星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

月と人と

2016-01-07 | 持ち帰り展覧会
勤めていた頃、駅で降りて、自転車置き場に向かう時、上空の月はいつも三日月だった。また違う日、自宅に近づく東向きの真っ直ぐな道の上空の月はいつも満月だった。記憶では通勤帰りの特定の場所の風景と月の形の組み合わせは、いつも同じなのだ。どうして?とその当時疑問を持つ余裕はなかった。
記憶の中の、同じ時間帯の特定の風景と月の形の組み合わせが同じなのは、当然のことだと知ったのは、つい1年前のこと。薬局で時間待ちしていた時手に取った、子供向けの「そらの絵本Kid’s SKY」(Gakken)という本の終わり頃のページを開いた時だった。わかり易い絵と共にわかり易い説明があった。

~満月は、東の空に現れて、南から西の空へ動いていくよ。お月様の見え始める方向は、形によって違うんだ。半月は、南の空に現れて、西の空へ動いていくよ。三日月は、西よりの南の空に現れて、西の空へ動いていくよ。~

この本を読む5才の子供さえ知っていることを、私はこの年まで知らなかったのだ。
「午後7時頃、西の方角に月が見える時は三日月、東の方角に月が見える時は満月」というのは、地球が誕生した頃から決まっていたことだった。平安時代のご先祖様が「おろかよのぉ」と高笑いしている姿が脳裏に浮かんだ。
もしかして知らなかったのは、世の中で私だけだったの?と衝撃が走った。子供と一緒に絵本を読む経験が欠落しているせいか?高校の地学の授業中内職していたせいか?
いやしかし、この感動!知ることの喜び、といっていいはず。ここは、お月様と私の新しい関係が生まれたことを、喜ぶことにしよう。
 
現在、芦屋市立美術博物館で開催中の「戦後のボーダレス~前衛陶芸の貌」展に出ているこの絵の月は、南南東の方角から出てくる月。

          
        津高和一「月と人と」1948 ~展覧会図録より

男の肩の線いいなぁ。女がもたれかかった左肩は、柔らかく丸い。きっと何かがあった家族。(たぶん貧しいけれど)強く優しく頑張ろうとしている男。頭を上げて月に向かって何か誓っているのか。黄色い月を見た津高37才のそうでありたい自画像かもしれない。
実際にこの絵の前に立つと、透明人間家族だけではなく、月の光が、絵の前に立つ私にも届いてくる。黄色い月の光は、白い月より温かい。

人は月と、直接つながることができる。サドルの上の私と月、ベランダに立つ私と月。
お月様には会えない日もあるけれど、私のことを忘れない。
淋しい夜に一対一でつきあってくれる。一対一。

「月影」というのが「影」ではなく「月の光」のことだと知ったのも、最近のこと。
まだきっと、知らないことがたくさんある。
 
   そのときは月の光になりたいと願う夜あり
 

  
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