盤上での証明 屋敷伸之vs森下卓 1990年前期 第56期棋聖戦

2023年10月18日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き

 

 「彼が強いとは、どうしても思えないんです」

 

 屋敷伸之九段のことを、かつてそう評したのは、若手時代の森下卓九段であった。

 将棋にかぎらず、スポーツなど勝負の世界では「仲間の評価」というのが重視される。

 同じ土俵で戦う仲間から、

 

 「アイツは強い」

 

 と思われれば、それだけで相手にプレッシャーをかけることができ、時には戦いのさなかに、

 

 「やはりダメか……」

 「もともと、自分が勝てる相手ではないのだ……」

 

 折る効果もあり、運が良ければ同世代の旗頭として「時代の波に乗る」こともできるが、逆に

 

 「アイツはたいしたことない」

 

 あなどられてしまうと、のびのびとプレーされてしまうだけでなく、自らも「侮蔑の視線」に耐えながらの戦いを強いられ、その重圧と屈辱感で、ますます勝てなくなるという仕掛けだ。

 そんな、様々な意味で勝負の結果に影響をあたえる「見えない格付け」だが、ここでの森下による屋敷評は、やや違和感を覚えたもの。

 この発言を取り上げたのは若手時代の先崎学九段だが、屋敷も森下もまだ低段棋士のころ。

 すでに森下は「将来のA級タイトル候補」と謳われていたが、屋敷もまたデビューしていきなり棋聖戦の挑戦者になり、藤井聡太八冠の活躍で脚光を浴びた

 

 「史上最年少タイトル挑戦」

 

 この記録を打ち立てていたからだ。

 こんな男が「強くない」わけがないのだから、この発言は感情的なものか、あるいは人生なり将棋なりの「哲学」が合わないかだろう。

 かつて村山聖九段が、なぜか佐藤康光九段の将棋を認めていなかったように、ままあることで、それならまさに佐藤が村山に突きつけたよう、

 

 「決着は盤上でつけたら、ええんちゃうんけ!」

 

 となるのが、勝負事というもののスッキリしたところでもある。

 



 1990年前期(当時の棋聖戦は前後期の年2回開催だった)の、第56期棋聖戦

 決勝トーナメント準々決勝、森下卓六段と屋敷伸之五段の一戦。

 後手の屋敷が、このころ得意にしていた「横歩取り△33桂」戦法を選んで、むかえたこの局面。

 

 

 


 この形によくあるような、相振り飛車風の戦いになっているが、この将棋を取り上げた先崎学四段によると、すでに森下が一発喰らっている。

 

 

 

 

 

 

 

 △46歩、▲同歩、△36歩、▲同歩、△46金で後手優勢。

 なんてことない仕掛けに見えるが、これですでに先手陣は収拾困難なのだ。

 平凡な▲47歩は、すかさず△37歩とタタかれて取る形がない。

 

 

 

 ▲同桂には△36金で、桂頭を守ることができない。

 ▲同金には△57金で、やはり突破されてしまう。

 △46金に森下は▲68金と守備駒を寄せるが、勇躍△45桂と跳ねて、▲47歩に、やはり△37歩が激痛。

 

 

 飛車角金桂と、後手の攻め駒が全軍躍動で、▲39が明らかに立ち遅れている先手陣に、すでに刺さっている。

 ▲同桂△36金▲45桂と取って一瞬駒得だが、そこで△47金と入られては、完全に網がやぶられてしまった。

 

 

 

 ▲49玉と逃げるしかないが、先手陣はそこから守備駒をボロボロはがされての大敗走

 森下も猛攻を耐えて、なんとか局面を好転させようとするが、屋敷の指し手は正確で、なかなかきっかけがつかめない。

 

 

 

 ここまでいいところのない森下だが、それでも遅ればせながら▲46銀▲35銀打と上部に厚みを作って抵抗。

 「強いと思えない」と評した相手に、簡単に負けるわけにはいかないという執念だが、屋敷は最後まで乱れなかった。

 

 

 

 

 △97竜と切り飛ばして、▲同香△38角と打つのが見事な決め手。

 ここであえて、遊んでいるを取るのが、気づきにくい妙手で、普通の感覚なら▲35銀打に自然な手は△64飛であろう。

 △67飛成(竜)の先手で飛車取りをかわして、もちろんそれでも悪くなさそうだが、スッパリ角を取って△38角とするのが、より鋭かった。

 ▲47合駒しても、△64桂と打たれて、△76金と打たれる筋があるから逃げられない。

 本譜の▲66玉にも、そこで△64飛と幸便に使って、▲77玉に、△87金▲同玉△67飛成

 

 

 

 まるで谷川浩司九段による「光速の寄せ」のごとき、流れるような手順で後手勝ち。

 よく強い人の終盤は、むずかしそうなところから簡単に(実際はそうではないけど、あざやかすぎてそう見えてしまう)寄せてしまうと言われるが、まさにそんな感じであった。

 完敗した後、森下は、

 

 


 「ヒドイ。▲97角では▲28銀と守っておくんだった。それでこれからの将棋でしょう」


 

 なげいたそうだが、先崎に言わせると、それでものびのびした後手陣にくらべて先手陣は進展性がなく、すでに後手がいいのではとのこと。

 つまりは、屋敷の卓越したセンス大局観により、この将棋は序盤ですでに、先手が勝ち味の少ない将棋になっていたということだ。

 森下にかぎらず、このころの屋敷はまだ評価が定まっていなかったというか、その強さの理由が理解されていなかったよう。

 たとえば先崎は、このころ書いたあるエッセイの中で「天賦の才」を感じるのは、昔なら升田幸三で今は谷川浩司としたが、屋敷については(改行引用者)

 


 屋敷は、よくわからない。いっこうに才能のかけらを窺うことができない。

 ただし、同業者の僕の目からみても、強烈な、いかがわしいほどのフェロモンの匂いを感じる。

 人と違ったことを考えられるのは、一種の天性だろう。

 才能がみえないというのは、自分にそれを見抜く能力がないだけなのかもしれない。大きすぎるのかもしれない。

 そう言った意味では、一番怖い棋士である。


 

 この敗北を受け、森下は屋敷について、

 


 「彼の将棋は、相手を油断させるところがありますね」


 

 多少思うところは変わったようだが、ここで簡単に「強い」とは言わないぞというか、むしろ「負けたのは油断」と、やはり評価を保留しているようにも読める。

 そんな思いを知ってか知らずか大強敵を破った屋敷は、その後は一気にかけあがって2期連続の挑戦者になり、史上最年少で棋聖のタイトルを獲得

 一方、一敗地にまみれた森下だが、ここで奮起して次のトーナメントを勝ち上がり挑戦者に。

 「因縁の対決」は、ついに番勝負の大舞台で実現することになったのである。

 

  (続く

 

 


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