@「忍従」=耐え忍んで言われるままに従う事。家康は幼少の頃から人質としての生活でこの「忍従」が生涯の心得になったとある。戦国時代の君主・家訓で共通するのは「神仏を敬う」「礼節・行儀作法」「おごり・慢心を抑える」とある。今世の中に欠け始めているのは正にこれらの言葉と実践だと感じる。現代この「忍従」=一瞬たりとも我慢する事ができなく「切れる人」が増えているのは如何なものか。家庭・学校環境で「我慢」する事が今はほとんど無くなり、親・先生からも厳しく叱りを受ける事もなくなった。言うがまま、やりたい放題を止める、厳しく指導する人が居なくなった気がする。日頃の不満のない生活から「慢心」=おごり高ぶること、自慢して良い気になる事、となってはいないだろうか。「挨拶もろくにできない人」の多くは独自の合理性を優先し「挨拶する必要がないと自分で決め付けている」と言う。果たしてそれで良いだろうか。 戦国時代、上に立つ者(上司)の条件は、下々の者(部下)に話をし、よく観て聞いて世話(指示指導)することで信頼を得、戦力となった。
- 乱世を生きた武将の知恵、家訓を解く。
- 「菊池家の家訓」九州の豪族第13代武重、14代武茂・八ヶ条
- 正直の理(正義の念)
- 名聞や栄華を好まず
- 不実者の真似を許さず
- 文武両道にはずれない
- 領内での殺生を許さず
- 君主のため正法を護持する
- 「朝倉家の家訓」越前朝倉敏景の17ヶ条
- 才能のあるものを抜擢する
- 天下泰平でも諸国に間者を派遣し様子を探ること
- 名作の名刀、脇差などを求めず槍を買い多くの兵士にあたえる
- 猿楽は本場から招くのではなく器用なものに学ばせる
- 派手なものを控え倹約し、実質を重んじる
- 奉公に熱心なものを取り立てる
- 他国からの浪人にはいくら優秀でも注意、祐筆は採用しない
- 戦には吉日や方角を悩まず
- 1年に3度は領土を巡視し、庶民の希望や訴えを聴く
- 朝倉氏の砦以外には領内には城を築かない
- 神社仏閣を崇敬し、破損等を修理する
- 私欲を貪るものには断固たる処置をする
- 「武田信繁の家訓」上下2巻57ヶ条、99ヶ条
- 忠義、謀反の心を起こさない
- 礼儀作法、行儀への注意を怠らない
- 嘘を言ってはならない
- 親孝行、兄弟を侮辱の心があってはならない
- 実行を伴わなぬ事は軽々しく口にすべきではない
- 弓馬に対する日頃の嗜み
- 学問の道にも決してなおざりにしてはいけない
- 礼節にたいしての油断があってはならない
- 快楽を貪る事と誤解してはならない
- 交渉の相手に対して常に心を配り粗略があってはならない
- 何事にも常に堪忍の二文字をわすれてはならない
- 家中の家来に対して慈悲の心を垂れる事を忘れてはならない
- 家来が病気で苦しんでいる時はどのような面倒事でも心遣う
- 不穏な考えを抱くものがいたら、決して容赦せず調べる
- 諸人からの意見も聞き反省する
- 帰宅する時は先立って使いを立て、家中に知らせる
- 家中の悪事は決して他家へ漏らしてはならず
- 褒美はいかに些細な事でも賞揚すること
- 戦場に置いて敵陣の不防備な箇所から攻めること
- 敵との距離を置かない、軍列を乱さず、人馬の消耗を抑える。
- 敵の怒気が生じてくる時は、味方の陣営を便宜に配置する事
- 敵方に対する悪口を言うものがいれば深く戒めない
- 親が不甲斐のない者でもその子が忠義に励めばよい
- 食物は家来たちに対して平等に分配する
- 他人の過失に対してかれこれと批判すべきではない
- 誰に対しても依怙贔屓があってはならぬ
- 隠居後、子供から世話になるようなことはしない
- 下々の者に対して常に注意し暮らしを見る
- 敵に向かう場合、横合いから攻めた方が、効果があがる
- たとえ人がどれほど懇切にしてくれても裏向きの事に立入らず
- 人前でみだりに他人を非難する言葉を口にしない
- 何事をなす場合でも油断しない
- <毛利元就の3本の矢真相>
- 臨終の際の3人兄弟の3本矢は隆元、元春、隆景ではない理由
- 元就病死は元亀2年6月夏、75歳没
- 長男隆元は9年前に41歳で没
- 次男元春は出雲国高瀬にて陣取り
- 三男隆影は39歳で垂れ髪ではなかった
- 「毛利元就の家訓」14ヶ条 毛利家、吉川家、小早川家
- 三家が一致和合し、隆元に一存すること
