@楠木正成とは。 後醍醐天皇への忠誠と信頼を一身に受けた人物、それは「人徳」であり、自身も人の良いところを見つけ、悪いところを見ないように心がけた。だが他人の評価は「何を言ったか」よりも「誰が言ったか」を大事にし、よって地方の豪商上がりの楠木正成の「足利尊氏と和睦する」案には反対された。それは建武の新政の功労者ではなくやはり出身が問題だったからだ。
日本人多くは「何を言ったか」ではなく「誰が言ったか」で信頼度を変えているのが現状なのか。
- 人間の生き方「修身、斉家、治国、平天下」地域自治の実現
- 「水」「モノ」を管理する力(配水権と情報を含む物流調整)
- あれもこれも何もかも自分でやろうとしないこと
- 仕事に優先順位をつけ、選んだ仕事に全力を注ぐ
- 忠誠心と信頼
- 「やはりこの国の人間は何を言っているか、やっているかだけでは協力しない。誰が言っているか、やっているかが大事なのだ」
- 権利と名誉で人は動くと悟る
- 鎌倉幕府討伐後の後醍醐天皇の恩賞配分(役職と権限)から足利尊氏の謀反
- 公家の専断で不公平があってはならないと武士も選任
- 堀田義貞の方が恩賞では多くはなかったが権限を与え、足利尊氏は恩賞としての名誉はあったが権限はなかったことに不満をもった
- 堀田のウサギと足利のカメ(最後の勝利者は確実に地盤を固めたカメ)
- 足利尊氏の強みは「六波羅」にて地方武士の恩賞にたいする不満を把握していた。「御恩と奉公」(土地と奉公)
- 楠木は「堀田義貞か足利尊氏のいずれかを選ぶかでは足利を選んだ」理由は諸国の御家人たちの近畿は足利に有利・徳があると見ていた
- 光厳上皇への院宣を尊氏はお願いし「朝敵堀田義貞を討て」とした。これは恩賞がなかった功労者赤松則村の知恵である
- 足利はモンゴル来襲の身守り番「異国警護番役」を自由にし、味方につけたが、菊池一族は反乱を起こすが尊氏に殺られる。