おはようございます。
東京はやっと晴れましたねぇ。
洗濯物を外に干せて嬉しいです。
さて 高校までは普通科だったわたくし、大学では被服を専攻し、卒業後は婦人服の企画業に就職しました。
その会社には とても怖い先輩や上司がいたので 何度泣かされたかわかりません。
同期で入社した友達は 次々に結婚してしまい、あせりを感じながらも
「会社に居残るなら 一旗あげたい」
と、躍起になり 実際に自分がデザインした服が店頭に並ぶ事に。
それが学生の頃からの夢だったので 喜ぶはずが、毎日夜遅くまでの残業、会社での人間関係に疲れ、ボロボロになっていました。
必死で追いかけた夢だったのに、現実になると「こんなものか」というのが実感。
そこから「この先どうなるのだろう」と一気に不安になり、何者でもない自分に焦りを感じていました。
その後会社からリストラされ、間もなく会社は倒産。
無職となり、車の免許をとるために通いだした教習所の近くで バイトとして始めたキャバ嬢がきっかけで 大きく人生の路線変更に。(笑)
大学生の頃から 洋服漬けの毎日だったので、
「一生 服飾の世界に身を捧げる!」
くらいの気合いがあったのですが、他の仕事についてみたら「あ、できるじゃん」と、すんなりなんとかなった。(笑)
そこからは「夢を追いかける」というより「身銭を稼ぐ」生活になりました。
そう考えると夢があったのは20代後半くらいまで、ということに。
今もパートながら訪問介護をしておりますが、結婚、出産しなければ まず選ばなかった仕事だろうと思います。
もちろん楽しく、やりがいを感じるからこそ続いているわけですが、根底にあるのは
「生活費を稼がなければ」
「ゆくゆくは親の介護を自分でしたい」
という現実が前提の選択。
じゃあ、49歳のわたくしの夢って?、、、と自分に問いかけてみたんですよ。
すんなり思えたことは、
「娘達とずっと一緒にすごしたい」
「大好きな友達と楽しい時間を」
と、仕事無関係。。(爆)
「訪問介護の経験をつみ、ゆくゆくはケアマネージャーに!」とかの野心はないんです。
とにかく娘達が かわいくてかわいくて、そのために必死で日々身銭を稼いでいるのが現状。
わたくしの友達や知り合いには 自身で会社や店を立ち上げたり、業界でどんどん有名になって飛躍しつづけている方が多いので、その方達からしてみれば「つまらないヤツ」かもしれません。
ただ、独身時代 あれほど焦り「もっと頑張らなくちゃ!」と狂いそうだったわたくしが、母親になったとたんに心が落ち着いたのはたしかです。
今のわたくしは ただの母親。
そうやって自分で選んできたのですから。
このままゆけば、このままでしかないわけです。
じゃあ それが不満か、というと、娘達を生んだこと、一緒に暮らせることは 今までの人生で最高の出来事。
それが幸せであり、そこを軸に仕事や生活を考えることしかできません。
さもない母親ながらも、これからも自分らしく頑張ります。
@写真は 死ぬほどピンクが似合わないわたくしが 唯一もっているピンクの指輪。
ストーンのほうは 亡き叔母の形見なので 大切にしています。
東京はやっと晴れましたねぇ。
洗濯物を外に干せて嬉しいです。
さて 高校までは普通科だったわたくし、大学では被服を専攻し、卒業後は婦人服の企画業に就職しました。
その会社には とても怖い先輩や上司がいたので 何度泣かされたかわかりません。
同期で入社した友達は 次々に結婚してしまい、あせりを感じながらも
「会社に居残るなら 一旗あげたい」
と、躍起になり 実際に自分がデザインした服が店頭に並ぶ事に。
それが学生の頃からの夢だったので 喜ぶはずが、毎日夜遅くまでの残業、会社での人間関係に疲れ、ボロボロになっていました。
必死で追いかけた夢だったのに、現実になると「こんなものか」というのが実感。
そこから「この先どうなるのだろう」と一気に不安になり、何者でもない自分に焦りを感じていました。
その後会社からリストラされ、間もなく会社は倒産。
無職となり、車の免許をとるために通いだした教習所の近くで バイトとして始めたキャバ嬢がきっかけで 大きく人生の路線変更に。(笑)
大学生の頃から 洋服漬けの毎日だったので、
「一生 服飾の世界に身を捧げる!」
くらいの気合いがあったのですが、他の仕事についてみたら「あ、できるじゃん」と、すんなりなんとかなった。(笑)
そこからは「夢を追いかける」というより「身銭を稼ぐ」生活になりました。
そう考えると夢があったのは20代後半くらいまで、ということに。
今もパートながら訪問介護をしておりますが、結婚、出産しなければ まず選ばなかった仕事だろうと思います。
もちろん楽しく、やりがいを感じるからこそ続いているわけですが、根底にあるのは
「生活費を稼がなければ」
「ゆくゆくは親の介護を自分でしたい」
という現実が前提の選択。
じゃあ、49歳のわたくしの夢って?、、、と自分に問いかけてみたんですよ。
すんなり思えたことは、
「娘達とずっと一緒にすごしたい」
「大好きな友達と楽しい時間を」
と、仕事無関係。。(爆)
「訪問介護の経験をつみ、ゆくゆくはケアマネージャーに!」とかの野心はないんです。
とにかく娘達が かわいくてかわいくて、そのために必死で日々身銭を稼いでいるのが現状。
わたくしの友達や知り合いには 自身で会社や店を立ち上げたり、業界でどんどん有名になって飛躍しつづけている方が多いので、その方達からしてみれば「つまらないヤツ」かもしれません。
ただ、独身時代 あれほど焦り「もっと頑張らなくちゃ!」と狂いそうだったわたくしが、母親になったとたんに心が落ち着いたのはたしかです。
今のわたくしは ただの母親。
そうやって自分で選んできたのですから。
このままゆけば、このままでしかないわけです。
じゃあ それが不満か、というと、娘達を生んだこと、一緒に暮らせることは 今までの人生で最高の出来事。
それが幸せであり、そこを軸に仕事や生活を考えることしかできません。
さもない母親ながらも、これからも自分らしく頑張ります。
@写真は 死ぬほどピンクが似合わないわたくしが 唯一もっているピンクの指輪。
ストーンのほうは 亡き叔母の形見なので 大切にしています。