前回お伝えした伊賀上野の誇れる建築物のなかのひとつ、伊賀鉄道「上野市駅」駅舎。町家みらいセンターのHPによれば・・・
【伊賀上野の玄関口がこの伊賀鉄道「上野市駅」です。大正5年に上野駅(現伊賀上野駅)から上野町駅(現上野市駅)まで開通した伊賀軌道の社屋として木造3階建で建てられました。】
ひょんなことから伊賀鉄道の歴史が書かれているモノを見つけ、伊賀上野が陸の孤島にならずにすんだのは、先人たちのお陰と感謝した次第。
この伊賀鉄道を敷設するには、例の外堀もからんでいたとか。
明治から大正にかけて近代化を図るには、城下町の佇まいも破壊してしまわなければならなかったという、今も昔も変わらぬ「開発」という名の産みの苦しみ・・・
伊賀鉄道の開通①
伊賀鉄道の開通②
伊賀鉄道の開通③
想像するに、「鍵屋辻駅」(1945年まではこの駅は存在していたようで)から「名張」までこんな感じで延長予定だったのでしょうか???
夢のまた夢のお話でした。
(間違っていたらご指摘ください。)
【伊賀上野の玄関口がこの伊賀鉄道「上野市駅」です。大正5年に上野駅(現伊賀上野駅)から上野町駅(現上野市駅)まで開通した伊賀軌道の社屋として木造3階建で建てられました。】
ひょんなことから伊賀鉄道の歴史が書かれているモノを見つけ、伊賀上野が陸の孤島にならずにすんだのは、先人たちのお陰と感謝した次第。
この伊賀鉄道を敷設するには、例の外堀もからんでいたとか。
明治から大正にかけて近代化を図るには、城下町の佇まいも破壊してしまわなければならなかったという、今も昔も変わらぬ「開発」という名の産みの苦しみ・・・
伊賀鉄道の開通①
伊賀鉄道の開通②
伊賀鉄道の開通③
想像するに、「鍵屋辻駅」(1945年まではこの駅は存在していたようで)から「名張」までこんな感じで延長予定だったのでしょうか???
夢のまた夢のお話でした。
(間違っていたらご指摘ください。)