝利を収めた。この日は「渡辺あつお杯親善野球大会」の1回戦が新潟市東区にある阿賀野川河川公園第一野球場で開催される予定であった。

 

午前8時45分に試合が開始されるため、我がチームの選手は8時に野球場に集合した。阿賀野川河川敷公園には全部で“7面”の野球場がつながっている。そして選手は広いグランドの芝生の上で準備運動やキャッチボールを開始した。しかし試合開始近くになっても対戦相手の「ディーゼルズ」の選手は姿を見せない。

 

そして試合開始時刻がやってきた。主審がホームベース上に選手を整列するように声をかけた。「豆九クラブ」のメンバーは整列したが「ディーゼルズ」の選手は結局、1人も現れなかった。主審が「プレイ」と声をかけ、続いて「ゲームセット」を宣告した。ルールにより≪7対0≫で我がチームの「不戦勝」となった。

 

前日まで猛烈な雨が降り続き、対戦相手はグランドコンディションが悪いと判断したようだ。それにしても久しぶりに経験した「不戦勝」であった。早速、試合の行われなくなったグランドで「豆九クラブ」の練習が始まった。

 

「豆九クラブ」のメンバーは整列したが「ディーゼルズ」の選手は1人も現れなかった。

空には虹がかかっていた。

前日の雨で心配したが、グランドコンディションは良好であった。

早速、試合の行われなくなったグランドで「豆九クラブ」の練習が始まった。

私たちの次に行われた試合には、予定どおり選手が集まってきた。

 

 


No.281 「教え子との再会」のお話。

2014年10月08日 | 日記

先日、久しぶりに新潟空港へ教え子を出迎えに行った。私が黒龍江大学で日本語を教えた時の教え子たちが秋田大学で1年間の留学生活を送るため、新潟空港に降り立ったのだ。日本語学科の4年生が3人と3年生が2人の総勢5人の女子学生が大きな荷物を抱えて元気な顔で入国ドアーから姿を現した。飛行機が新潟空港に到着してから約1時間後のことであった。

 

私の教え子は4年生が3人。懐かしい顔であった。3年生の2人は私が帰国してから黒龍江大学に入学してきたため、今回、初対面であった。新潟駅から秋田駅に行く特急「いなほ号」が出発するまでの約3時間、新潟市内を元黒龍江大学日本語教師の大島先生と一緒に案内することになった。初めに新潟市中央区清五郎地区にある「天寿園」を見学してもらった。

 

“萩”や“コスモス”が美しいピンク色の花をつけた「日本庭園」を訪れた。その後、中国から資材を運んで造られた本格的な「中国庭園」を鑑賞してもらった。その後、新潟県庁で昼食をとり、18階にある展望回廊に登り、新潟市内を東西南北と見学した。あいにくの曇り空で日本海に浮かぶ“佐渡島”や“粟島”は見ることができなかった。

 

定刻にJR新潟駅を出発した特急「いなほ号」で教え子たちは重い荷物と一緒に「秋田駅」へと向かった。1年間、秋田大学での教え子たちの健康と充実した留学生活が送れるよう心からお祈りしたい。

 

初めに新潟市中央区清五郎地区にある「天寿園」を見学してもらった。

教え子が到着した新潟空港。

学生たちを乗せ、ハルビン空港から到着した飛行機。

いつものとおり、ハルビンからの飛行機は到着予定時刻の約15分前に新潟空港に到着した。

「天寿園」にある日本庭園。

“萩”や“コスモス”が美しいピンク色の花をつけた「日本庭園」。

中国から資材を運んで造られた本格的な「中国庭園」を鑑賞してもらった。

新潟県庁で昼食をとり、18階にある展望回廊に登った。

午後1時を過ぎていたため、県庁食堂は閑散としていた。

18階にある展望回廊に登り、新潟市内を東西南北と見学した。

新潟駅を出発した特急「いなほ号」で教え子たちは重い荷物と一緒に「秋田駅」へと向かった。

 

 

 


No.280 「二胡の調べ」のお話。

2014年10月07日 | 日記

先日、新潟市の生涯学習センター設立10周年記念事業の一環としてとして“クロスパルにいがた”の1階ロビーで「二胡の調べ」が開催された。皆さんご承知のとおり≪二胡≫は中国を代表する弦楽器で、胡琴の一種である。この日の≪二胡≫の奏者は中国・黒龍江省出身の張士杰さん。

 

張さんは以前、ハルビン市内の高校で“化学”を教えていた教師であった幼い頃から≪二胡≫を学び、驚いたことに初舞台は12歳という。高校教師を退職後、中国国内で毎年、数十回の演奏活動を行っており、レパートリーは日本の曲を含め、50曲以上という。

