星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

花の旅笠

2017-12-18 | 持ち帰り展覧会
あっ、木枯し紋次郎!


         
                 

画面左の風下にむかって、飛ばされた笠を必死においかけている男がいる。画面右には、道中合羽を翻して風に向かって歩いていく男がいる。「あっしには関わりのないことでござんす」という台詞が聞こえてくるようだ。笹沢佐保さんは、かつて、この広重の保永堂版「東海道五拾三次之内」の44枚目「四日市 三重川」を見て、木枯し紋次郎を思いついたに違いない。街道では、見知らぬ同士が出会い、すれ違う。

この秋、芦屋市立美術博物館では、「生誕220年 広重展~雨、雪、夜 風景版画の魅力をひもとく~」が開かれていた。天保4(1833)年、歌川広重(1797~1858)37才の時に刊行された保永堂版「東海道五拾三次之内」をゆっくり見ていった。

2枚目の「品川 日の出」で大名行列が通り過ぎている横で一般人が普通営業しているのを見て、ふと「土下座しなくていいの?」と思った。調べると、土下座をしなければならないのは徳川将軍家と御三家のみで、他の大名行列は道の端に寄って道を開ければよかったという。TV時代劇の知識しかない時代の暮らし…きっと、調べれば、一枚一枚に「そうだったのね」が、ついてくる。

いろんな人が街道を通っていく。弥次さん喜多さんのような男達が多いが、女性も旅している。 瞽女(ごぜ)(盲目の旅芸人)さんもいる。
広重の風景画では、登場人物が今体感している気温や湿度、風や爽快感が伝わってきて、その人がそこにいる理由が描かれている。

何年か前に読んだ、田辺聖子の『姥盛り花の旅笠~小田宅子の「東路日記」』(集英社文庫2004刊)を思い出した。

広重と同じ頃、天保12(1841)年、九州は筑前の商家の内儀、数え年53才の小田宅子(おだいえこ)さんが、習っている歌の会の同年代の女友達3人と、荷物持ちボディガードを兼ねた男性3人とともに、伊勢参りに出かけたが、目的地はどんどん遠くにのびてゆき、結局、海陸800里、5ヶ月間の長旅をした後に旅日記『東路日記』を記した。私が読んだ『姥盛り花の旅笠』は、田辺聖子さんがそれを元に、彼女たちの道程を丁寧に辿りながら、江戸時代女が旅することはどういうことなのか、を書いた本である。イザベラ・バードや、『花の下影』も登場する。ちなみに、小田宅子さんは、俳優の高倉健さんの5代前のご先祖様にあたる。

健さんのご先祖だからと言うわけでもないけれど、彼女達の健脚には驚く。
彼女達は一日に7里歩いている。1里=3.921㎞。歩数計では私は1㎞を約1410歩で歩くので、一里は約5500歩。7里だとなんと38500歩!私のスマホ万歩計の1日の最高記録は17468歩だから、その2倍以上彼女たちは歩いている。

旧暦1月16日(太陽暦では3月8日)~6月12日(7月29日)と、春から夏への5ヶ月間の旅。九州を出発して、瀬戸内海を、潮待ち・寄り道しながら、大阪へ。奈良から伊勢神宮へ。ついでに、信濃の善光寺をめざし、ここまで来たらと、日光・江戸見物へ。帰りは、出女になるから、関所改めが厳しい。だから箱根と新居の関所を避けるため、東海道の藤沢から御油(53次の7~36)までは甲州街道・秋葉みちを通る迂回路をとった。苦しく怖い目にもあっている。だからこそ着いた京・大坂では、20日間、芝居見物などして思い切り遊んでいる。伊勢物語や源氏物語・平家物語ゆかりの地では歌を詠み、名物を味わい、名産品を買う(なんと宅配便で送るしくみもあったらしい)…ワクワクする旅である。今なら126万くらい費用がかかった旅だと田辺聖子さんは概算している。

彼女たちが行った場所は、今も観光客が訪れる場所である。
…錦帯橋・厳島神社・金刀比羅宮・須磨寺・四天王寺・興福寺・東大寺・法隆寺・金峯山寺蔵王堂・伊勢神宮・二見浦・熱田神宮・善光寺・浅間が原・日光東照宮・増上寺・泉岳寺・新吉原の昼見世・江戸歌舞伎見物・鶴岡八幡宮・清浄光寺・豊川稲荷・養老の滝・石山寺・東本願寺・八坂神社・知恩院・南禅寺・吉田神社・六角堂・北野天満宮・仁和寺・上賀茂神社・二尊院・釈迦堂・東福寺・黄檗山万福寺・平等院・金閣寺・住吉大社・道頓堀芝居小屋・天満天神……私がまだ行ったことのない場所がたくさんある。

彼女たちは、朝目覚めると、
「今日は私の人生で私が一番若い日」
と思ったのかもしれない。
コメント (4)
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