伊賀市中心市街地活性化基本計画における事業一覧(案)なるものが伊賀市で計画されています。
たくさんの事業が書かれていますが、その中のひとつに(4ページ)「上野文化センター活用事業」(主体:民間事業者)があります。
今ここでやっと一歩踏み出した、というところです。
ただ、計画があまりにも膨大すぎることと、「国」に認められなければ一歩も前に進めない計画もあるわけで、「今、活性化をしなければ」と机上論だけ述べていてもどうしようもない、気がします。伊賀上野の実情にあったものでなければ「絵に描いた餅」でしかないのでは・・・
ここでちょっとご紹介。上野の先人たちの中には当時としては素晴らしい事業をしてくださった方:田中善助翁がおります。
上野の【
郷土史あれこれ『下水道築造事業』】より
~~実業家として伊賀の近代化に大きな足跡を残した田中善助が、67歳の高齢をおして敢えて上野町長になろうとしたのは、いつに「下水道築造事業」を成さんがためであった。
上野台地の排水は、江戸時代に人家の裏に下水路を張りめぐらせたのが始まり。廃藩後は管理が十分できないまま、家屋の建設などで自然に水路が埋没しつつあった。したがって昭和はじめの上野町は、下水道が整備されていないため、ひとたび大雨が降ると、水びたしになり、悪水が滞留し、夏は蚊が多く発生した。上野へ来て泊ると蚊に悩まされるとの悪評があり、腸チブスが年々流行していた。
幸いにして田中は町長に当選するや総事業費29万3千円の下水道築造工事に取りかかった。 ~中略~ そして完成のわずか3か月後に公約通りさっさと町長を辞めてしまった。その出処進退は極めて見事であった。
時の内務省土木局長は「恐らく日本中で上水道より先に下水道を手がけた都市は他にないだろう」と、その先見性をほめたという。 この下水道整備で上野町は衛生的な街に一新した。腸チブスなど伝染病の発生が減少したことは言うまでもない。
それでも口さがない町民の中には「カナゼンはんは工事用のセメントを町に売ってたんまり、儲けたそうな」と囃し立てたり、新聞で書き立てたりした者がいたという。いつの世にもやっかみ半分で、他人のしたことに難癖をつけたがる者がいるものである。~~
(いつの時代にも「やっかみ」を言う人はいるわけで安心しましたが(笑))
当時として、「上野町」は下水道整備事情としては画期的なことをしていたのです。が、現代の「まちづくり」にとってはなかなかやっかいなこともあります。
「活性化のために何か事を興す」といっても、伊賀上野城下町の最大の難点に「下水道問題」がありまして、店舗などとして改築・改装などをする場合、資金の3分の1くらいが「
合併浄化槽設備」にかかってしまう恐れがあります。現在では、建築物の用途や床面積に応じた人槽の浄化槽設備が必須条件です。
伊賀上野城下町では、いわゆる『うなぎの寝床』のような町家が多い。その町家の裏側(ということは町と町の境)に下水が通っているわけです。
よって、未だに「汲み取り式トイレ」がほとんど、『バキュームカーのホースが家の中を通る』という状況です。「合併浄化槽」を入れたくても入れられない、もし作るなら通りに面した場所に駐車場スペースでも作って、そこに浄化槽を埋め込むことになります。ということは「うなぎの寝床」町家の大工事になります。
もうひとつの方法としては「町と町の背割り」部分に開放的な場所でもあれば、数軒分まとめて集落排水的な浄化槽をつくることができればいいのですが・・・
そんなこんなで、伊賀上野城下町の町家はそう簡単には改築・改装ができないのが現状です。京都などの町家ではトイレ問題はどうなっているのか・・・
活性化かといいながら先行きの「暗い話」になってしまった。
今回のcafe wakayaさんでは大家さんのご協力のおかげで「合併浄化槽問題」は解決しましたが、第2・第3の事業がスムーズに行くのかどうか、心配のタネはいっぱいあります。