 

この日は「ふるさと」「さくらさくら」「もみじ」などの日本のなつかしい曲と「良宵」「拉駱駝」「江河水」などの中国の曲を交互に演奏していただいた。昼休み時間に集まった約30名ほどの観客は透き通るような≪二胡≫の音色を楽しみ、演奏が終わるたびに熱い拍手を送っていた。

 

演奏後、主催者からこのイベントにご尽力された張士杰さんに対し、立派な「日本人形」が贈呈された。

 

赤い衣装で≪二胡≫を演奏された黒龍江省出身の張士杰さん。

開演前に練習される張士杰さん(左)と私の友人の青木さん(右)。

最初の曲はお二人で演奏された。

2曲目から張士杰さんの独奏となった。

約30名ほどの観客は透き通るような≪二胡≫の音色を楽しんでいた。

観客は透き通るような≪二胡≫の音色を楽しみ、演奏が終わるたびに熱い拍手を送っていた。

演奏後、主催者から張士杰さんに対し「日本人形」が贈呈された。

 


No.279 「最後のトマト」のお話。

2014年10月06日 | 日記

私は久しぶりに友人の畑に行ってきた。野菜の収穫も最後に近づいてきたようだ。この日収穫できたのは「ミニトマト」「ナス」「ピーマン」それに「シシトウ」。普通サイズの「トマト」は収穫を終了した。私たちはこの「トマト」の茎を根元から引っこ抜き、畝(うね)を耕して石灰をまいてきた。

 

8月26日付けNo.238号でお話した「スイカ」も20日程前に既に収穫を終わってしまった。その時にスイカの葉や茎を全部抜き取り、「石灰」をまいて土壌を中和させてきた。今回、その場所に新たに畝を作り「ブロッコリー」の苗を植えてきた。順調に育てば、ひと冬経過し、来春になると収穫の時期を迎えることになる。

 

また「ナス」「ピーマン」「シシトウ」は今が収穫の最盛期。「ナス」はひと袋に入りきらず、「ピーマン」と「シシトウ」もビニール袋イッパイに収穫することができた。あと何回か収穫の楽しみがある。この収穫が終了すると「冬菜」の苗を植えることになる。

 

気分転換と実益を兼ねたこの「野菜づくり」は生活に潤いと安らぎを与えてくれる。当然のことながら、我が家の食卓はしばらく「ナス」と「ピーマン」の料理が続くことになる。

 

この日収穫できたのは「ミニトマト」「ナス」「ピーマン」に「シシトウ」。

新たに畝を作り「ブロッコリー」の苗を植えてきた。

私たちはこの「トマト」の茎を根元から引っこ抜き、畝(うね)を耕して石灰をまいてきた。

美味しくいただいた「ニラ」は白い花が咲いていた。


No.278 「再会」のお話。

2014年10月05日 | 日記

久しぶりに懐かしい人と再会した。この日は元黒龍江大学日本語教師の大島先生、新潟市国際交流員の韓春紅先生、元ハルビン医科大学日本語教師の西山先生と私の4人が集まった。私達は同じような時期に黒龍江省ハルビン市で交流を深めながら日本語教師をしていた仲間である。

 

中国国内の旅行をしたり、野球を楽しんだり、飲んだり食べたりと一緒にいろいろな経験をさせてもらった。本来であれば、私の大好きな「寿司割烹 いかだ」で新鮮な魚を頂戴し、新潟の美味しい地酒を楽しむことになるはずであった。

 

しかし韓春紅先生が刺身やお寿司が苦手なことが分かり、バイキング方式で70種類の料理がある、ここ「ひな野 新潟古町店」で懇談会を開催することになった。私達は黒龍江省ハルビン市で過ごした話題を酒のつまみに、火鍋を囲み野菜サラダ、うどん、カレーライスなどを美味しく頂戴した。

 

料金はディナーコース(食べ放題コース)で1人1.998円と安く、自然食料理も美味しく、更にコーヒーやデザートも楽しめる。私が皆さんにおすすめできるお店でもある。 

 

「再会」 

 

隔了好久我与久别的朋友们重逢了。这天,我和原龙江大学日语教师大岛老师、新潟市国际交流员韩春红老师以及原哈尔滨医科大学日语教师西山老师四个人聚了一次。我们几乎都是在同一期间,在哈尔滨市加深了交流,又都是同事。  

 

 

