院長のひとりごと

私、竹村院長が食べ物から健康まで基本的にノンジャンルでかきつづります。

「価値相対論。」

2010年02月23日 21時08分37秒 | ノンジャンル
院長は今まで、自分はあまり上昇志向のない人間だと思っていた。

特に仕事に関してなんだけど、生活の糧を得るための手段が仕事であり、

生活の質をどんどん向上させたいという思いもあまり無いので、

今以上の増収は、大して意味のないことだと思っている。


もしもお金がもっと欲しいのであれば事業を拡大したり、ほかの事に

手を出したり、どうすればいいのかはなんとなく分かる。

上手くいくかどうかは別にして、お金をもっと得るためには

どうすればいいのか、なんとなくわかる。


ただ、なんでお金がもっと欲しいのか、もしくは欲しくないのかはよく考える。

足りないから欲しい?

いや、そうじゃない。

生活は出来ている。

足りなくはない。

将来が不安だからいっぱい欲しい?

ん~、不安には違いないが逆に、いくらあったら不安じゃなくなるのか。

そんなもんね、現状に満足しようという思いが無ければ、おそらく

いくら手元にあったって不安なんか消えないんだよ。

宝くじさえ当たれば経済的な自由が手に入る!と思ってる人はたぶん

その当たったお金が手元からなくなってしまうことが今度は怖くなる。

もしくは気が大きくなって数年で使い切っちゃう。


要するになんでお金が欲しいのか、よく考えるべきだと思う。

幸せに安寧に暮らすにはお金が必要で、お金を得るためには

仕事をして稼がなきゃいけない。

でも、今よりもっと!と望むことはいつまでも現状に満足していないということで

それが心の安寧になるのか?と思う。

その人は最終目的である心の平静、安寧をいつになったら得られるのか。

得られないでしょ。


そうじゃなくて、今持っているものに満足したらいいんじゃないか?


そこで、じゃあ自分ははお金が欲しくないのか?と自問してみる。


そうじゃない。

お金はあるに越したことはないし、手に入れば嬉しい。

でも、やりたくないことをやってまでは欲しくない。

どんどん事業を拡げ、人をいっぱい使って忙しく働くことが自分の

やりたいことではない。

だからやらない。

今のままでいい。

今、手元にあるものに感謝しよう。


と、ここまでが今までの院長の考え。

だが、ここでいつも自己矛盾が発生していることに気付いていました。

「じゃあなんでゴルフの練習するの?」ってこと。


これが自分の中でどうも消化しきれてなかった。

だって自分の考えで言ったら、今のスコアで満足すればいいじゃん。

100はそこそこ切れるし。

もっと上を目指すって、じゃあいつになったら満足するの?

パープレイ(スコア72で周ること)で周れたらそこが最終地点?

その先は?

そもそもスコアが向上したらなんなの?

お金なんかもらえないし、スコアが100切ったり切れなかったりの

今の院長がもっともっと上手くなってシングルプレーヤーになったところで、

奥さんは別になーーんとも思っちゃくれないよ。


じゃあなぜ向上心をもって練習を続けるのか?


そんなもんね、その過程自体が楽しいからに決まってんだよね。

楽しいからやってんだよ。

付き合いに必要だから・・とも、運動になるから・・とも、仕事につながるから・・とも

一切思ってない。

楽しいからやってるだけなんだよね。


ここのとこが頭では分かっているようで本当は分かってなかったのかもしれない。


ポイントカードのポイント集めに躍起になってる人を見ては

「で、それがいくらになんの!?その手間に見合ってんの?」って考えたり、

資格取得に奔走し、何になりたいのかよくわかんなくなってる人に

「で、それが何のためになるの?目的は何?資格は手段でしょ?

 取得そのものが目的になってどうすんのよ」って考えたり。


でもその人にとって何かの手段であるべきことが、あるときから

目的に変わってしまうというのも、ようやく自分の中で飲み込めるようになってきた。


「向上過程そのものが目的」

「取り組んでいること、それ自体が目的。」


いいじゃない、それでも。

な~んかやってないと人生は暇だからさ、スキルアップ自体が楽しみになったって

節約して貯金で残高が増えていくことが楽しみになったっていいんだよね。

「残高が増えてもそれが減るのがイヤで使えなくなってる人」とか

以前は滑稽に思ってたけど、今はそうは思わない。


何がその人の楽しみなのかはその人本人すら気付いてないかもしれないから。


で、もう少し話の続きがある。


その人が取り組んでいるスキルアップなり、節約なり、ポイント集めが

楽しみになってる場合とそうでない場合がある。

不安とか恐怖がその原動力になってる場合だ。


もっと今よりスキルアップしなきゃ・・とか、もっと節約しなきゃ・とか

漠然とした不安や強迫観念でそれに取り組んでいるように見える人も多い。


そういう人の取り組みに、終わりはたぶん無い。

楽しいからやり続けるのも、不安が消えないからやり続けるのもどっちも

同じなんだけど、中身はずいぶん違うように思う。

ブログなんかもそうかな。


更新そのものが楽しくてやってる人と、アクセスが落ちるのが怖くて

やめられなくなってる人。

アクセスなんて落っこちたって、世の中なーーんにも変わらないのに。

このあたりは院長も気持ちは理解出来る。


そんで、ココが一番言いたいことなんだけど、自分が取り組んでいることの

原動力は何だろう?って自問してみると、結構簡単にわかったりするんです。


「そう言われてみればメディアに踊らされていたかもな~」とか

「そう言えば人の目ばかりが気になっていたかもな~」とか

もしかしたら楽しく思ってないことを、漠然とした不安とか恐怖にかられて

がむしゃらに取り組んでいる人も多いんじゃないかな。


その辺に気付くとあるとき世の中の風景がかわったりするかもよ。



あ、ご清聴ありがとうございました。

自己満足のためと楽しいからいろいろ書きました。