けんきゅうきろく(と、あともうひとつ)

レアル・マドリー、リーガエスパニョーラ関係の、なんとなく気になるニュース。

その地の記憶

2009-03-09 23:23:54 | football
CLリバプール戦2ndレグまであと1日少々というところまで来まして、どーせ当たって砕けろですよ、という感じの昨今です。もうどうしようもないんだから、後腐れのないように戦い果ててくればいいのです。その後週末がカテドラル? ガゴ有休? そんなの、気にしてる場合じゃありません。と、どこかで逆転を信じつつも、きわめて厳しい状況にあることは承知しています。選手はもうイングランドに着いただろうか……。
少しは元気が出る、かどうかわかりませんが、イングランドでの戦いで良い思い出を残したOBからの激励インタビュー。フェルナンド・レドンド、1998年のオールド・トラフォードでの戦いの、「あのヒールパス」、にまつわるインタビューです。


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そのありえない美しさで世界に返り咲いたあのヒールパスの後で、マンチェスターの監督、サー・アレックス・ファーガソンは、自分たちのピッチで欧州の戦いから敗退させられる原因となった選手に対し、尊敬の念を示した。「この選手の脚には何があるんだ? 磁石か?」
フェルナンド・レドンド(1969年、ブエノスアイレス生)と話をした。近年のマドリーの司令官であるレドンドは、イングランドでの戦いを超えて、CLのタイトルを手にした。この男は、壮麗な時を象徴する、歴史的な試合を刻んだ。トーナメントの戦いで、欧州におけるマドリーの伝説を高めた。主に、英国の地で。今、リバプールと対戦するために戻る、その地で。


Q:ファンがあの試合を、クラブの象徴のように思い出すのはなぜだと思いますか?
R:時々私も言われるよ。「マンチェスターとのあのセミファイナル」とか「マンチェスターとのあのファイナル」ってね。あれはまだ準々決勝だったんだよ。でも誰も、バレンシアとのファイナルやバイエルンとのセミファイナルのことを思い出さないんだよ。

Q:ではあなたは?
R:私も、あの試合は何よりも、いま目の前にあることのように覚えている。たぶん、誰もが勝てると思って、私たちがオールドトラフォードに行ったわけではなかったからだろう。ベルナベウでは、私たちは0-0で引き分けていた。マンチェスターは欧州のチャンピオンであり、1年以上に渡って彼らのスタジアムで負けていなかったんだ。

Q:ピッチで最初に思ったことは?
R:観衆だね。試合の後、すべての人々が立ち上がって、拍手で私たちを送ってくれた。こういうような記憶、敗れたファンがそうするというのは、何かフットボールの厳かなものだと思う。ああいったものを、かつて見たことはなかった。

Q:そのオールドトラフォードの試合であなたは記憶されているわけですが、でも「7個目(1998年のCL優勝)」の立役者であったことを思い出す人はほとんどいません。
R:どちらのチーム(1998年、2000年)でも、私たちはミスを犯さずにプレイした。ハインケス(98年当時の監督、ユップ・ハインケス)はカランブーをジダンのマークにつかせた(98年のファイナルはユヴェントスと対戦)。私自身は、もっと戦術的に動いていた。ジダンはスペースでボールを受けることができなかった。すべての試合でそうできなくても、同じようにして勝てるものだ。熟成したチームというのは、異なった状況、異なったやり方でもそうやって解決していく。どんなに確実なものを予想するのが難しくても、試合の中のアクションは常に変化することを選手たちに求めていくものだ。

Q:オールド・トラフォードでは、どのような戦術を取ったのでしょうか?
R:デルボスケは試合前に、マンチェスター・ユナイテッドは彼らの地元だという条件を押し出して乗ってくるだろうから、我々はボールを奪って彼らをしっかり止めなければならない、と言った。このメッセージはつまり、私たちは最初の1分から自分たちのサッカーをする、ということだ。私たちは、私たち自身を信じた。それこそがマドリーだ。どんな状況でも力を注ぎ込む、そういう信念だ。そういうことをしているからこそ、ライバルたちは私たちを尊重し、イニシアチブを取ることを許してくれるんだよ。今回はアンフィールド。考えるべきはリバプールのことだ。得点差など本質的な問題ではない。私は楽観的に見ているよ。

Q:どこから、デル・ボスケとの共犯的な関係が始まったのでしょうか?
R:彼はボランチを中央に置き、そのポジションのことを理解していた。私は最初から良い感覚でやれたよ。彼は私に、必要なだけの自由を与えてくれた。彼は選手たちのことを信じていたんだ。すべての監督が、プレイヤーたちにそんな重要性を与えてくれるわけではない。でも彼はそうすることを知っていた。

Q:デルボスケがオールドトラフォードでそう言ったときに、選手たちは自分たちを信じた。どんなことについて選手たちは話していたのでしょうか?
R:第1に、心理的に勝つこと。どんなピッチであれ、決してやられはしない。第2にに、ラウルに対して、どんな場合であれ、この試合がお前の意義を示すんだと。

Q:マンチェスターの中盤は、ベッカム、キーン、スコールズ、ギグスがいました。伝説的な4人です。これに対してマドリーの中盤は3人、あなたと、左にサビオ、そして右にマクマナマンでした。試合前に、ボールを失ったらどうやって取り返すか、考えましたか?
R:どうやってボールを取り返すか、といったことは絶対に考えなかった。それは腰が引けたチームのメンタリティだ。私たちは、あらゆるスペースで優位に立つにはどうやってピッチを使っていくか、どうやってバランスをとるか、どうやって攻撃するか、ということを考えていた。彼らにどうやってダメージを与えれば良いか考えていたんだ。