我们在中国一起旅游、打棒球、吃喝玩乐。本来预定在我最喜欢的寿司料理店吃新鲜的生鱼片然后品味新潟可口的特产酒。但是,听说来韩春红老师不太喜欢吃生鱼片和寿司之后,就把聚会地点定在了有70种食物的自助餐厅-NINANO新潟古町店。  

 

 

我们一边谈论一起在哈尔滨度过的日子,一边享受火锅、蔬菜沙拉、面条、咖喱饭等美味佳肴。自助餐每人1998日元,除了美味可口的料理之外,还能吃到咖啡和甜点。这是我向大家推荐的饭店之一。 

 

右から大島先生、西山先生、韓先生と私。


No.277 「誕生会」のお話。

2014年10月04日 | 日記

この日の夕方、午後5時30分にいつもの仲間7人は新潟駅から徒歩で数分のところにある海鮮居酒屋「はなの舞 新潟駅前店」に集合した。この日は恒例となっている仲間の「誕生日を祝う会」であった。土曜日の夜のためか会場は満席であった。予約時、午後6時から開始したいと私は事前に店に申し入れた。

 

これに対し店の担当者は7時30分から既に別の予約が入っているため、午後5時30分からの開始にしてほしいということで30分早めて集合することになった。この店には人気の「食べ放題・飲み放題コース」がある。しかし食べ残しや飲み残しがあるため、テーブルの上には《注意事項》の紙が置いてあった。

 

それによると「グラス交換、お皿交換となっています。」との表示があった。全部飲んでから、全部食べてから追加注文をすることになっているという。大量に飲み残したり、食べ残したりする人もいるのだろう。私達は「本日のおすすめ品」を中心に一品ずつ注文することにした。

 

一品ずつ注文した方が「食べ放題コース」や「飲み放題コース」よりも結果として安くついた。2時間という楽しい時間はあっという間に経過した。

 

 

 


No.276 「全国大会の組合せ」のお話。

2014年10月03日 | 日記

私の所属している60歳以上が出場資格のある還暦野球の「新潟エージレス野球クラブ」は、今年10月初旬、兵庫県で開催される《第30回全日本還暦軟式野球選手権大会》に出場することが決定した。全国大会には北は北海道から南は沖縄まで64チームが集まって優勝を争う。

 

新潟県からは県大会優勝の「新潟ライオンズ」と準優勝の我がチームの2チームが参加することになった。初戦、我がチームは東京都代表の強豪「杉並スーパーシニア」さんと対戦することが決まった。なお、68名の部員数を誇る「杉並スーパーシニア」さんのホームページには次のような素晴らしいモットーが書かれてあった。

 

チームのモットーは、
① 高齢者としての誇りと品位を保ち、野球を楽しみプレーする。
② 常に健康管理に留意し、応分の努力と研鑽により体力・技量の維持、向上をはかる。
③ チームメートとの交流を大切にし、己の人格を磨き続け、人生を謳歌する。

 

この大会に優勝するには6試合もしなければならない。勝ち進むと1日2試合する日も出てくる。60歳以上の選手にとってはかなりハードな日程となるが、全力でぶつかるしかない。

 

地元の新聞「新潟日報」にも我がチームのことが掲載されていた。

私の所属している「新潟エージレス野球クラブ」のメンバー。

 


最近の練習風景。

 


No.275 「生け花」のお話。

2014年10月02日 | 日記

私の持っている電子辞書によると「生け花」とは《草木の枝・葉・花を切り取り、花器に挿し、形を整えて鑑賞に供すること。また、挿したもの。》と説明されている。この「生け花」展が先日、新潟市中央区西堀にある「NEXT21ビル」の1階で開催されていた。

 

“第4回東日本大震災チャリティー生け花展 古町華展”は新潟市華道協会が主催したもので、会場では《14》の“流派”が作品を展示していた。「池坊」「草月流」など、これまで私が聞いたことのある“流派”もあったが「成月流」「龍生派」「容真流」「北斗流」「日新流」「千家古流一陽会」「古流松應会」など聞きなれない団体も多かった。

 

主催者では「生け花」を楽しんでいただき、花を通してふれあいを大切にし、新潟市の街の活性化に少しでも寄与できればとの思いで開催したという。人を癒し、心を満たしてくれる「生け花」の良さを多くの人々に知ってもらいたいと話しておられた。

 

ここに展示された《14》もある華道の“流派”の違いは私にはよく分からない。しかしそれぞれの展示された作品をじっくりと鑑賞していると何か心が休まる思いがした。開催期間が週末でもあり、多くの人がこの「生け花」展を目で楽しんでおられた。