- 三家の提携と協力をすること、子孫代々まで継承すること
- もし不幸にも謀反があれば三家とも滅亡する
- 元就の妻、兄弟の母を、また妹兄弟も孝行すること
- 悲業を遂げたことで周りからの警戒を怠るな
- 厳島明神、神仏を信仰すること
- 「北条氏の家訓」北条早雲の21か条
- 神仏を信じ奉じること
- 早寝( 5つ時午後8時)、早起き(寅の刻午前4時)
- 行水・水を節約し、家中見回りをすること
- 早めに髪を結い、華美なものを身につけず借り求めない
- 出仕する時殿の御前に直接出てはならない、御次の間に待つ
- 殿が仰せの時は返事をし頭を下げて御前に参る
- 御前の前、高官職の前では作法をわきまえて行動すること
- 良い共は手習いや学問の友である
- 悪い共は碁、将棋、笛、尺八の遊び友である
- 帰宅の際には家中を見回り、修理するところがあれば指導する
- 6つ時(午後6時)には門を締める
- 火の元を注意すること
- 「島津氏の家訓」いろは歌47首
- 因果報酬、頓悟、博愛、武道、儒道、政道、学問、修養、正義、克己、利欲、勤勉、敬君、事長、交友など
- 「島津貴久の掟書」
- 侍5人組制度でお互い訓練等に励み、結束する
- 兵農一致=強兵策(屯田兵組織の基礎)
- 「島津義久の掟書」
- 手鉾や弓の数を鉄砲より少なくし、熟練させる
- 罰を薄く、賞を厚くする
- 屋敷を立派にすることではなく人民の福利優先とする
- 人民に真心をもち権力をもって脅さない
- 讒言や讒訴を聞き入れない
- 忠義の行いがあれば褒め称える
- 「織田信長の教訓状」
- 安土で出火騒ぎが起きた時に信長は原因が妻を尾張に置きっ放しである事を理由に尾張の家、周りを切払い家族を安土へ呼び寄せた
- 秀吉(禿げ鼠)の正室おねに出した手紙には夫人の心情に同情し、立場を認め、器量の美しさを褒め、妬みを起こさず堂々と振る舞い不言実行で内助の功を果たすように教えた
- 「豊臣秀吉の訓戒」秀次に出した訓戒
- 長久手での敗退、甥であるおごり等から秀次に対しての怒り
- 2度目の訓戒書にて
- 武備の心がけ、公平な賞罰、朝廷への忠勤、忠義を尽くしたものへの遺族保護、知行を与え、平素の嗜み(茶の湯、鷹狩り、女狂いを禁じ)秀吉の行為の真似を禁じたが、朝鮮役で秀吉の堪忍袋が切れ秀次を高野山に追放、切腹させた。28歳没。
- 秀吉の試練は厳しく秀次を憎んだのではなく秀頼が成長するまでの立派な大将に育てたかった一心であった。
- 「蒲生氏郷の家訓」
- 文武両道、宗養に励む(利休7晢の一人茶人でもあった)
- 「蒲生源左衛門の家訓」
- 弓馬・槍・兵法を朝暮の掟とするが上手にやる事だけではない
- おごりを極める事
- 金銀を茶の湯など用もない事には慎む事
- 親類のものが落ちぶれた時には10分の1でも知行を分与える
- 我が身の分限をよく知り身を保つ
- 「黒田如水の教訓」秀吉の懐刀
- 良い仲間と悪い仲間を識別し記録する
- 尋常の人と同じでは駄目、行儀作法を乱さず万民の手本となる
- 治世に文を用い、乱世に武を用いる。治世に武を忘れず乱世に文を捨てない。誠の道を求め、何事にも吟味工夫を怠らず、筋目を違えず、善悪を正、賞罰を明らかにして、心に憐れみの深いをもつ
- 大将たる者は威厳を持たなければ万人を抑えていけない。真の威厳とは行儀を正しく、理非賞罰を明らかにすること。
- 子供の世話役は吟味を重ねて、正直で、忠義に志のある人選をする必要がある。人選された者は位を与え懇ろにもてなす事が必要
- 「徳川家康の教訓」遺訓
- 「人の一生は重き荷を引きて坂道を登るが如し」
- 質素倹約「足る事を知って、足る者は常に足る」
- 身分相応
- 貯蓄(足袋のお下がり)
- 軍用向け、大火への予備、天災や凶年への備え
- 武道の鍛錬と学問の素養
- 治世に武道を嗜む者こそ本当の武士の達人である
- 書を読むのは身を正しくせんが為(細心沈着)
- 実力養成
- 忍従(最も尊い精神=心得)
- 5字「上を見な」7字「身のほどを知れ」
- 「徳川光圀の教訓」水戸藩主第2代
- 多くの著書は殖産の業、貧民の救済、風俗の矯正など
- 大将たる者は文武両道に重みを置き、軍法を心得、武芸を練り、軍学に励むとともに読書に精を出し、算数に熟達せねばならない