内村特殊法務事務所、ただいま営業中

免許取消の回避&軽減、つまり免許停止にしたり処分無しにすることに関しては日本一を標榜しています。

伝統を、繋ぎ紡いで昇華させ

2013年08月05日 | バイクとか車とか色々
スーパーアメリカンフェスティバルの話、

昨日に引き続き第2段
今度は道中で感じた事です。

毎年なんですが『スーパーカー部門』というのがあります。
ランボルギーニとか
フェラーリとかポルシェとか、
マニアックなところではパガーニなど、数千万円~億円クラスの車がずらっと並んでいます。

会場に向かう途中
高速道路のサービスエリアでその中の一台かどうかは分かりませんが、
(会場では見なかったと思うので多分違うと思います)
とある高級車と遭遇しました。

助手席に派手な女性を乗せていたその車は
駐車スペースではなくお店の前の通路になっている部分に駐車し、
先に女性が降りたので止める場所を探しているのかと見ていたら
咥えタバコの男性も降りてきました。
もちろん車はその場所のままです。
あまり端っこに寄せていないので、横を通る車も恐る恐るです。

買い物を済ませた二人は喫煙スペースでない所で
咥えタバコ状態でウロウロしながら何やら携帯で話しています。
さすがに超高級車なので通る人も見ているのですが
彼らがその人たちと接する様子は、なんだか小馬鹿にしているようにも見えます。

車は
誰もが憧れる超高級車ですが
気軽に話しかけるような人はいません。

もしかしたら威圧したりするようなつもりはなかったのかもしれません。
「庶民の僻みだ」と言われるかもしれません。
ただ、僕はそう感じました。
その後、側溝にタバコを捨てて走り去って行きましたが
周りの人は一連の様子を見てどう思ったでしょうか?

少なくともいい印象は持っていないと思います。

他人に対してどう接するか、
社会に対してどう接するか
これはルールではなく単なるマナーです。

生活レベルが違うとか、初めから対等だとは思ってないだとか
お前らよりたくさん税金払ってるんだから俺の方が偉いんだ等々
理由付は何とでも出来るでしょう。

ですが
それは自分ひとりの器量で使うべきだと思うんですよ。

例えば車に乗っている時なら
周りって車よりもむしろ人の方を見ているんですよ
車とセットで6:4くらいの割合で人の方を見ていると思います。

これが自分で設計して自分で開発して自分で販路を拡大している車なら
どんな態度を取っても勝手だと思います。

ですが1メーカーが一生懸命に性能や品質を追求して、日本で販売できるように努力して
その結晶に乗っているわけです。
「その分の金は払ってるよ」というのは違うと思います。
値段というものは過去~現在に対して支払うもので
未来に対しては行動と敬意を払わないといけないと思うのです。

趣味のものが社会と切り離しては生きていけないからこそ
積み重ねてきた歴史が途絶えないように
オーナーも高級車の歴史の一端を担う責任を自覚した行動をする事によって
「あんなオーナーになりたい」と真の羨望を浴びる事ができたなら
車やバイクももっと売れるようになり、結果販売店も増えれば自分たちも日本中でより良い整備やサービスが受けられるようになり『良い循環』を生み出せると思うんですよ。

仲間内で小さい世界を作って一般の人を見下すようなやり方は
ブランドの品位を貶めるように思います。

もちろん
自分が頑張ったんだから買えたんだ、頑張った俺は偉いんだ、そう思うのも自由ですし
実際親から買ってもらったとかでない限り、時間だったり才能だったりアイデアだったりいろんな努力を費やして手に入れてきてるんですよ、
でも、最も大きい部分って『運』だと思うのです。

どんなに才能があっても共産主義国家に生まれていたら高級車など乗れなかったはずです。

努力が報われる場所にいられる幸運があるからこそ
そんな社会に対する感謝だったり、歴史を引き継いでいる当事者たる意識というのがあれば、小さい子が『凄いもの』に接する事が出来て人間が豊かになると思いますし
高級車の凄さを知ることで、
質の違う大衆車の凄さにも気付いて行けると思うのです。

「そういうのを僻み根性って言うんだよ」と言われましたら
「とりあえず僕のバイクも世間一般からはいろいろ注目を浴びる乗り物ですので
見られる側としてブランドを支える意識も必要だと思った次第です。」とちょっぴり真面目に答えますので、↓に一票よろしくお願いします
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