Q:マンチェスターが数的優位に立つ中盤で、主導権を握りバランスをとるということを、どうやって実現したのでしょうか?
R:あの時には、ラウルとのとても重要な連携があった。ラウルはラインの間にいて、エンガンチェ(トップ下、攻守をつなぐ役目、アルゼンチン系のサッカー用語)として動いていた。そのおかげで私たちは、マンチェスターがプレッシャーをかけていたラインを破れたんだ。ラウルは中盤の中央より後ろでボールを受け、ターンして、スペースに向かっていた。マッカとサビオが、偉大なチャンピオンの働きをした。そしてロベルト・カルロスも、ボールを渡せばまるで足元に穴があるかのようにボールが常におさまる。彼はフィニッシュをすることを知っていたし、緻密に攻撃を作るボール回しにも参加していた。

Q:GKがたった18歳だということは心配していましたか?
R:私たちは、カシージャスが未熟だと思ったことはないよ。彼は才能を持った、特別な選手だ。

Q:あの3点目のゴールのプレイが始まったのはどこでしたか?
R:私たちのエリアからだ。ロベルト・カルロスがサビオに渡し、サビオが私にボールを当ててよこした。そして私は中央のラインでパスを通そうとした。私が顔を上げると、モリエンテスとラウルがスタートを切るのが見えた。でもマークされていたし、パスコースがはっきりしなかった。マンチェスターのCB、ベルグが私のサイドに近づいてきた。彼は脅威だったし、私は自分をフリーにしようとした。でも彼は身体を寄せ続けていて、僕をタッチラインとの間に挟んでいた。身体を進めようとしてボールをコントロールしていたが、でもベルグは引き下がらない。そこでこの選択肢を思いついたんだ。

Q:ヒールパスは以前から何かトレーニングしていましたか?
R:していたよ。でもトップの試合でやったのはあれが初めてだった。アルヘンティノスの下部リーグでやったことがあるだけだった。

Q:誰かがやるのを見ましたか?
R:いや。幼い頃にそういう革新的なことを夢見るだろう。ああいう脚の動きを創作してね。そういう感じに起きたことなんだ。あれは私の足技のひとつになったよ。トレードマークとしてね。プロフェッショナルとして、そんなことが残せるとは考えもしないだろう。しかもあんな試合の中でね。そう決めなければならなかったし、それは考える間もないような一瞬のことだった。フットボール選手の才能は、技術的な限界を超えて、限界を解くことから成り立っている。すばらしい選手とクラックとの差は、常に最高の選択をするかそうでないかだ。

Q:ところで、ベルグがあなたに寄っていって、サイドをコーナー方向に向けてすすんでいった。そこで周囲を見て、GKを背中にして、左足でヒールパスを通した。ボールはベルグの後ろを通り、ゴールラインへ向かっていった。プレイするのが寄り難しくなる場所ではありませんでしたか?
R:基本的に、ヒールパスをするときにはボールは軽い力で送る。それで、選手が追いつく前にボールが失われないようにするんだ。

Q:そしてベルグはなぜフォローできなかったのでしょうか?
R:彼はセカンドボールを見失い、方向を誤っていた。それで私が外側を回り、私だけが残ったんだ。周りにマーカーがいなくなった。前にも後ろにもね。顔を上げてラウルが来るのを願う時間ができた。私にとってあのプレイの一番のメリットは、顔を上げて望みを持つことができたことだ。

Q:ゴールが決まったとき何を考えましたか?
いつでも私は、足技、股抜き、壁パスを、ゴールを決めるのより楽しんでいた。そしてこれは、私がフットボールを楽しむ方法に調和したゴールだったよ。

Q:80年代初め、あなたがアルヘンティノスでプレイし始めたとき、中盤の中央はそれほど人気があるものではありませんでした。どこから、このクリエイティブな方向に入っていったのでしょうか?
R:子供の頃は、左のエンガンチェでプレイしていた。フットボールにはスペシャリストと、異なるポジションでもうまくプレイするプレイヤーとがいる。私にとって、左でプレイすることは、片目を隠してプレイしているようなものだったんだ。

Q:中盤の選手では誰が好きですか?
R:ガゴは、彼の今のボールタッチから始まって、もっと成長できるだろうね。それから、イニエスタとチャビも好きだよ。
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私たちは最初の1分から自分たちのサッカーをする、ということだ。私たちは、私たち自身を信じた。それこそがマドリーだ。どんな状況でも力を注ぎ込む、そういう信念だ。

今のマドリーの皆さんにも、ぜひその心意気を。

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1 コメント

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Unknown (冷たい母)
2009-03-10 23:22:27
素晴らしい試合でしたね・・
この試合の頃・・どっちも応援してなかった私は・・録画して試合結果先に知っちゃいね観ないままお蔵入りしてました・・爆
あらためて・・見て感動でした・・・
あの時・・前半にキーンがオンゴールで・・・
顔がこわばったままだったの思い出しました・・
すごいのびのびとプレーしてたラウールとレドンド再考でしたねね・・・
あの再現が・・見れるといいのだけど・・ネネ・・
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